特定医療法人壽生会 会長 宮 本 享
自分が入院患者の立場になって初めて気づいた医療・介護の複合ニーズ
特定医療法人壽生会寿生病院は昭和59(1984)年5月2日に、当初病床74床で開院された。創業者宮本伊四郎は、家業の農業を通してさらに、「地元出雲の人々のために働きたい」という気持ちを強くする。彼は議員として立候補、当選後は念願通り出雲の発展に向かって邁進する。
その彼が寿生病院の開設を実現させたのは80歳になろうかという齢を重ねた晩年のことだ。「今まで地域の皆さんから受けたご恩を返していきたい。地域貢献のための病院にしたい」という強い思いがあった。
今でこそ高齢者医療制度をはじめ高齢者が安心して医療や介護サービスを受けられるよう様々な支援制度が設けられているが、当時は医療はさておき、高齢者介護サービスが現在ほど整備されていなかったため、精神的に不安や負担を感じることも多々あっただろうと推測される。自分が患者の立場になったことで彼は初めて高齢者介護サービスの重要性に気づいた。70歳を目前にして入院したことがきっかけとなった。
「地域貢献のための医療」「誰もが穏やかな老後を安心して迎えることができるように」そのための病院を他でもない自分がつくるのだと一念発起。そして、彼の信念は子ども、孫、そしてひ孫へと受け継がれていく。
宮本正辰2代目会長の代には、民生委員や社会福祉協議会の仕事に携わっていく中で抱いた、「誰もが安心して暮らせる社会にしたい」という思いを形にするべく、『出雲南福祉会』を平成10年に設立する。 特定医療法人壽生会と連携し、今日まで多くの福祉に関わる事業を多角的に展開している。
さらに平成17(2005)年には、現在の出雲市上塩冶町へと寿生病院は移転することになる。
70床から始まった病床は今や239床に増床、それに伴い医療・介護スタッフも医師を合わせ約300名となっている。
寿生病院 ロビー
患者様がより安心して尊厳のある生活を送ることができるように
「私たちは老化によって身体的機能や認知能力の低下が進行すると、今まで日常的にできていたことができなくなってきます。そのことで、自分自身に対する自信や自尊心が失われてくることがあります。認知能力の低下によって思い出せなくなったり、集中力が続かなくなったりすることで、社交的な活動や趣味などを楽しむことが難しくなり、孤独感や抑うつ感を抱えることもあります。」と宮本会長。
「私たちの仕事で最も重要なことは、患者様の立場にたって考えること。患者様の立場にたった医療や介護を提供し、皆さんがより安心して尊厳のある生活を送ることができるように力を尽くします。また、私たち自身も、患者様とのコミュニケーションを通じて、自分自身の専門性を高め、よりよいサービスを提供することができます。」今まさに医療・介護の連携の必要性が高まっている。
寿生病院は、緊急外来に対応する体制を持たない。その分、地域の医療ニーズに合わせた役割を担う病院としての強みがある。「医療と介護」の複合的支援に特化している。
「私たちは、『病院らしくない病院』を目指しています。患者様やそのご家族が不安や緊張感を感じることなく、心身ともにリラックスできる病院でありたいと願っています。そのひとつの試みとして、この病院のロビーはホテルのロビーのような落ち着いた雰囲気と居心地の良さを感じていただける空間にしています。病院を訪れた患者様やそのご家族のみなさんが感じる不安や緊張感を少しでも軽減することができ、快適な待ち時間を過ごすことができるように。」
また、寿生病院における「マンパワー」は、人の尊厳を大切にする仕事だからこそ、最も重要だ。「患者様の入院生活の中での悩みや問題を共有し、共感し、解決することで、よりよい療養生活を支援します。」求める人材は「挨拶がしっかりとできること。コミュニケーションの基本的なマナーの一つであり働きやすい職場環境であるためにはとても大切なことだと思っています。」
特定医療法人壽生会 看護部長 杠 美和子
