WORK 山陰の仕事 WORK 山陰の仕事

「認めてほめて愛して育てる」。幼児教育を追求し幾多の困難と葛藤を乗り越え66年。「七田式教育」は日本のみならず、世界の子供たちにも拡がり続ける。

株式会社 しちだ・教育研究所 / 幼児教室講師(江津本部教室)

インタビュー記事

更新日 : 2024年09月10日

「七田式教育」は「知識を教える教育」ではなく、「子供の才能を引き出す」教育です。

創業百年は目前に迫っている。七田式教育は幾多の困難を乗り越え、その乗り越えた以上の数えきれない喜びを子供たちとそしてその家族と共有しながら情熱と信念を次世代に受け継ぎ、七田式は日本発の普遍的な教育として、言語や文化を越え世界各地で実践され続けている。

株式会社 しちだ・教育研究所 事業概要

【事業内容】

《胎児・幼児・小学生教育》

教材企画・開発・制作・販売/国内、海外教室展開・運営・サポート/七田式ブランディング

《七田式食学》

商品企画・開発・販売/正しい「食」の知識の発信

《大人の能力開発》

大人向け能力開発教材開発・販売、情報誌の発行/高齢者向け教材開発、制作

1958(昭和33)年、七田式創始者七田 眞によって島根県江津市にて学生の英語塾を開設。

その後、眞にとって図らずも第一子を幼くして亡くすという「生涯で最もつらい」経験をしたこともあり、あくなき探究心をもって幼児教育への道を邁進することになる。当時、日本の幼児教育はまだ黎明期であり、眞は時代に先駆けて幼児教育の研究を重ね、心の子育てとともに、七田式右脳教育理論を築いていく。生涯で著書は170冊を超え、その著書は七田式教育の財産として受け継がれ、今もなお次男の七田 厚社長によって改刷、リニューアル本として出版されている。

1978(昭和53)年10月、眞は有限会社七田児童教育研究所(現「株式会社しちだ•教育研究所」)を設立。

1983(昭和58)年、新宿でマンションの一室を借りて東京オフィスを開設。その当時20歳で東京理科大に在学中だった厚は、この研究所で眞の手伝いを始め、学生と社員の二足のわらじを履く。以降、彼はカリスマ教育者の父を支え、経営側の黒子に徹していくことになる。

1987(昭和62)年、24歳で厚は2代目代表取締役社長に就任。教室の全国展開を開始、同時期に出版された眞の著書が大ヒットしたことから売上は右肩上がりとなり多忙を極めた。

1993(平成5)年に自社ビルを落成。さらに1996(平成8)年に眞の著書『超右脳革命-人生が思いどおりになる成功法則』が出版され30万部の大ヒット、日本中で右脳ブームが巻き起こったことは記憶に新しい。厚の社長就任から10年後、目標の年商10億円を達成した。約2年程でその右脳ブームが落ち着いた頃、大人の能力開発の売上が沈静化、予期せずメインである幼児教育の売上も徐々にダウン。1998(平成10)年頃から経営に暗雲が垂れ込め、初めての経営危機が訪れる。資金繰りが厳しい状況に耐え忍ぶ日々が続いた。打開策として、未就学児だけでなく小学校低学年向けの学習プリント、それから鳥の声、童謡や楽器の音、クラシック音楽などを聞くだけで右脳が刺激される聴覚教材の開発に踏み切った。この新たな試みが売上を伸ばし、危機を乗り越えることにつながった。

2000(平成12)年、台湾で初の海外進出を果たす。海外でも七田 眞の著書の「超右脳革命」の翻訳版が出版されており、もともと台湾や韓国からのアプローチがあったものを経営危機の打開策となればと始めたものだが、当初は赤字部門だった。

2009(平成21)年、体調を崩し眞が入院、同じくして厚社長までもが心不全で手術を受けるという事態に陥る。会長と社長が不在であることは箝口令が敷かれていた。同年4月、七田式創始者 七田 眞は享年79歳にて逝去。著名なカリスマ教育者であった父の死に伴い、厚社長は再び経営の落ち込みに苦しむことになる。その危機を救ったのが、立ち上げた当初は赤字部門だった海外事業部だった。

2001年〜シンガポール、マレーシア 2004年〜インドネシア 2008年〜タイ、カナダ 2009年〜オーストラリア 2010年〜中国、香港 2012年〜ベトナム 2013年〜ラオス 2014年〜ミャンマー 2016年〜カンボジア 2017年〜イギリス、ルーマニア 2018年〜インド、韓国 2021(令和3)年10月現在、世界17の国と地域で教室を展開、ネットワークは拡がり続けている。

2018(平成30)年、新体制「七田式教室」として、七田式教育は再スタートを切る。

2023(令和5)年、新社屋完成。七田社長が社長を受け継ぎ走り始めた頃はわずか6名だった社員は今や70名を超え、なおかつ年商約17億円まで成長を遂げた。戦後の混乱が収束し、高度経済成長期を迎え希望と活気に満ちた時代に、創始者七田 眞によって始められた七田式教育は幾多の困難を乗り越え、その乗り越えた以上の数えきれない喜びを子供たちとそしてその家族と共有してきた。情熱と信念を次世代に受け継ぎ、七田式は日本発の普遍的な教育として、言語や文化を越え世界各地で実践され続けている。

株式会社しちだ•教育研究所 代表取締役社長 七田  厚(こう)

 

七田式教育創始者 七田 眞は、カリスマ教育者であり幼児教育のパイオニア。

 

