株式会社影山呉服店 代表取締役 影山 晃司
ぱったりと客足が遠のいたコロナ禍。そこから試行錯誤の日々が始まった。
「創業は明治19年。今から137年前に初代が呉服屋を創業してから、私たちは呉服屋一本でやってきました。」と6代目社長の影山晃司さん。「戦後、祖父の代でオーダーメイドでの婦人服洋装に携わったこともありました。当時は既製品ではなく、お客様に生地を選んでいただき、デザインからパターンを起こし仕立てまで行う一点物、すなわち完全オリジナルの婦人服を提供していたのは、出雲で弊社だけでした。」お客様は、学校の先生、役所勤めや看護師など高級志向の層が中心だったという。
「その後、アパレル業界も大きく発展し既成服が普及し始めたこともあって、現在では着物を主に取り扱っています。」と影山社長。和服がよく似合う、人を惹きつける笑顔の持ち主だ。
コロナ禍の恩恵を受けた業界と打撃を受けた業界とで大きく明暗が分かれていたことはまだ記憶に新しいところだが、かげやま呉服店も多大なる打撃を受けた側の企業のひとつだ。
「新型コロナウイルス感染拡大に伴って、お客様のご来店がぱったりと途絶えてしまいました。」と今でこそ笑い話のような語り口の影山社長だが、その危機的状況は察するに余りあるものだ。
結婚式や成人式などのイベントが中止になったことで着物を着る機会が大幅に減少。それだけにとどまらず、かげやま呉服店の顧客の約8割を占めている茶道関係のお客様が茶道教室や茶会の開催が大幅に制限されたことによって着物を着る機会がなくなり、着物の需要は大きく落ち込んだ。
「かつて経験したことがないほどの状況に存亡の危機感を感じずにはいられませんでした。とにかく居ても立っても居られず、毎日毎日ネットで何かできないか調べる日々でした。」
そして辿り着いたのが、【食用シルクパウダー】だ。影山社長は当時を笑顔で振り返る。「シルクパウダーの存在を知ったのは3年前。2020年の夏のことでした。うちで取り扱っている着物も『絹』。シルクパウダーも『絹』。『絹』つながりで、呉服屋が作る絹のソフトクリームはどこにもない。これはイケる!と確信がありました。」
絹練りソフトクリーム。飲食の経験がないため試行錯誤を重ね1年間かけて実現させた。
店頭の「絹練りソフトクリーム」看板。店舗に隣接する噴水で遊ぶファミリーにアピール
誰でも気軽に立ち寄ってみようと思ってもらえる、呉服屋の新たな試み。
「私にとってソフトクリームを作ることは未知の世界でした。納得いくものができるまでとにかく日々トライ&エラーでした。」影山社長は自身に飲食店の経験は全くなく、ましてやソフトクリームをオリジナルで作って販売するためのノウハウは皆無。毎日が試行錯誤だったという。
「どれだけ大変でも途中で止めるという選択肢はありませんでした。わからないことがあれば、保健所をはじめ、いろいろな人にアドバイスを仰ぎました。ソフトクリームは幅広い年代に人気があります。絹のようななめらかさや舌触りにとことんこだわりたかったので、シルクパウダーの配合量を決めるために何度も何度も試作も重ね、厨房を作るため店内も改装しました。」
【食用シルクパウダー】は、絹糸を加水分解して粉末にしたものだ。「絹糸は、アミノ酸が約90%を占め、しかも必須アミノ酸9種をすべて含む良質のタンパク質でできています。コラーゲンやヒアルロン酸の生成を促進し、肌のハリや弾力を保つ効果が見込めます。からだに絹の成分を取り込むことで、体内から美しくそして健やかになるようにと考えました。」と影山社長。「一方、からだに身につける着物の『絹』は、絹自体が人の肌とよく似た成分で構成されていることから、肌への親和性が非常に高い。吸水性と保湿性に優れている『絹』の成分が直接肌に触れることで、からだの外側から肌の乾燥を防ぎ、ハリやツヤを与える効果も見込めます。」体の内側と外側からケアできる絹のメリットに着目して完成したのが「絹練りソフトクリーム」だ。「呉服屋がつくった絹練りソフトクリーム」は、1年間の紆余曲折を経て2021年秋に発売を開始した。