自分の可能性に挑戦してみることで人生が大きく変わることがあります
寿生病院、介護老人保健施設、グループホームそしてデイサービスの看護部の運営・管理、スタッフの育成などに携わる看護部長として令和4(2022)年4月から壽生会に着任した杠(ゆずりは)美和子さんは、自身も大阪からのUターン者だ。結婚して大阪に嫁いだが、一人娘だったため、父が亡くなったのを機に出雲に帰ってきた。当時子供たちは小学校低学年、年長さんとまだ幼く、杠さんは医療クラークとして近くの病院に勤務する。
その後、その病院の直属の先生からのアドバイスが杠さんの人生の転機となるとは誰が想像しただろうか。「杠さんは看護師に向いていると思うよ」
杠さんは看護師の仕事が実は一番苦手だったという。「血がダメでした」と笑う。でもその信頼していた医師から言われた一言が杠さんの心に刺さった。「33歳で、看護学校にいくことを決めました。」決めたはよいが、下の子どもが小学校1年生に入学する年に自分も看護学生になる。それが不安だった。先生に「来年学校に行きます」と伝えたところ、先生がまた一言。「今年行かなかったら来年もきっと行かないよ」
看護の世界に入って約30年。「先生から背中を押してもらって始めた医学の勉強は非常に面白く、看護のイメージが一変しました」と杠さん。「いろいろな経験を積み重ねてきた今だからこそ、30年前背中を押してもらったあの言葉の意味深さを噛み締めることができます。あの時、決断していなかったら次の年は次の年でまたなにか問題ができたことを理由に先延ばしにして、結局何もできなかったでしょう。先生には心から感謝しています。」
病棟各階の飾りつけ。少しでも季節感を感じてもらえるように。
とても親しみのわく飾りつけ。ほっと心が和む。
創立者の願い「個人の尊厳」はスタッフ全員の目標
「寿生病院では終末期の患者様も多く、人生の最期を過ごしていただく場として少しでも嬉しかったり、楽しかったりするひとときを過ごしてもらいたいという願いから、病棟の各階で四季をイメージできる飾りつけをしたり、誕生日にはスタッフと記念撮影をしてその写真をご家族と共有したりします。」
この病院は治療の場でありながら、またその一方療養生活の場でもある。「患者様とのコミュニケーションの中で、好きなものがわかった時には、ベッドサイドに例えばかわいい犬の写真や、また家族の写真を飾ったりします。」スタッフ一同、尊厳は大切に、そして気持ちは寄り添ってどこまでも温かく、ポジティブさを持ち続ける。
コロナ禍では面会も思うようにできず、家族に会わせてあげたくても会わせてあげることができなかったことで、「みんな本当につらい思いをしていました」と語る杠さん。「患者様がお亡くなりになった時はいつもは「本当にお疲れ様でした。安らかにお眠りください」とお声がけさせていただいています。」患者様が亡くなった時のデスカンファレンスでは、どんなことができたかできなかったか、どんなことを喜ばれたか、など反省をもとに今後のケアに役立てている。
ある時、担当の医師がお亡くなりになった方の頭を撫でながら「行ってらっしゃい」と見送りの言葉をかけたという。「その時のデスカンファレンスでは、関わったスタッフが皆涙を流しながらこの話をしました。その方のお世話は、たった数日しかできませんでしたが、医師以下スタッフ全員が同じ気持ちを共有できている『仲間』であることが改めて実感できることはとても嬉しいことです。」
療養中の「介護」と「看護」の仕事には、上も下も境はありません。病棟の各階では、師長のもと「主任介護職」と「主任看護職」がそれぞれ介護士と看護師を取りまとめて、約30名のチームで働いている。メンバーは20代~60代と幅広く、患者やその家族とのコミュニケーションを通じて、自分自身の専門性を高め、最適な介護や医療を提供できるよう共に協力し、互いに尊重しあいながら、地域医療の一翼を担う病院として、この出雲になくてはならない施設を目指している。
