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創業以来70年間、「製品ではなく商品を納める精神」の経営理念一筋に 「和而不同」の精神のもと喜びと満足をお客様に提供し、百年企業を目指す

株式会社フクダ / 建築施工管理技士

インタビュー記事

更新日 : 2024年04月18日

出雲市、斐川町を中心にて、山陰両県に根差してまちづくりやサービスの提供を行うことを事業の大きな目標に据え百年企業を目指す。その土台となる基本理念「山陰を未来まで強く」を掲げ、株式会社フクダは総合建設会社として1954年の創業から70年間、地域密着型の企業として、地元のニーズに合ったきめ細やかなサービスを提供し続けている。長年の実績と経験に基づいた高い技術力は地元斐川になくてはならない存在として信頼されている。

株式会社フクダ 事業概要

【事業内容】

●総合建設業

《土木工事》

道路工事・橋梁工事・河川工事・ダム工事・トンネル工事・鉄道工事・港湾工事 ほか

《建築工事》公共施設(学校・病院・福祉施設・官公庁)

《民間施設》オフィスビル・マンション・店舗・工場・住宅 ほか

《その他》リフォーム・測量・コンサルティング

●関連事業

アグリ事業、ソーラー発電事業(ソーラーファーム斐川)、不動産事業

 

●グループ会社

株式会社コスモ建設コンサルタント

ヒカワ工業株式会社

出雲空港ホテル

斐川北SS/株式会社寿商事

株式会社寿開発

 

1954(昭和29)年6月、初代社長福田壽夫によって現在の出雲市斐川町にて「福田組」の名で創業。時は遡ること1943(昭和18)年。その年9月19~21日の3日間にわたり台風26号の影響による集中豪雨で暴れ川斐伊川が氾濫し、斐伊川流域では死傷者6人、家屋全半壊36戸、 床上下浸水3,745戸、堤防決壊23ヶ所、田畑被害11,316ヶ所(出典:出雲河川事務所作成) という甚大な被害を受けた。さらに翌年の1944(昭和19)年、翌々年1945(昭和20)年と立て続けに災害が発生し、当時はまさに第二次世界大戦真っ只中で、地域社会は大きな混乱と困難に直面した。男たちが戦場に出ていたため、復旧作業に必要な労働力が決定的に不足し、代わりに女性や子どもが動員された。

壽夫もその当時中学生ながら、その過酷な状況にもかかわらず、懸命に働いた。そして1945(昭和20)年、第二次世界大戦が終結。戦後の混乱の中、人々が食糧難に苦しんでいたことは周知の事実だ。そんな社会情勢の最中ではあったが、戦争や水害で荒廃した土地を復興し、食糧増産を目指した農地開拓事業がここ斐川町で始まった。この農地開拓事業にも、壽夫は家業の農業の傍ら土木工事に従事した。彼はいい物を造るためには高い技術が必要だと考え、一緒に働く作業員から腕のいい仲間を集め、丁寧で“質”のいい仕事を納め県の職員から信頼を得てきた。やがて独立してはどうかと薦められ、仲間と共に街の役に立てると独立を決心する。これが株式会社フクダのルーツとなる。

 

株式会社フクダ 代表取締役副社長 福田 佳典

 