島根県は、美肌県グランプリで5年連続全国1位を獲得しており、「美肌県しまね」として知られている。「この誘客キャンペーンと連動することで、「絹練りソフトクリーム」をきっかけに美肌に興味を持つ観光客や地元の皆さんも気軽に私たちの呉服店に立ち寄っていただければうれしいです。着物は、日本の伝統文化を象徴する衣装です。しかし、呉服屋は敷居が高いというイメージを持つ人も少なくありません。絹練りソフトクリームを販売することは、呉服屋をより身近な存在に感じてもらい、新たな顧客層の獲得や着物の魅力の向上につなげるための新たな試みです。」そう影山社長は抱負を語った。
日本の民族衣装「着物」をひとりでも多くの人に着てもらうために
着物業界の売上は、昭和53年をピークに徐々に下がり続けている。昭和50〜56年あたりの着物業界の売上は、約2兆円規模だったが、その後は洋服の普及やライフスタイルの変化などにより昭和50年代以降、市場規模が年々縮小し続け、現在では約2,800億円。ピーク時の1/6にまで減少している。 「着物は、日本の伝統文化を象徴する衣装ですが、着物を着る機会が少ないため着物が手元になかったり、持っていても着方がわからなくて着ることができない人は少なくありません。」着物が着れない日本人が増えていることは、日本の伝統文化の継承への大きな課題であり、着物の魅力を広め、着物に興味を持つ人を増やすための取り組みの必要性を痛感していると影山社長は語る。
「着物の着付け教室は、着物の魅力を伝える絶好の機会です。着付けを習うことで、着物の歴史や文化、装飾などの知識を身につけることができます。また、着物を着ることで、日本の伝統文化に触れることができます。」かげやま呉服店で開催している「きもの着方教室」の料金は全10回1コースとして3,000円で申し込みを受け付けている。とにかく着物の普及に貢献したいという思いが強いためだ。
着付け教室が敬遠されがちな理由のひとつに、『高価な着物を買うことにつながりはしないか』、そして『着物は、教室に通わなければ着られない、着方がむずかしいもの』という印象を持つ人が多いことがあるというが、かげやま呉服店ではその心配事を払拭するためにも採算度外視で取り組んでいる。
「着物が一人で着れる人を少しでも増やしていきたいという強い願いから、コロナ禍の時から力を入れ始めました。最近では花火大会などで浴衣姿が増え始めていますが、松江水郷祭までに浴衣を着れるようになりたいという若い女性に着方教室をご利用していただくことも珍しくありません。お手持ちの着物がない方にはレンタルもしています。せっかく着物を自分で着ることができるようになっても、着る機会がなければまた着方を忘れてしまいます。先日は、着方教室の生徒さん達と浴衣を着て食事会を開催しました。好評だったことから、今後も積極的に企画していきたい」着方教室から可能性がどんどん広がっていくという。
2023年5月に新型コロナウイルス感染症が感染症法上の「5類」に移行したことにより観光客の増加に向けた大きな一歩を踏み出すことになる。6月に来店した欧米からの男女のお客様が着物を体験し大変喜ばれたことから、浴衣の購入につながったこともある。
「出雲観光に車以外で来ると、駅での待ち時間に何もすることがないという声はよく聞かれます。出雲市駅は、出雲大社などの観光スポットへの玄関口ですが、周辺に観光施設が少ないため、その待ち時間にすることがなく、退屈してしまうことがあります。その隙間時間を活用して、着物を着て写真撮影、近くのカフェでお抹茶や和菓子を楽しむ企画も進行中です。」
かげやま呉服店オリジナル半幅帯。他の呉服屋では手に入らない商品で他店との差別化を図る。
企業理念「真心で美を伝える」が私たちの使命
着物業界が盛況だった時代を経て、着物を着ない人にも無理に買ってもらっていた時代があったという。着物離れの進む人々や1回買っていただいた方に何枚も着物を売りつけることに注力したり、売るだけ売っていた弊害が今来ており、着物は敷居が高い、高価などのイメージが定着してしまったことには大いに反省すべきと影山社長は憂う。「亡くなった祖母や母が1度も袖を通していない着物がたくさんあるが価値がわからないと困っておられるお客様には無料で相談にのっています。その譲り受けた着物の中にはお直ししてでも着ていただきたい良い着物もたくさんあります。それをまず、引っ張り出して着ていただきたい。着物を着る楽しみ、喜びを味わっていただきたい。」影山社長はこれからは現代のライフスタイルにも合うような新たな価値を創造することで着物の未来を切り開きたいと考えている。