「ここでの療養は、ひとりの患者様に対して「介護と看護」が同等に必要であり、協力し合わなければ十分な支援をすることはできません。どちらかが上で、どちらかが下という価値観は存在しません。互いの専門性を大切にし、尊重しあうことで患者様の身体的、精神的、さまざまな側面から総合的にケアを行い、すべての方が快適に過ごせるよう支援することが重要と思っています。」
寿生病院 主任介護職 勝部 裕子
風通しの良い職場、チームづくりのためには気配りが大切
病棟の各階ごとに置かれている介護の責任者「主任介護職」として働く勝部 裕子さん。山口県の大学を卒業後、地元島根にUターンし、寿生病院に新卒で就職を決めた。看護部長の杠さんいわく「まじめ代表」の介護福祉士だ。
「主任介護職」とは、いわゆる中間管理職として、現場と上層部との情報伝達や意思決定を円滑に行うこと、現場でのコミュニケーションを円滑に図りながら問題解決に努めることなど、皆が気持ちよく仕事ができるように現場の介護士を統括し、看護との橋渡しやとりまとめに心を配る。「とにかく一方的に進めるのではなく、お互いの意見をまず聞きます。言いづらいことも中にはありますので、そういった表面にあがってこない意見を引き出すことも重要なことです。」勝部さんは、気配りが大切と言う。
「この職場では患者様にこうしてあげたいとか、ご家族の方からこんな要望があったなど、上層部に意見を伝えやすい風通しのよい職場環境です。フラットな職場なので、一緒に働く者同志が情報共有や意見交換がしやすく、良いアイデアも生まれます。みんなで協力し合うことが、患者様への良い影響につながります。」病院全体が現場に協力的であり、常にアンテナを高く張っているので、現場でのアイデアが実現しやすく成果につながることも仕事に対するモチベーションにつながっていると語る。
「寝たきりの患者様が季節ごとの飾りつけや車椅子での散歩などで、普段は反応が薄くても嬉しそうな顔をされるのが、やりがいを実感するひとときです。」働きやすい職場環境づくりの一端を担う勝部さんだ。「コロナ禍で制限が多く、交流を深めるための会食などの場を設けることが難しいのが残念ですね。」と笑う。
寿生病院 主任介護職 加藤 晃
地域になくてはならない病院づくりへの一歩は気持ちの良い職場から
勝部 裕子さんが「まじめ代表」なら、「明るい代表」が加藤晃さんだという。加藤さんも新卒で寿生病院に就職し、これまで18年ひたすら介護畑を歩んできた。「ここは女性の多い職場なのですが、実際のところ、女性スタッフのきめ細やかな気づきは、とても勉強になります。」と加藤さん。加藤さんは、勝部さんと同じく主任介護職として10年、職場の雰囲気づくりに欠かせないムードメーカーだ。おばあちゃんの患者さんにも人気だという話も加藤さんの人柄を表している。
「ここでは初任者の育成はプリセプター制度が設けられており、見習いの新人職員をマンツーマンで指導する仕組みが整っています。自分たちが指導する側に回ることで、自身のスキルアップにもつながります。」最近では新卒者よりも中途採用が多いという。「まずはオリエンテーションで基本理念、規則、接遇などを勉強し、その後はスキル面だけでなく、メンタル面においてもしっかりとサポートします。慣れない環境の中で精神的な不安がある場合にも自分たちがしっかりと支えることで、これから大きな戦力となります。」
介護現場では、介護を必要とする高齢者が増加していることから、ますます需要が高まっている一方で、介護士不足によって介護サービスの提供が滞っているケースもあると聞く。「介護士が少ない状況は、介護現場で働くスタッフの負担が増え、適切な介護が提供できないという問題が生じる可能性があります。このため、介護士を養成し、働きやすい職場環境を整備することが、地域になくてはならない病院づくりすなわち『病院らしくない病院』への道につながると思っています。」
実際に寿生病院で家族がお世話になった、本当によくしてもらったという話を耳にすることは多い。彼らの努力を目の当たりにした今、感謝しかない。