七田式教育は、知識を与えるのではなく、子供の本来持つ能力を引き出して高める教育だ。

根本にあるのは、「心の教育」。子供の能力だけでなく心を育む「全人格教育」で、優れた人間性を備え、世界で活躍できる子を育てる独自のプログラムを実践し、子供の能力を総合的に育む。

日本の幼児教育の第一人者、七田 眞(しちだ まこと)によって生み出された七田式教育は、2024(令和6)年、誕生から66周年を迎えた。

「私の父・七田 眞は、幼児教育のパイオニアであり、カリスマ教育者でもありました。この島根県江津市で、まだまだ幼児教育の草分けの時代1958年から幼児教育の研究を重ね、生涯で170冊の著書を残しました。その中で、『認めてほめて愛して育てる』という著書は、七田式教室の理念ともなった右脳教育の基盤ともなる言葉です。1976年に発刊された最初の著書『0歳教育の秘密』はロングセラーとなり、大きな反響を呼びました。また、1996(平成8)年に出版された著書『超右脳革命-人生が思いどおりになる成功法則』は30万部の大ヒット、日本中で右脳ブームを巻き起こしました。

昭和の終わり頃から3年ごとに100教室、1999(平成11)年には全国400教室を展開し、全国制覇を成し遂げました。メディアで紹介された翌日には電話が鳴り止まない状況で、江津郵便局に届く郵便物の約2割が当社宛だと言われる程でした。」と人懐こい笑顔でユーモアを交えながら語ってくれたのは、しちだ•教育研究所2代目七田 厚代表取締役社長だ。

「子供時代、父は戦前まで満州・中国で過ごし、終戦後、着の身着のままで北京から引き上げる時は19歳。祖父が暮らす島根県江津市に帰国し、そして復学しました。高校、大学と働きながら勉学に励みます。特に帰国した時には、自分より若い学生と比べて英語力に大きな差があることを痛感し、英語学習に猛烈に取り組みました。夏休みには、1日6時間という集中力で猛勉強し、夏休み期間中だけで3,000語もの英単語をマスターしました。その後、父は九州で英語通訳として働いた経験を活かし、まずは1958(昭和33)年に江津の地で英語塾を開きました。」

その後、1976(昭和51)年に幼児教室を開校。当時の日本では幼児教育はまだ一般的ではなく、眞は時代を先駆けて研究を重ねた。「私には兄がいました。とても賢くて、1歳7か月でひらがなが読めるようになっていたそうです。ところが、4歳の時に病気で幼い命を落としてしまった。幼い子供を亡くした両親は、想像を絶するほどの悲しみと苦しみの中にあったことでしょう。その時、私は1歳でした。 保育士だった母は、後に早くから文字を教えたりして英才教育をしたことが病の原因ではないかという同僚からの心無い言葉に大変傷ついたと話したことがありました。

兄の死をきっかけに、次男である私は普通の子供としてのびのびと自由に育てられました。そんな中、父に抱っこされて、家の中をぐるっと回り、目についたものについて、説明を交えながらお話をしてもらうことがありました。いわゆる『おうちの家具巡り』です。」 0歳、1歳の頃から家の中で『家具巡り』をしながらお話をしてあげることで、言葉の意味がまだ理解できなくとも幼い子供と親子のコミュニケーションをとることができるという。

「これはね、タンスというんだよ。ここを引っ張って開けると、お父さんの靴下があるね。お母さんの靴下もあるね。お父さんの靴下は大きいね。」「空を見てごらん、いい天気だね。電線に鳥が止まっているね。あれはすずめというんだよ、ちゅんちゅんと鳴くんだよ。」 兄が幼くして亡くなっていることもあり、次男としては平均以上に愛情深く可愛がってもらっていたと語る七田社長の目は、子供時代を思い出しているかのように優しい。

「小学生の頃は、父と遊ぶ時間がとても少なかった。父は英語塾を経営しており、いつも忙しそうでした。オセロが大好きだった私は、父と遊びたかったけれど結局、塾が休みでも父は読書に夢中でなかなか一緒に遊んでもらえない。我が家には車もなかったので、家族でドライブに行くこともできない。ましてや家族旅行は、年に数回程度でした。」と子供時代は父にかまってもらえないことがとても寂しかったと懐古しながら七田社長は笑う。

そんな中で、父と共同で行った夏休みの研究は、今でも良い想い出だという。それは、1日50語ずつ20日間で1,000語の英単語を記憶することに挑戦するというテーマだ。

「このチャレンジのきっかけは、父がかつて夏休みに3,000語もの英単語を覚えたというエピソードから着想を得たもので、父もこの研究に興味を持っていました。若かりし頃の父の偉業に挑み、『記憶の研究』としての視点も交えながら、研究をまとめました。」その後、家の片付けをしていた時に、何十年も眠っていたこの少年時代の夏休みの研究作品が発見されたと楽しそうに話してくれた。

 

 

 

すべての子供たちの「心と能力」を育む教育を次世代へ繋ぐ

 

中学卒業後、七田社長が広島県の高校に進学した頃、自宅では父が英語塾をやめ、本格的に有限会社七田児童教育研究所を設立。さらに東京進出の足掛かりとして、創業5年目に新宿の新築マンションの一室を借りて、東京オフィスが開設された。七田社長が東京理科大学在学中の時だ。

「当時は3万円程度の安アパートに住んで大学に通っていましたが、夜と週末は誰もいないのでそのオフィスに住まないかという父の提案を躊躇なく快諾、仕事を手伝うことになりました。社員は父の姉とアルバイト1名、そして私の3人だけ。事務作業は全て手作業でした。とても大変だったこともあり、パソコンを1台だけ準備してもらって事務作業をOA化し、効率化しました。」

