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出雲で創業150年。「老舗和菓子屋 宿禰餅本舗 坂根屋(すくねもちほんぽ さかねや)」。 皆様とのご縁を大切に、人と人との絆をつなぐ存在でありたい

有限会社坂根屋 / 管理者候補

インタビュー記事

更新日 : 2023年09月11日

坂根屋の歴史を紐解くと、いつの時代も坂根屋の和菓子が出雲大社のお膝元、出雲地方の人々に愛され続けてきたことが見て取れる。坂根屋初代は明治5年(1872年)簸川郡今市町(現出雲市今市町)に、まんじゅうや駄菓子の商売から身を起こした。それから150年。五代目坂根壮一郎では現在8店舗を構えるに至る。

 大正15年には第6回全国菓子大博覧会(朝鮮京城)に出品した記録が残り、今上陛下が皇太子時代にご来雲の際には、献上、お買い上げの栄を賜っている。

 特に、出雲出身の相撲の始祖“野見宿禰(のみのすくね)からその名を冠する「宿禰餅(すくねもち)」は第十七回全国菓子博覧会で最高位総裁賞を受賞した坂根屋を代表する銘菓だ。 坂根屋の和菓子は明治から令和の時代に至るまで、時を超えて愛され続けている。

有限会社坂根屋 事業概要

和菓子、洋菓子の製造及び販売 年間300種類以上の商品を製造販売。国産・国内製造、地元産原料にこだわり99%以上は国産・国内製造原料。職人の手加工による繊細で、坂根屋ならではの菓子づくりを行う。
主な製品(出雲ぜんざい、宿禰餅、どら焼き、上生菓子)

【主な受賞歴】
1928年(昭和3年)  第7回全国菓子大博覧会(岐阜)にて、銀杯受賞
1939年(昭和14年)第11回全国菓子大博覧会(大分)にて、金杯受賞
1952年(昭和27年)第12回全国菓子大博覧会(横浜)にて、金杯受賞
1965年(昭和40年)第16回全国菓子大博覧会(秋田)にて、名誉副総裁賞受賞
1969年(昭和44年)第17回全国菓子大博覧会(札幌)にて、宿禰餅が総裁賞受賞
1989年(平成元年) 第21回全国菓子大博覧会(松江)にて、審査功労賞受賞
1994年(平成6年)  第22回全国菓子大博覧会(金沢)にて、宿禰最中が名誉総裁賞受賞

【店舗情報】
坂根屋本店 / 坂根屋CAFEきっさこ / 坂根屋入南店
出雲大社正門前ご縁横丁 出雲ぜんざい餅(大社店) / カフェ&ビストロあん
坂根屋ゆめタウン出雲店 / 坂根屋ゆめタウン斐川店 / 坂根屋ゆめマート神西店

有限会社 坂根屋 代表取締役 坂根 壮一郎さん

 

 

転機は出雲大社の遷宮。「これこそが千載一遇のチャンスだった」

 

 有限会社坂根屋 五代目の坂根壮一郎さんは社長兼和菓子職人である。難関10大学にも数えられる関西の大学で経済を学んだ後、地元出雲にUターンし、家業を継いだ。

 聞けば、子どもの頃から和菓子づくりに興味があり、自分で和菓子を作ってみたかったという。その夢の実現に向け和菓子職人を目指すため、改めて和菓子の専門学校に入学。和菓子の歴史や文化、材料や製法などを学び、まずは基礎的な技術を身につけ資格をとった。

  一般的に一人前になるには、およそ10年かかるといわれている和菓子職人の世界だ。四代目である父は専ら営業に打ち込んでいたことから、彼は見習い職人として先輩職人に就き、下積みから始めて実践的な経験を積み、研鑽を積んだ。

  折しも出雲大社では、平成20(2008)年4月から60年の時を経て「平成の大遷宮」が始まっており、 相乗効果で日本中から出雲が「縁結びの地」として注目を浴び始めた頃だ。神話や歴史の次世代への伝承、その価値の再認識、そして多くの報道陣や観光客が国内外から訪れていた。出雲という地域がまさに活性化するためのこれまでにないチャンスを遷宮がもたらしたと言って過言ではない。

 「その昔、門前町として出雲大社前の神門通りは、参拝客で相当栄えていたと聞きます。しかし私たちが子どもの頃にはほとんどの商店が店を閉め、閑古鳥が鳴いている有り様。今現在のように人々が神門通りを散策する、ということはあり得なかった。坂根屋も作っている和菓子は観光客向けではなく、地域のお客様のために販売していました。」と振り返る。

 「出雲大社の遷宮は出雲の発展にとって絶好のチャンス。これを逃す手はない。」坂根社長は、観光客をメインターゲットに据えた新しい挑戦に臨む決意を新たにする。

 とにかく神門通りを昔のように復活させたい、その強い想いで遷宮が始まる1年前、平成19(2007)年に「神門通り甦りの会」を有志で発足。現在の「ご縁横丁」は今でこそ参拝客だけでなく、地元の人々にも親しまれている場所として出雲の魅力を伝える大切なスポットの一つになっているが、結成当時には様々な苦労があった。