「今までのような『仕入れて売る』だけではなく、弊社オリジナルの商品を開発することで差別化を図りたいと思っています。第一弾としてインドプリント生地で浴衣や普段使いの着物用に半幅帯を2023年6月末から販売を開始しました。」
コロナ禍以前は当たり前のように思っていたことが当たり前ではなくなった。このことが経営戦略の見直しにつながった。「女性はどんな方も着物を着ていただくと、無意識にすっと背筋が伸びて仕草も女性らしく華やかな印象になります。着物は、女性の美しさを最大限に引き出す衣装と言えるでしょう。女性の方々に着物を身につけていただくことで、非日常を堪能できますし、周囲もパッと明るくなります。
私たちの役目は、『真心で美を伝える』こと。『美』を伝える、『美』を模索することは出雲や日本の文化や習慣を伝えていくことにも通じていきます。私たちの仕事は伝統を支えるものと自負しています。」
かげやま呉服店では現在8名のスタッフで業務を行っている。その中には勤務40年のベテランもいる。 「私たちはこれからも新しい企画に取り組み続けます。苦労もありますが、新しく人脈が広がることもメリットのひとつです。そんないろいろなチャレンジに喜んで一緒に取り組んでくれる方を求めています。」
かげやま呉服店 板倉店長
経験の積み重ねから人間力を磨き、お客様に寄り添う。
かげやま呉服店 板倉店長は勤続40年。「不惑」とは本来40歳という年齢のことだが、板倉店長はこの仕事に就いてからのキャリアを「不惑」に例え、この40年間の経験を積んでいく中で、ものの考え方などに迷いがなくなったと言う。失敗や成功など経験の積み重ねから「正しい判断力」や「周りとの調整力」など人間力を磨いていくこと、そして、時代のトレンドを読み、お客様の目的に寄り添うこと。「人間に興味を持つこと、何事にも好奇心を持つことが大切だと思っています。人に無関心だとお客様の気持ちに気づくことができません。着物は非日常。買う時からいい思い出になるように、自分の経験からアドバイスできることは全力でアドバイスしていきたい。」
最近では、他人の着物を細かくチェックする「着物警察」と呼ばれる人が着物を着る女性を悩ませていると耳にすることがある。着物警察の存在は着物離れを促進させていると話題に上っているという。
「着物には、さまざまな着方があります。また、着物は、伝統的な衣装であると同時に、時代の中でライフスタイルにも合うファッションの選択肢でもあります。もちろん、着方にはフォーマルな場合にはフォーマルの、TPOに応じた守るべきルールがあります。カジュアルな場合には自由な感覚でコーディネートしてほしいと思いますし、お客様にもそのようにアドバイスいたします。」
昔の商売は成人式の振袖を作る娘さんを見つけるとしばらくは付け下げ、訪問着などその他の着物も無理にでも作ってもらうように営業をしてきた、その業界のツケが今まわってきていると板倉店長は嘆く。着ない着物がタンスに何枚も仕舞われている。古着市場にも良い着物が出回っていて驚くという。
「本当に嘆かわしいことです。私たちは同じ轍を踏まないことが肝心です。着物を着ることは自分を美しく見せてくれるだけでなく、日本人としての誇りを感じさせてくれる特別なものです。縁あって買っていただくのであれば着物は仕舞っておくのではなく、是非着ていただきたいのです。」
自分も母に着物を作ってもらったので、娘にも作ってやりたいお母さん。でも着物なんていらないと渋っている娘。そんな時、「私の母はもう亡くなってしまっていないけど、文句ばかり言っていたことを今ではとても後悔している。あなたはお母さんが元気だからそんなことを言うけれど、気持ちよくお母さんのためにも選んであげた方がいいと思うよ」と板倉店長は無理に勧めるのではなく、自分の経験からアドバイスすることもある。着物を作って孫にプレゼントするのだという女性。そんな時は「お孫さんにあげるのではなく、まずは自分で着てほしい。そして写真を撮って、みせてあげてほしい。おばあちゃんがきていた着物なら、いつか私も着てみようと思うでしょう。」とまずは着てもらうようにアドバイスする。
「呉服屋の仕事は他の商売よりもちょっとだけお客様の人生や生活に寄り添うような仕事なんです。」と板倉店長は笑う。 仕事が休みの日に着付けを頼まれることもある。でも決して断らない。夫は「今日は休みなのに行かなくてもいいじゃない」と言う。「でも家でゴロゴロしているだけで時間がある。それなら行ってあげたい」彼女はそう言って出掛ける。