仕事は次第に忙しくなり、勤務時間が週40時間を超える程に。学生ながら専務に就任、卒業後24歳で社長を受け継いだ。七田 眞は会長に就任。

「学生時代、父から会社を継ぐ意思を尋ねられた時のことを今でも鮮明に覚えています。当時の私はまだ若く、父の会社について深く理解していなかったこともあり、正直に『継がない』と答えました。漠然と『天才児をつくる仕事』というイメージが先行していたせいで、『天才児をつくる仕事』にあまり興味が感じられなかったからです。」

しかし、実際には、単なる「天才児をつくる」という枠を超え、すべての子供たちの「心と能力」を育み、無限の可能性を大切に育て引き出すという重要な役割を担っていると考えるようになってからは、とにかく会長を支え、経営の黒子に徹してきたと七田社長。

「基本は裏方に徹していました。父は講演や執筆活動に専念し、私は父が作りたい教材や企画を形にする、いわゆるプロデューサーとしての役割もこなしていました。」

「教育は変化します。幼児教育にスポットを当てると、少しずつ科学的に立証されてきています。七田 眞は、人間には自分も気づかない能力があるのではないかという仮説のもとに、自分が自分自身を高めるための自己催眠についての研究もしていました。父が繋いできたものを次世代へ繋いでいく使命を果たすべく、『七田式が、世界を変える。』というスローガンのもと、これからも、時代の先を行く教育を探究し続けていきたいと考えています。」

社長就任当初は教材づくりに専念した。以来、子供が楽しみながら遊びを通して学び、自ら発見して気づく「学びを好きになる教材」「本当に力が育つ教材」を独自開発し続けている。

 

左/株式会社しちだ•教育研究所 専務取締役 七田  一成

 

七田式教育の強み、いちばんは教材のクオリティ

 

「東京オフィスが開設された当初、島根の本社で作られていた教材は全て手作業で作られていたので不揃いで、手作り感が漂っていました。中身はともかく、どこか地味な印象がぬぐえず、見た目のクオリティが安定しない。将来的に生徒が増加していくことを考えると、そのような手作り感のある教材では対応しきれないと感じていました。その中で、教材のデザインや質感なども、学習意欲やモチベーションに影響を与える重要な要素であり、教材の中身が良いのは当然のこととして、外見もそれにふさわしいものにすることで、子供たちの好奇心と探求心を刺激し、より多くの人々に教材の魅力を伝えることができると考えました。」七田社長は、とことん一流にこだわりたいと話す。「教材全般、七田式教育のキャラクター、新社屋建設など100年企業を見据え、『一流』にこだわりたい。一流のサービスや商品を提供することで、社員のモチベーションを高め、高いパフォーマンスを発揮することができること、努力を惜しまず、強い意志を持って挑戦し続けることで、会社は持続的な成長を遂げ、顧客満足度の向上や社会貢献をすることができると考えています。」

現在、七田社長の右腕として長男である七田 一成専務が現場で8年間講師として子供たちを指導した経験を活かし、全国の教室を巡って講師育成やさまざまな取り組みなどサポートを行うほか、新規開拓も担当している。教育全般の責任者だ。

七田式教育の強みは何ですかという問いに一成専務が真っ先に答えてくれた。七田式教育の強みは、その高い教材クオリティにこそあるという。

「60年以上の実績を誇る七田式のプログラムに最適な教材で取り組んでいただくため、独自に各種教材の制作・プロデュースを行っています。2年に1回の高い頻度で教材のカタログを発行しており、これは他の会社とは一線を画すもので、しちだ•教育研究所ならではです。」

教材の使い方で右脳左脳の違いが出るという。「フラッシュでカードを見せた時にスピードに対応するのが右脳、解説しながらカードを見せるのが左脳の訓練です。」

教材はすべて教育者である七田 眞の長年蓄積されてきたリストから体系化され、それを基本に作られているという。

「教材のイラストタッチも年代ごとに変えています。七田式教育のキャラクターの『しちだっく』をはじめ、いろいろな会社とコラボしながら、こだわって作っています。」

 

七田式プリント

 

 

七田式教育の理念「認めてほめて愛して育てる」

 

「私たち人間は、誰もが無限の可能性を持って生まれてきます。それぞれが本来持つ才能を最大限引き出すためには、生涯で最も吸収力の高い幼児期から取り組むことがとても重要で、七田式教育は、何よりも【心の教育】を大切にしています。」2人は声を揃えてこう説明する。

「七田 眞が初版を発行してから30回以上版を重ね、七田社長がリニューアルしたロングセラーの本があります。その本『認めてほめて愛して育てる』は七田式教育の理念ともいえる書籍です。

右脳は愛情をベースに育ちます。子供に愛情が伝わると、脳幹から大脳皮質の右脳側へ向かって通路が開き、学習に適した脳の状態になります。七田式教育は、知識を与えるのではなく、子供の本来持つ能力を引き出して高める教育です。根本にあるのは、【心の教育】です。」

そして七田社長はかつて困難な状況に直面し乗り越えた体験についてユーモアを交えてこうも話してくれた。ロングセラーとなっている小学校低学年までを対象にした七田式プリントと聴覚教材がかつて会社の危機を救ってくれたのだという。