製品でなく、【商品】を納める。その信念を受け継いでいく。

1954(昭和29)年の創業当時は、まさに高度経済成長期(1955年~1973年)に突入し始めた時期と重なる。日本経済が飛躍的に成長を遂げたこの時期に、福田組もその波に乗りさまざまな経験を積み技術力を獲得していく。
「インフラ整備が急速に進み、水道工事、土木工事、河川改修工事、水門を作る工事などが県内でも盛んに行われました。その時代を経て、今現在勝ち残ることができているのは、祖父壽夫の『とにかく良いものを作りたい』という信念を世代を超えて受け継いできたからだと思っています。」と代表取締役副社長 福田佳典さん。「当時の仕事は今からすると雑な仕上がりが多かったようです。それではいけないと思った壽夫は口癖のように『製品ではなくお客様に喜んでいただける商品を作れ』と言っていました。」それがまさにフクダが創業時から70年間大切にしてきた信念だ。
工業製品にように右から左へ作る《モノ》を納めるのではなく、顧客のニーズに合致した付加価値のある《商品》を心を込めて提供すること。設計図通りに作るのは当たり前。重要なのはそれだけでなく、そこに磨き上げる心がないといけないという意識。だからこそ壽夫は、腕のいい職人を手元に抱え、抜きん出て良い仕事を積み重ねてきた。対発注者への貢献を実現することで一歩一歩信頼関係を築いていった。斐川のこの地元に根差し働いてきた壽夫は、田んぼのあぜを治すなど地元の人々の困りごとへの対応など地域貢献にも注力した。「斐川町は元来農業が盛んな地域です。今でも社員の中には兼業農家として農業を営んでいる者もおり、かつては社員の親戚付き合いの中から仕事を受注していたこともあります。」
地元斐川の歴史、文化、経済、社会などの特性を深く理解したうえで、地域の人々や社員とのコミュニケーションを大切にしてきた。

 

 

 

戦後、初代社長福田壽夫の時代から水害の復旧や農地を整備してきた宍道湖河口から斐川平野

 

 

 

 

 

和而不同。お互いが和して敬いながらも、切磋琢磨をして自己研鑽に励む。

「もともと会社の周りは飲み会が盛んな土地柄で、仕事の後の飲み会などでコミュニケーションをとるのが、当時から日常だったそうです。」と人懐こい笑顔で話してくれた。「創業当時から壽夫は社員をとても大切にしてきました。社員たちともよく飲み会を開いていたそうです。フクダだけでなく、グループ会社も昔は隣り合わせだったので、駐車場や倉庫で社員同士が集まってバーベキューなどで楽しんでいました。リラックスして酒を酌み交わし、日頃話せないような本音や意見を交換する場として、若手から年配社員に至るまで年齢を超えて親睦を深めてきました。若手社員が仕事や社会人としての心構えを学んだり、社員間の相互理解を深める良い機会でもあります。不思議なことに最近でも会社の飲み会は若手社員の出席率の方が高いくらいです。」と佳典副社長は笑う。
「我が社の経営理念の一つに『和而不同』、お互いが和して敬いながらも、切磋琢磨をして自己研鑽に励むことを挙げています。」飲み会などで培った相互理解を活かしながら、仕事上でも互いの意見を尊重し、異なる意見や考えを交換する中で、視野を広げスキル向上に繋げていく。戦後、地元斐川において土木事業の黎明期からフクダを支え続け発展の礎を築いた亡き祖父壽夫の信念は、さまざまな場面で、世代を超えて踏襲され続ける。

 

 

 

土木関係工事

 

創業70周年の節目に

かつて、小さな工事からスタートしたフクダは経験と技術を積み重ね、着実に信頼を築くことにより、大きな規模の工事を受注できるようになっていった。規模拡大は、単なる数字の増加ではなく、フクダにとって新たな挑戦への扉を開くものでもあり、かつ責任ある企業へさらなる成長を促すものだ。
現在、メインの業務としては工事施工管理を主とし、工事全体の責任を担う。建設工事の現場において、工事が計画通りに安全かつ高品質に完成するように管理する仕事だ。工程管理、品質管理、安全管理、関係業者との調整など発注者と工事施工する会社の間にたってマネジメントをする。受注先の幅も広がり、国土交通省、島根県、市町村そしてJRの仕事も受注している。
佳典副社長によれば「もともとつるはしを担いで現場に行くというような部隊を抱えていた昭和30〜40年代に、JRの仕事を手伝っていた所縁が今でも続いています。何十年も前から今現在に至るまで続けてこられたのは、ひとえに社員一丸となって地道にいい仕事をしてきたことで信頼を勝ち得ることができたのだと思っています。」
2024(令和6)年は、創業70周年だ。この節目に、フクダグループ全体で共通の目的となる「フクダグループ基本方針」が策定された。グループ全体の力を結集し発揮させるため、事業方針・目標や信条を社員全員で共有し、実践するためだ。