まずはお客様に寄り添うのだ。
気遣いの勉強は楽しい。自分の大切な財産としてかけがえのないもの。
先代の社長や営業の先輩、お客様から教科書や本には書かれていない、仕事に対する価値観や考え方、働き方を教えてもらったことで自分自身のスキルアップができ、自分の大切な財産になっていると板倉店長は感謝する。
「展示会開催時には、お客様の靴の揃え方も教えていただきました。ここに脱いである靴はちょっと横にずらして並べておく。別の場所に置くとお帰りになる時、『私ここで脱いだはずなのに』と迷われる」
「お客様の家を訪問し玄関に入った時にもし靴が散らかっていたら、お客様を呼ぶ前にその靴を整頓しておく。自分の家の玄関で散らかっている靴にお客様が気づいた時、恥ずかしいと思ってしまったら、話が頭に入ってこない。お客様に恥をかかせないためにもそっと直しておく」
「経験豊かな営業担当から若い子に担当が変更になった場合、いくら社内でしっかりしているという評価であっても、お客様側からすると自分は所詮そのレベルと思われているのかと勘違いされる危険性がある。この人を担当にしてもらって本当によかったと思ってもらえる人間力をつけなさい。」
「これらは呉服屋独特の考え方かもしれませんが、ベースにはお客様に安心感を与えること、お客様のニーズをしっかりと理解し、満足していただきたいという思いがあります。この気持ちはどんな商売でも同じではないでしょうか」
この財産を若い世代に引き継いでいくのも自分の仕事だと板倉店長。
「若い世代は、私たちの世代とは異なる価値観や考え方を持っています。若い世代の価値観や考え方を理解することで、彼らにとってわかりやすく伝えることが重要だと考えています。単に知識や経験を教えるだけではなく、社員同士が最低限の思いやりをもって接すること、コミュニケーションがとれていればお客様にも良い印象を持っていただけると思っています。」
気遣いの勉強は楽しい。板倉店長は自分自身も楽しんでいる。
竹林 郁子さん
お客様のニーズに応えることができるよう日々勉強中。
「この仕事を選んだきっかけですか、そうですね、高校生だったので軽いノリというか、『着物屋さん、いいな〜』っていう感じで決めました」と明るい笑顔の竹林郁子さん。かげやま呉服店に就職してからすでに10年以上になる。「今でもわからないことはたくさんあります。お客様に聞かれて返事につまることも多々あります。周りにサポートをしてもらいながらまだまだ勉強中です。着物の世界は着物の種類や文様、着付けの種類など、さまざまな要素が複雑に絡み合っているため奥が深く、また流行もありますので着物雑誌やSNSのチェックは欠かせません。」
お客様のニーズに応える提案ができるように勉強し続けたいと竹林さん。「日々の業務の中で先輩社員から直接指導を受けることができるため、効率的に実践的なスキルを身につけることができるのはうれしいです。」
やりがいはお客様の笑顔。笑顔を引き出すために日々努力しています。
竹林さんの業務担当は接客はもちろん、商品のクリーニングや仕立てのチェック、そして着方教室の講師だ。「浴衣は2回程度のレッスンで着られるようになる方がほとんどです。お客様を通して、やはり丁寧に対応することが大切だと再認識させていただくこともたびたびです。」
美容院での着付けは、着崩れしないようにぎゅっと締めて、長時間着てもきれいな状態を保つようにするのが通常だが、かげやま呉服店の着方教室では自分で着て、くずれない着方をマスターしてもらうのだという。「自分で上手に着ることができたお客様の笑顔を見ると、やりがいを感じます。着物を着た時の非日常感を味わっていただきたい。そして着物を好きになっていただきたい」と竹林さん。
「お母さんの着物を大切に引き継ぐため着物リフォームを承ったお客様の、でき上がった着物をご覧いただいたその笑顔が私にも大変嬉しいできごととなりました。お客様が笑顔で帰っていただくことで、私たちはやりがいを感じ、また次のお客様を笑顔にするために頑張ることができます。私たちの努力次第で引き出すことができるものです。お客様の笑顔を引き出すために、日々努力をしていきたい。」