「1996(平成8)年に出版された『超右脳革命-人生が思いどおりになる成功法則』が30万部の大ヒットとなり、日本中で右脳ブームが巻き起こりました。その右脳ブーム終焉とともに予期せぬ事態が発生しました。メイン事業である幼児教育の売上が落ち始め、次第に業績は下降線を辿り、資金繰りが厳しい状況に陥りました。銀行から毎月500万円経費削減の計画書の提出を求められ、テレビCMも中止するなど、徹底してコスト削減にも取り組みましたが、いちばん減らすことができたのが、社長である私の給料でした。税金など必要経費を差し引かれ、残った手取りは月10万円以下でした。第3子が生まれたばかりでしたが、歯を食いしばって耐えるしかなかった。」

危機的状況の打開策として、顧客ニーズに寄り添った新たな教材を開拓。「それまでの対象だった未就学児だけでなく、ターゲットを拡大し、小学校低学年向けの学習プリント、それから鳥の声、童謡や楽器の音、クラシック音楽など、聞くだけで右脳が刺激される聴覚教材の開発に踏み切った。

「自己金融機能で資金繰りを改善する戦略として、聴覚教材であるCDの予約販売を始めました。CDを毎月1枚、年間18,000円で販売し、予約していただいたお客様には、新発売記念価格として年間15,000円で提供するという仕組みです。このキャンペーンに全国から2,000人の申し込みをいただきました。絶望的な状況の中でも、このピンチを救ったのは、それまで一生懸命に貢献してきた信用がすべてだと感じています。

そして低学年向けの学習プリント作りに3年間心血を注いできた結果、ある日銀行の支店長から「今期はいい数字が出ましたね」という言葉を聞いた時、それはまさに青天の霹靂のような朗報で、にわかには信じることができませんでした。」そう語る七田社長は、聞き手のこちらも引き込まれて思わず笑顔になる、そんな嬉しそうな顔だ。「右脳ブーム後の経営危機は、私たちにとって大きな試練となりましたが、その危機を乗り越えた結果、新たな成長を遂げたと確信しています。」

この危機の中、初めての海外進出も果たしている。海外でも七田 眞の著書の翻訳版が出版されており、台湾などから教室開設についてのオファーを受けていたのだが、少しでも打開策になればという思いだった。この海外進出が後に、第二の経営危機を救うことになる。

「会社経営が厳しい状況に直面している中でも、幼かった子供たちとの時間を極力大切にしていました。どんなに忙しくても一旦帰宅して子供たちと一緒に食事をとり、風呂に入れ、絵本を読み聞かせ、寝かせつけてから、2回目の出勤をしたこともありました。それは、単なる親子の時間というだけでなく、【心の教育】としての将来への投資であり、幼児教育のノウハウを蓄積する貴重な機会でもありました。今でこそ振り返って思いますが、自分がこの仕事と、そして【認めてほめて愛して育てる】という理念に向き合っていなかったなら、そんなふうに全力で子供たちと遊んでいなかったかもしれません。」

 

 

再び訪れた経営の大ピンチを乗り越えて

 

ようやく第一の危機を乗り越えたかに思えた矢先、さらなる試練が会社を襲った。2009(平成21)年、会長である七田 眞氏が病に倒れ、入院。同時期には、七田社長も心不全で手術を受けるという事態が発生、会長と社長の病状は公表せず、箝口令を敷くことになる。そして会長は回復を待たず79歳で逝去。会社の創業者であり、精神的な支柱でもあった会長の死は、カリスマ教育者であっただけに会社にとっても大きな損失であり再び経営のピンチをもたらすことになる。

その時、一成専務は高校生で、フランスに留学していた。その時のことを回顧しながら専務は、「高校2年生の時に祖父が亡くなりました。さらに父は心臓を患っており、会社存続の危機という噂まで立っていました。家業を継がなければという強い使命感に駆られ、フランスの高校を中退し、日本へ帰国する決意までしていました。」と話す。「かつて17億円を誇っていた売上は、10億円を下回っていました。 会長の死とさらなるリーマンショックの影響も加わって、8年間もの低迷を余儀なくされ、苦境に立たされました。とにかく大ピンチだった、そんな絶望的な状況を救ったのが、海外展開でした。」

当初は赤字部門だった海外事業部は、すでに開設されていた台湾、シンガポール、インドネシアの教室に加え、タイ、オーストラリア、中国、香港などを新たに新設、後に17の国と地域へ普及することになる。

七田社長はこう話す。「七田 眞はスターでした。父がいる時は私は完全に黒子に徹していましたが、そのスターがいなくなったことで、自分が矢面に立たなければならなくなりました。父は教育業界で著名な人物であり、講演や執筆活動は任せきりだったので、私は社長歴では20年を超えていたものの、幼児教育に関する著書は、ほとんどありませんでした。父の著書は会社の大切な財産として、それを基にブランドを維持し、発展させていく必要があります。必ず今の時代にも役立つ内容なので、多くの人に読んでもらいたい。そんな強い思いもあり、年に2冊出版するという目標を立て、今現在15年経って、父のリニューアル本と私のオリジナルを合わせて30冊ほど出版することができました。」執筆活動と共に、講演活動にも積極的に取り組んでいる。

2018(平成30)年、新たな経営体制を構築し、新体制「七田式教室」として全国の教室は再スタートを切った。2019(令和元)年末からの新型コロナウイルス感染症の流行による災難や危機的状況は記憶に新しいところだが、しちだ•教育研究所にも暗い影を落とすことになる。七田社長はコロナ禍での状況が決して楽ではなかったと語る。「コロナ禍は、現場では負担が大きく、甚大な影響があり、感染症対策を講じながら新たな教育体制を構築する必要性に迫られました。決して楽観視できる状況ではありませんでした。」