 

 

 

 

フクダグループ基本方針を全社員一丸となり率先垂範する

「今年、私は35歳を迎えます。そして、我が社は創業70周年という節目を迎える。私が65歳になる時には、会社は百周年を迎えることになります。百周年という記念すべき日を、自分の目でしっかりと見届けたい。そのためには、会社がこれからも成長し、発展し続けなければならない。そして、私も会社の一員として、その発展に貢献していく必要がある。そのための準備は、今から始めていく必要があると考えています。百周年に向けての投資と考えています。百周年という目標に向かって、全社員一丸となって努力していきたい。そのために、フクダグループ全体の、基本使命、10年後のビジョン、信条からなる「基本方針」を策定しました。」と佳典副社長。

「まず基本理念【山陰を未来まで強く】。山陰両県をフィールドにまちづくりやサービスの提供をする強い会社にならなくてはと思っています。他にも創業時から私たち社員が守ってきた社風を改めて言葉にして再確認できるように行動使命や信条を作っています。ひとつ一つの中身を大切にして、率先垂範していくことが大切と考えます。」

 

 

 

 

斐川といえばフクダ、その名に恥じない企業として

「建設業界は、社会インフラの整備・維持管理を担う重要な産業です。しかし、島根では、山陰道や斐伊川放水路が出来てきて一つの節目にあり、業界の未来を不安に感じている人も少なくありません。しかし、社会変化に対応しながら生き残らないといけません。」と佳典副社長は力強く話す。
「私はフクダに入社する前は、国土交通省の職員でした。行政の仕事と建設会社は立場が逆なので仕事の流れは全く違いますが、建設業界が、災害からの復旧・復興、老朽化したインフラの整備や更新など、社会活動の基本を支える重要な産業であることはよく分かっていました。だからこそ、地域の人々が安全安心に生活できるようサービスを提供し続けていけるように、会社を存続させる使命が私たちにはあります。」
その名に恥じない企業として地域社会に貢献していくという強い想いを語った。

 

 

出雲では一人ひとりに求められる価値観、期待値は大きい

県外暮らしが長かった佳典副社長はこう感じている。「出雲に帰ってきて感じることは、東京よりも出雲の方が人ひとりの存在価値がとても大きいということです。1人の存在は、関東で2千万人分の1、出雲では20万人分の1、単純計算では100倍です。一見すると数字遊びですが、会社の中に限らず、地域でみても実際に一人に求められる価値感、期待値が大きい。」と。
「東京よりも、出雲はどう考えても地域との関係が密。東京にいたらできないことでも、出雲ではできる。当社のような売上40億円くらいの企業は、東京では埋もれてしまうかもしれません。しかし、人のご縁の中で生きる出雲では、地域経済を支える重要な存在として、地域の人々とのつながりの中で、私たちは誇りを持ちながら事業を展開していくことができます。」
近年は、土木業界においても例にもれず人口減少や高齢化の影響を受け、深刻な人材不足に直面している。島根県東部においても都市部への人口流出などの課題を抱えていることもあり、佳典副社長は、島根で働きたいと思ってもらえる人を増やしたいと願っている。
フクダでは高校、大学への採用活動を通して、将来の職員候補となる学生と積極的に接点を作り、人財の確保に努めている。地域社会との繋がりを重視しており、中学生の職場体験、高校生のインターンシップは、毎年途切れることなく実施されている。2024年新卒採用においては7人中3名が県外からのUターン者であり、また県外出身者も多く在籍している。
「県内でも有名な会社であれば、そこで働きたいと思ってもらえ、優秀な人財も引き寄せることができます。最近意識するのが『自ら輝かねば夏の虫さえ寄り付かない』という言葉です。業界全体に逆風が吹いている中で、ここで働きたいと思ってもらえる会社にしないとならない、その一環で新社屋建設も計画を進めています。もちろん社屋を新しくしただけでは人財は確保できませんが、私たち自身も成長して、フクダで働きたいと思ってもらわないといけない。」