その度重なる苦難の中で、会長より生前、「5つの柱を持て」と言われていたことを思い出したという。それが、【通信教育・通信販売・会報発行・国内幼児教室・海外幼児教室】の5つの柱だ。これら5つの柱の相乗効果により、ブランド力を向上させ、持続可能な成長へ導くことができる。「コロナ禍にあって、通信販売部門は、巣ごもり需要の高まりにより息を吹き返し、現在に至るまで1日200件以上の注文に対応しています。」

 

SNSで情報発信するために動画撮影中の七田社長

 

七田式教育の根幹は、「食育・体育・徳育・知育」

 

2020年3月に新学習指導要領「生きる力」 が文部科学省より公示された。新学習指導要領では、生きる力を「知・徳・体のバランスのとれた力のこと」と表現している。教育基本法では、第2条の教育の目標の1つに「幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い【知育】、豊かな情操と道徳心を培う【徳育】とともに、健やかな身体を養う【体育】こと」と定めている。

七田式教育ではこの「知・徳・体」を踏まえたうえで、「食育・体育・徳育・知育」を重視する方針を打ち出している。このバランスのとれた「食育・体育・徳育・知育」が七田式教育の重要な基本だという。

「父、眞は、20代前半でかつて“不治の病”と呼ばれた結核を患い、当時としては決して楽観視できない病状で、ついに25歳で医者にさじを投げられてしまいました。父にはもっと勉強したいことがあり、生きたいという想いが強かった。生きる意志を胸に、山歩きや筋トレなどで体を鍛え、栄養バランスのとれた食事を心がけ、規則正しい生活を送った2年間の闘病生活の末、ついに結核を克服したという得難い体験をしています。健康を取り戻した眞は再び勉強と研究に没頭していくことになります。

そして、結婚。待望の長男を授かり、眞は自分の研究をとおして早期教育を施します。長男は驚くほど賢い子で、1歳7か月でひらがなが読めるほどでした。しかし、そんな彼が病気でわずか4歳という短い生涯を閉じてしまった。愛する息子を亡くした悲しみは、後に『生涯で最もつらい』経験だったと眞に言わしめている。どんなに賢く育てても、死なせてしまっては何にもならない。20代前半に結核を患い、闘病を余儀なくされた経験、そして長男を亡くした悲しみが、眞の教育観を大きく変えました。

子供を育てる上で最も大切なのは、食育と体育。健康な体作りは、良質な食生活から始まります。

次に重要なのは徳育。社会の一員として貢献できるような人間性を育む。

そして最後に、知育。知識や知性を身につけることは、将来の選択肢を広げるために必要です。しかし、体の健康がないと勉強どころではない。これらの要素をバランス良く育むことで、子供たちは心身ともに健康に成長し、社会に貢献できる人材へと成長していくことができる。真の『生きる力』を身につけるための根幹をなす、七田式教育ならではの『食育・体育・徳育・知育』を60年以上前から提唱しています。」

 

 

活発なコミュニケーションと深い理解で、チームワークを築く

 

2023(令和5)年、新社屋が完成した。「最初の自社ビルは1993(平成5)年に建てていますが、業績が伸びるにつれて、対応しきれない課題が顕在化し始めました。部門や従業員数の増加に伴い、オフィススペースが不足し、窮屈な環境での勤務を余儀なくされていたこともあり、いつかは”一流に!”という気概で66年間頑張ってきた今、4年後の設立70周年、その後の100周年に向け、未来へのさらなる投資として社屋を新築することにしました。」と七田社長。

玄関に入ると広いロビー、まず目に飛び込んでくるのが、緑に包まれた世界地図だ。そこを通り抜けると明るくオープンなオフィスレイアウト。先進的な空間にデザインされており、まるでここは江津ではないような錯覚に陥る。

一成専務も続ける。「快適なワークスペースと充実した設備は、私たちにとって誇りとなるシンボルでもあり、企業イメージアップや社員満足度向上につながっています。チームワークを重視した新しいオフィスレイアウトによって、部門間の連携やコミュニケーションの活性化、社員同士の協働が促進できるようになりました。」

最新のIT設備や通信設備を導入し、社員が共同で編集できるシステム構築など、業務効率の向上にも取り組んでいる。

「明るく風通しの良い社風は、定着率向上に貢献していると思っています。社員同士が気軽に話せる雰囲気があり、活発なコミュニケーションが日常的に行われています。情報共有が徹底されており、社員同士が常に最新の情報を共有することができます。ただ、良くも悪くも皆が優しいという側面があるのも否めません。自分の意見を遠慮してしまうのではなく、伝えたいこともきちんと伝えることができ、建設的なフィードバックも行うことが大切と思っています。チームで仕事をする場合、いくら個々の能力が高くても、チーム力、協調性がないと成果を出すことはできません。理解とコミュニケーションを通じ、チームメンバーの多様な視点を取り入れることで、より深みのある成果を生み出すために、より良いチームワークを築くことがいちばん大切だと考えています。」

2024年現在正社員77名。全体の7割を女性が占める。入社した新卒社員は、2022年度8名、2023年度4名、2024年度6名だ。千葉、滋賀、京都、広島など、県内外からの採用も多い。定着率は高く、全員が現在も頑張っている。2023(令和6)年には、雇用に関し優れた取り組みを推進している企業を表彰する「しまねいきいき雇用賞」を受賞した。

その一方で人手不足という課題も抱えている。島根県のほぼ真ん中に位置し、山陰型気候の中でも温和で冬季の積雪も少ない江津市は、美しい自然に恵まれ、温泉も多く、多彩なアクティビティも充実した町でありながら、人口減少と過疎化が深刻な課題となっている。近年は若者の流出も加速し、企業にとって人材確保が大きな課題となっている。会社の所在地が江津市という地方都市であることが人材確保の大きな課題となっているのではないかと一成専務は分析する。

「当社では、県外への求人募集も行っています。しかし、江津には娯楽施設が少なく、休日にどのように過ごせば良いのか悩む社員も少なくありません。プライベートでは孤独感を感じる社員もいました。ワークライフバランスがとれた豊かな町ではありますが、仕事では不満がなくとも、江津では休日にできることが少ないと都市部とのギャップを感じる若者は退屈を感じ、転職を考えてしまうことに。中途採用の説明会では特にそういったデメリットについて、自分でいかに楽しみを見つけられるか、都市部のような華やかさはないがその点は大丈夫かなど入念に説明します。」 離職率の低減を目指し、島根県民の採用を重点的に取り組んでいる。島根県出身者や卒業生などは、地域への貢献意識が高く、仕事にやりがいを感じやすい。地域人財を尊重し、地域への愛着がもたらす強みを活かしたいと考えている。江津の環境にもかかわらず、県内外から入社した社員の離職率が非常に低いのは、しちだ•教育研究所が魅力的な職場環境を築いていることが理由のひとつに挙げられる。また、社内でスポーツイベントや文化イベントなど、社員同士が交流できる機会を積極的に設けていることも特筆すべき要因だ。

「私が若い時には、1か月に2回程度、みんなと飲みに行ったものです。」と七田社長は気さくに笑う。「うちにはソフトボール部があり、部員も紅白戦ができるほどのメンバーが揃っています。この度新しく野球経験者が入社してくれたので、楽しみで仕方ないんですよ。」七田社長は温泉大好き、野球も大好きなのだ。ソフトボール以外にも、バレー部、茶道部、山岳部、釣り部も活動している。中国地方随一の大河江の川が町の中央を南北に悠々と流れ、中国山地を背に日本海に臨む、という豊かな自然環境に恵まれた江津ならではの特権だ。県外のオフィスの社員も呼んで社員旅行や運動会を開催するなど、様々なイベントが定期的に開催されている。「社長、幹部社員、社員同士の距離感も縮まり、互いのひととなりを知ることで相互理解を深め社員全体が一枚岩となって、それがさらに個々の能力を最大限に発揮できる環境を作ることにも繋がると期待をしています。」

 

ホール/2024年5月茶道部が茶席を設け、市民ら150人に茶をたてて振る舞った。源氏物語をテーマに茶道具をそろえ、地域貢献の一環で開いた。四季に合わせ3か月に一度、茶席を設ける予定だ。

 

 

「人を幸せにする心のある仕事をしよう」この社是を胸に

 

「当社にとっていちばん欲しい人財であり、かついちばん得難い人財でもあるのが講師職と営業職です。」

江津・浜田エリアでいちばん採用しづらいのが講師職と営業職だという。

「求める人財像は、幼児教育に共感してもらえる人。性別、年齢、経験は関係ありません。単に仕事として捉えるのではなく、共に夢を描き、幼児教育への情熱と使命感を持って私たちと共に取り組んでくれる人であって欲しいと願っています。

【人を幸せにする心のある仕事をしよう】当社の社員はこの社是を胸に、チームワークや人との繋がりを大切に仕事をしています。」

入社後は、職場で実務を経験しながら知識やスキルを習得、キャリアアップを目指す。しちだ•教育研究所では、年功序列制度ではなく、個々の能力を最大限に発揮でき、かつ多様な人材が活躍できる職場環境を整えている。

「七田式教育について学ぶ講座やジョブローテーションの実施で、『七田式教育』をはじめ、会社・事業部門・各ポジションが担っている役割への理解を深めながら、自身の『やってみたい!』をしっかりと考えられることが魅力です。一人ひとりの成長を会社全体でバックアップします。」

長い歴史を誇る安定性と、ワークライフバランスを保って働ける環境があるのでキャリア設計もしやすいと言える。「確かなノウハウがあるからこそ、自身に合ったポジションでスキルを高め、将来は仲間をまとめ、指揮を執るリーダー・マネージャーを目指すこともできます。仕事もプライベートも大切にしながら、自分らしい理想のキャリアを叶えていきましょう!」

 

新社屋外観

 

ロビー

 

地域貢献/新社屋周辺に点在する消火栓

 

 

国際部 湊(みなと) あさぎさん

 

仕事と子育てを両立できるさまざまなサポートがうれしい。

 

湊(みなと) あさぎさんは、シアトルの短大を卒業後さらに1年間シアトルで働いた経験を持つ。帰国後は、東京で5年間勤務。社会人としてのキャリアを築いた。結婚を機に、故郷である江津市へUターンを決意。長男が7か月の時に、しちだ•教育研究所に入社した。現在小学3年生の長男を筆頭に4人の子供たちのお母さんとして充実した日々を送っている。

「しちだ•教育研究所で海外展開をしていると聞き、応募しました。この町で知らない人はいない馴染みの会社で安心感もありました。英語を役立てられる企業が限られる小さな町なので、まさか自分の英語力を活かして仕事ができるとは想像していなかっただけに入社が決まった時は本当に嬉しかったです。」と湊さん。

2023年9月に産休から復帰したばかりだ。1年の育児休暇を取得した後も、子供が3歳になるまで時短勤務制度を利用することができる。「勤務時間は、朝8時30分から15時30分までの時短勤務です。出勤時間は、自分の働きやすい時間を選べるので、無理なく仕事と育児を両立することができ、助かっています。

この会社では、仕事と子育てを両立できるようさまざまなサポートがあります。子供が急に体調を崩した時でも、上司や同僚の皆さんに理解があり、フォローしてくださいますし、部内で情報を共有してもらえるので安心して仕事を続けることができています。」