 

 

 

 

先輩後輩の関係が良好で風通しが良く、働きやすい環境

フクダでは、この10年間で30人の新卒社員を採用している。その上、若手職員の離職率は極めて低い。入社後の育成に重点を置いているため、学生の出身学部に関係なく、入社後の外部研修やOJTを通して、新卒社員が仕事に必要なスキルを身につけられる体制を整えている。実際に最近の大卒新入社員は全員文系出身だ。文系出身者であっても本人のやる気さえあれば活躍できる環境を作っている。
「社員の成長意欲をさらに高めたい。社員が自らの成長を実感できるような機会を提供することで、モチベーションを高め、定着率向上に繋げたい。」教育制度の施策については、佳典副社長はまだまだ試行錯誤中だという。「うちの社員はなぜだか飲み会を楽しみにしています。」と言うほど先輩後輩の関係が良好であることから、風通しが良く、働きやすい社風であることが伺える。OJTでは、教える側も年が近い者に任せており、新人社員にとって仕事も覚えやすく、相談しやすい環境を整えたいと考えている。
約100名在籍する社員の約6割が施工管理の仕事に携わっており、管理業務において資格保有が大前提であることから、資格取得を徹底することで、社員の資格取得への意欲を高め、専門性の向上を図る。フクダでは、資格取得費用を会社が負担する制度もあり、特に一級建築士のような難易度が高く、費用も高額な資格取得を支援することは、社員のモチベーション向上に大きく貢献している。

 

 

 

 

「人たらしであれ」

佳典副社長に求める人財像について率直に訊ねた。
「まず大前提として、建設業の仕事を好きになってくれる人、興味ややりがいを持ってくれる人です。地域社会への貢献は、我が社の仕事の根幹でもあり、「建設」という仕事の本質です。地域のために役に立っていることを入社後に気づいても全然遅くない。建設という仕事で地域に貢献することにやりがいを持ってもらえる人、そして喜びを見出せる人を求めています。」仕事を通して地域社会に貢献しているという意識を持ち、誇りと責任感を持って仕事に取り組める人財を探している、との明確な答えだ。
「夏は暑く、冬は寒い。天候にも左右されるなど、現場での仕事は厳しい環境かもしれません。最低限の忍耐力と、周囲と協力して仕事を進めるためのコミュニケーション能力が必要です。未経験から始めても、できる仕事がほとんどです。積極的に新しいことに挑戦し、学ぶ意欲のある人材であれば、歓迎します。」
そしてこう締めくくった。「社員の皆さんには、人たらしであってほしい」と。
「究極なところを言えば、そこに尽きます。建設の仕事で、一人でできるものは一切ありません。仕事をやり遂げるには、コミュニケーションを通じて、相互理解して信頼関係を構築することが重要になってきます。」
フクダの社訓は、【感謝・忍耐・貢献】だ。まさに感謝の気持ち、忍耐力、貢献といった要素は、『人たらし』となるために必要な資質ではないだろうか。

 

 

株式会社フクダ 軌道班 松直 叶(まつなお かなう)

 

 