湊さんの所属部署は国際部だ。いろいろな資料の翻訳する仕事の他にも、海外教室の担当をしている他の社員のサポートが主な業務になる。

「江津は、東京と比べて都会の喧騒とは異なり、自然豊かな中で人と人との心的距離が近く、温かい交流があります。空気感も穏やかなので、部署の枠を超え、年代も関係なく幅広く社員同士コミュニケーションが図れていて、とても仲が良い会社です。国際部は地元より県外出身者の方が多いのですが、アットホームな雰囲気です。育児をしながらでも働きやすい環境に感謝しています。」

 

 

子供たちの成果を目の当たりに、やりがいを感じる講師の仕事。

 

湊さんには復帰してからチャレンジしていることがある。毎週土曜日だけ研究開発部で英語講師として七田式英語コースのレッスンを担当している。

「4歳~5歳クラス、小学生に上がるクラス、3年生~5年生クラスと3つのクラスを担当しています。1クラス最大6名の生徒さんに対して、集中力を維持しながらの50分のレッスンは、私にとっても新たなチャレンジです。小学生以下の子供さんは親御さんも一緒にレッスンされますので、愛情を感じながら学べている様子は微笑ましく、喜びを感じます。

自分の経験を活かし教材制作にも参加させてもらっており、モチベーションにもつながりますし、そのことが子供たちの可能性を引き出し、能力向上に役立つのであればなおさらうれしいです。間もなく『英語が話せて当たり前』と言われる時代が到来すると思いますが、講師として自分のスキルアップの貴重なチャンスと思っています。子供たちの成果が目の当たりにできる、挑戦しがいのある仕事です。」

湊さんの長男は、湊さんの入社をきっかけに7か月から6歳まで幼児コースに通い、今はプログラミングコースを受講している。「本人はとても楽しんで通っています。7か月の頃からずっと七田式教育にお世話になっていますが、親の目から見ても記憶力はとてもいいと思います。このように、子供たちの成果が実感でき、しかもそれが自分が開発に関わった教材を使って能力向上に貢献できるのであれば、これ以上の幸せはありません。」

 

販売部 又賀 洸喜(またか こうき)さん

 

忙しい中でも笑顔の絶えない職場で、働きやすい。

 

江津市の隣町、益田市出身の又賀 洸喜さんは、入社4か月。まだまだフレッシュさが残る新入社員だ。

滋賀県で競走馬に関わる仕事をしていた又賀さんは、まさに異色の経歴の持ち主だ。高校時代は野球一筋だった又賀さんは、兵庫の大学へ進学。大学生の時に初めて訪れた競馬場で競走馬のかっこよさに心底心を奪われ、調教師への道を決意したという。調教師への夢を実現するために大学を中退し、滋賀県の競走馬育成牧場で3年間働いたが、腰の怪我などもあり、夢を諦めることになった。

「当時は本当に悔しかったですが、21歳の時に、地元の益田市に帰りました。もともと人と話すことが好きだということもあり、営業の仕事を探すことにしました。」

その後、結婚。転職した次の職場での3度の転勤の内、江津に2年暮らしたところ、江津が住みやすく気に入ったこともあり、江津市で生活できる新たな職場を探すことに。そこでしちだ•教育研究所と出会う。

「我が子も1歳半、幼児教育という点でとても勉強になることが多いです。所属は、販売部。1日200~300件の受注に対応し、教材の在庫管理など様々な業務を担う部署だけに、活気に満ちた職場でやりがいがあります。いい人ばかりで、まだ入社4か月なのですがとても馴染みやすい職場です。幼児教育の会社だからか、働いている人も穏やかな人が多い印象です。忙しい中でも笑顔が絶えない温かい人間関係の中で働きやすく、忙しいことは全然苦になりません。」

 

 

教材に込められたたくさんの想いを子供たちに届けたい

 

又賀さんは、益田市の野球の名門校出身だ。3年の時は140名の部員のキャプテンを任されていた経験を持つ。その経験は、又賀さんにとってかけがえのない財産となっていると話す。「責任感、リーダーシップ、コミュニケーション能力、困難を乗り越える力、チームワークなど、自分を大きく成長させてくれました。これらの貴重な経験は、仕事にも必ず役に立つと思います。

また、この会社に入って『認めてほめて愛して育てる』という言葉に出会ってからは、我が子にも親としてできることを一生懸命やりたいと思うようになりました。今まさに子育て中ですが、毎日どんどん成長していることが目に見えてわかります。ここで学べることは学び、吸収していきたい。日々学びがあり、刺激的です。」

注文を受けた教材を梱包し発送する仕事は単なる作業ではなく、【子供たちの未来を変える可能性を秘めた大切な仕事】と考えるようになったと又賀さんは話す。「この教材で子供たちの何かが変わるかもしれないという意識を持つようになってからは、適当にはできません。届いた箱を開けたときに、子供たちがどんな笑顔を見せてくれるだろうかと想像すると思わず楽しくなってしまいます。たくさんの人が関わって作られている教材は、子供たちの未来への投資。この教材に込められたたくさんの想いを子供たちにしっかりと届けたい。」

又賀さんは、「ただ単に詰めていくのは面白くない」 と考えている。 「プラスアルファ、付加価値を意識して仕事をすることは大切だと思います。」

 

 

 

マーケティング部 課長 山崎 顕二郎さん

 

七田式教育を全国区へ。マーケティング部での挑戦

 

山崎 顕二郎さんは、勤続15年。七田式教育の普及に情熱を燃やすマーケティング部課長として、若い部下達と一緒に日々奮闘している。「マーケティング戦略は常に新しい手法が生まれ進化し続けている分野です。市場動向、競合他社の状況、顧客ニーズなど、様々な情報を集め、分析することで、効果的なマーケティング戦略を立案、実行していきます。」課長として若い人に劣らないよう、日々学び続ける姿勢を忘れずにいる。

「部下は県外出身者が多いですが、若い部下たちとフラットな関係を築き、自由に意見を言い合える環境を作ることを心がけています。年齢の隔たりを感じさせず、マーケティングという共通の話題でコミュニケーションを図り、チームワークを高めています。新しいことに挑戦する目的や目標を明確にして、みんなと共有したり共感することで、一体感が生まれます。

以前は、成績を上げることが喜びだったのですが、最近はマーケティングという仕事を通して、部下が成長していく姿を見ることができるのがうれしいと思うようになりました。部下はかわいいですね。」と山崎課長は笑う。「七田式教室は、全国に現在約230ほど展開されていますが、これをもっとコンビニのような身近な存在にしたい。子供たちがいつでもどこでも気軽に七田式教育を受けられる環境を提供することで、より多くの子供たちの可能性を伸ばしたいという夢があります。家庭でも教室と同じレベルで学べる環境を整えたい。」という熱い思いを抱いている。

 

 

 

先代の思いを、若い世代にも

 

山崎課長は、七田 眞会長と一緒に仕事をした貴重な経験を持つ今となっては数少ない社員のひとりだ。

「もともと私は塾の講師をしていましたが、眞先生と出会ったことが入社のきっかけです。この会社に採用していただくことになり、大人の能力開発の仕事を担当していました。先生との時間は私にとってかけがえのない体験で、先生の教え方は興味深く、様々なことを学び、自分の成長にも繋げられました。」と振り返る。

「眞先生は一言でいうと、実に子供のような純粋な方でした。成功を収めるためには、様々な要素が必要かと思いますが、先生は特に人一倍強い探究心を持ち、ひとつのことにとことん熱中する集中力を兼ね備えた人でした。読書について言えば、1日3冊、月100冊は読破しておられました。私はもともとそんなに読書が好きではなかったのですが、先生の影響で本好きになりました。眞先生と約2年間ずっと一緒に仕事をさせてもらいました。出張も一緒でした。たくさんのことを教えてもらえたことは、本当にラッキーでした。感謝しかありません。」眞会長が亡くなったのをきっかけに企画推進部へ異動、そして現在のマーケティング部所属になった。元来、新しいことに挑戦することが好きで、新しい業務に携わることは、これまでとは違った知識やスキルを身につけることができるので、むしろやりがいを感じたという。

 

制作部 主任 梨子木 温子(なしのき あつこ)さん

 

制作部で教材や広告を作成。マーケティング部と切り離せない部署。

 

梨子木 温子さんは、島根県浜田市出身。入社9年目を迎える制作部主任として、教材の中身作りから広告制作まで、幅広い業務を担当している。「教材の内容を企画、原稿を作成し、外部のデザイン会社や社内発注したりして、教材を完成させます。教材制作以外にも、マーケティング部と一緒にチラシ、web 、YouTube、instagramの広告を制作したり、業務は多岐にわたります。」

教材をはじめ、さまざまな制作物を作成していることから、社内の全部の部署と関わりがあり、特にマーケティング部とは切り離せない間柄だ。制作部の前は、山崎課長と同じ部署、企画推進部だったという。

「制作部では、教材の品質向上と費用対効果のバランスを考慮しながら、七田式教育の理念を体現した教材をお客様に提供することで七田式教室の信頼性を高めたいので、品質にはとことんこだわっています。七田式教育の独自性や価値を明確に伝え、競合との差別化を図るために、マーケティング部と共にブランディングを確立し、七田式教室ならではの強みを訴求していきたい。教育に熱心な方は、七田式教育をご存じかと思いますが、都市部ではまだまだ7人に1人くらいの知名度かなと思います。さらに知名度を高めて、お客様に七田式教育を誇りに思ってもらえたら、というのが目標です。」

 

 

 

お客様の声は喜びと励み

 

梨子木主任は、広島のデザイン会社で数年勤務した後、地元の浜田市へUターンした。デザイン業界から一度離れ全く違う分野に挑戦したいと考えていた梨子木主任だったが、新たな職場で再びデザイン制作に関わることになる。その時作成したポスターを見た職場の上司が、しちだ•教育研究所に紹介してくれたことをきっかけに、まずは企画推進部でwebの画像作成などの業務を担当、そして現在の制作部に所属することになる。

「異動にあたり、最初は少し不安ではありましたが、もともとデザイン制作をしていたこともあり、業務にはすんなり馴染みました。お客様からうれしい声が届いた時、どんな些細な内容であっても、喜んで使っていただいているということだけで、日々の仕事に対する活力になります。それが成果に繋がっているということであれば、もう格別な喜びです。まるで、自分の努力が形となって認められたような、何とも言えない達成感があります。

もちろん、お客様からのご意見は、時には厳しい指摘や改善要望も含まれますが、それもまたお客様からの貴重な声であり、更なる成長の糧となります。お客様の声に耳を傾け、真摯に向き合うことで、より多くの喜びを生み出すことができる。それが私のやりがいに繋がっています。私たちの会社では、ひとつの会社の中で【つくる、生み出す】ことから【お客様の手元に送り届ける】ところまで一貫しています。キャリアアップに繋がることが多く、うちの会社ならではの魅力です。」と梨子木主任は日々の充実感を話してくれた。