命に関わる大切な「軌道班」の仕事

松直 叶(まつなお かなう)さんは、30歳。ただいま入社4か月。いい意味でまだ馴染みきっていない、日々新鮮な気持ちで仕事に向かうフレッシュマンだ。
フクダでは「軌道班」に所属している。「軌道班」とは、鉄道の線路を維持・管理する部門だ。具体的には、レールの清掃・検査・修繕、バラスト(線路の下敷きとなる砕石)の清掃・補充など線路設備全般における保守・管理を担当する。「軌道班」の仕事は、安全な鉄道運行を支える非常に重要な役割を担っている。
部署は、少数精鋭9名。先輩たちは、松直さんの父世代くらいのベテランばかりだ。軌道班に配属されて最初の1ヶ月は基本的に4人1組で作業を行う。その後は2人1組で作業を行うが、1人で行う作業はない。安全上、必ずバディと共に行動する。「体力がものをいう仕事なのですが、自分がその年代になった時に、果たして自分は同じようにできているかなと自分に置き換えて考えると、自分以上にばりばりやっておられる先輩たちの仕事ぶりを見ると自分も負けていられない!といつも思います。」と松直さん。
メインの業務は主に列車の運行がない時間帯に線路全体を占有して行うため、夜勤となる。現場によって集合時間が異なる場合が多い。日勤では、機材や車両のメンテナンスや書類作成などを行っている。「軌道班」は、日勤と夜勤を交代で行う、体調管理も大切になってくる仕事だ。
「バラストは、線路に使用される砕石で枕木の下に敷き、線路を安定させる役割を果たしていますが、列車が走った後は、その振動でバラストが崩れてきます。線路に異常があると、列車が脱線したり、衝突したりする危険性が生じます。そういった事故を未然に防ぎ、安全にそして快適に乗客を目的地へ届けるためにも、線路の保守点検は命に関わる大切な仕事と認識しています。」

 

 

自分の努力が形になったという達成感と貢献意識

松直さんは中途採用でフクダに入社。「求職活動をしながら、漠然とではありますが、次の仕事は何か人の役に立つ仕事がしたいという気持ちが強くありました。」と松直さん。きっかけは、土木事業に携わっている友人が汗水流しながら一生懸命に働いている話を聞いていたこと。それが徐々に憧れに変わっていったという。「身近なところで影響を受け、自分もそういう仕事に就いて、達成感を味わいたいと思うようになりました。」求人でこの『軌道』の仕事を見つけた時に、その内容が陰ながら鉄道の安全運行を支える責任重大な仕事であり、その分、安全な運行に貢献できたときのやりがいは大きいのではないかと感じ、やってみたいと松直さんは応募した。
フクダでは、JR西日本からこの軌道の業務を初代社長時代の1976(昭和51)年から受注し、約50年間任されている。島根県では、2社しかできない専門的な仕事だ。フクダでは、鳥取市から島根県益田市間で線路の点検・修理・整備を行う。軌道作業は、高所作業や電気設備の作業など、危険が伴う作業も多く存在するが、『墜落、感電、列車への接触』は三大労災として特に注意が必要だ。「作業責任者や先輩の指示通りに十二分に注意を払い、安全意識を高めるようにしています。それだけに、きれいになった線路を見ると、自分の努力が形になったという達成感と、安全な鉄道運行に貢献したという貢献意識を感じます。」と話す松直さんの姿から、充実感や誇りがあふれているように感じられてならなかった。

 

 

自分のスキルアップが会社や社会貢献への未来像につながる。

「軌道の仕事は体力がいる仕事です。私は高校野球をしていたので体力には自信があったのですが、入社後1ヶ月くらいは筋肉痛でした。」と松直さんは笑う。「最初は重いと思っていた力仕事も、今では慣れて気にならなくなりました。2人1組になって機械で作業する力仕事は、長ければ1kmの距離を作業することもあります。枕木の釘を3〜4kgの重さのハンマーで叩く作業は、ハンマーが重いし、最初は空振りするしで、うまくできるようになるまで時間がかかりましたが、この中で自分が一番若手なので一番キツイ仕事をやらせてくださいと手を挙げてやらせてもらっています。おかげで今は少しずつ筋肉がついてきてうれしいです。」
「音をあげそうになったことはありますか」と訊ねると松直さんはきっぱりこう言った。「ありません」。
「先輩方は皆さんいろいろためになる情報を教えくれます。面倒見が良い方が多いので、質問もしやすく、馴染みやすい環境で感謝しています。」と話す松直さんは、将来的に資格をとり、新しいことへの挑戦を希望している。「バックホーの仕事や、作業計画を立てるにも資格が必要です。将来的には、そういう業務にも携わらせてもらってスキルアップし、会社にも社会にもさらに貢献していくことが自分の描く未来像に繋がっています。」