 営業していない店を1軒1軒戸を叩き、土地を売ってくれるよう頭を下げて歩いた。「こんな役に立たない場所を手に入れて、どうするかね」と言われることも珍しくなかったという。 また坂根屋本店での店頭販売だけでなく、観光客に坂根屋の和菓子をアピールするため、父と屋台を引いて和菓子を売って歩いた。

 そんな時に知り合ったのが、妻めぐみさんだ。 当時、彼女は大阪の広告代理店の営業職を辞し、起業するため出雲にUターンしていた。

 

有限会社 坂根屋 取締役 坂根 めぐみさん

 

 

ピンチは最大のチャンス。コロナ禍を味方につける。

 めぐみさんはめぐみさんで「カフェを開く」という自分の夢に向かって行動を起こしていた。 坂根社長が神門通りで屋台を引いて和菓子を売っていた時期と時を同じくして、めぐみさんも神門通りで通り沿いの空き物件を1軒1軒尋ね歩いていた。しかし、いわゆる「よそ者」であった彼女に、店を貸してくれる人はなかなか見つからなかったという。  「たまたま、私が坂根屋の屋台で和菓子を購入したのですが、それが私たちが知り合うきっかけでした」とめぐみさんは笑う。「自分のカフェの開店に際して新しい課題に直面するたびに坂根社長に相談に乗ってもらっていました。」今では、株式会社まるこ、株式会社まる珈琲の代表取締役社長として、3人の子ども達の母として、そして坂根社長の同志として精力的に日々を送っている。

 お付き合いを始めて2週間で結婚を決めたというふたりは、結婚して約10年経つ今でも地域住民の皆さんや地元企業、行政も巻き込みながら出雲の魅力や価値を高め未来を創造するという共通の目標に向かって邁進し続けている。

 ところが、そこに降って湧いたような災難が訪れる。コロナ禍だ。 令和元(2019)年末からの新型コロナウイルス感染症の流行による世界規模での危機的状況は、坂根屋の経営にも影響を及ぼすことになる。新型コロナウイルスの感染拡大による打撃が大きく、多くの事業者が経済的な苦境に陥ったことは記憶に新しいが、坂根屋も決して例外ではなかった。このような状況を受けて、政府や自治体からの補助金制度が導入され、事業者を支援する取り組みが進められたことは周知のとおりだ。国の中小企業・小規模事業者持続化補助金では、新型コロナウイルス感染症の影響により経営状況が悪化した中小企業・小規模事業者に対して、新たな取り組みを行うための資金調達や事業の継続や経営再建に向けた取り組みを支援するための補助金が支給されることになった。

 「コロナ禍は私たちに多くの学びと経験をもたらしてくれました。県内だけに目を向けてきたこの10年でしたが、このコロナ禍を受けて県外へベクトルを向けなければ立ち行かなくなりました。コロナ禍において、既存のビジネスモデルがうまく機能しなくなったり、需要が変化したりする中で、新しいビジネスモデルの創出やそのプランを実行に移すことが重要になってくると思います。」とふたりは話す。 補助金制度を有効活用し、オンラインビジネスを充実させ、県外の市場にも目を向け始めたのがこの頃だ。

ジャパンエキスポに和菓子づくりを実演

 

 

坂根屋初の海外進出への転機。ジャパンエキスポ

 2022年7月には新型コロナの影響で3年ぶりにフランス・パリで開かれた日本文化発信の祭典「ジャパンエキスポ」(14~17日)に参加。ジャパンエキスポは日本の魅力を世界に発信する場として日本の産業や文化、観光情報などを紹介するだけでなく、海外の企業や団体との交流や、ビジネスマッチングなどにも注力しているイベントでもある。 ジャパンエキスポで上映された、出雲が舞台のアニメ映画「神在月のこども」に登場する「ぜんざい」など、日本の和菓子文化を体験してもらうため、坂根屋に白羽の矢が立った。 その場で出雲ぜんざいと上生菓子作るというショーを開催。美しい上生菓子とこだわりの出雲ぜんざいを作り、フランス国内外から集まった観客に和菓子の素晴らしさと神話の国出雲の存在感を示した。

 

ジャパンエキスポ2022

 

 一方、パリ滞在中にふたりは海外での日本人気が非常に高いことを肌で実感することになる。アニメ、マンガ、ゲームなどのエンターテインメントでは世界中に熱狂的なファンがいることは有名だがそれに加えて、和食、茶道、武道、日本庭園などの文化にも興味を持つ人が多く、今後もさらに注目されることが予想された。パリ市内でもフランス人の握るおにぎり店の前には長蛇の列が続いていたという。

「これからは10年先を見据え、和菓子を通して日本文化の発信をするということへの思いがさらに強くなりました。それに先立ち、まずは地元産の小豆や奥出雲の仁多米、出雲大社裏の海で取れた藻塩を使用するなどの材料にこだわった、日持ちのよいレトルトの「出雲おせきはん」を海外へ送り出します。まだまだ手探りの段階ですが、まずは赤飯を通して和菓子の魅力を次世代へ、世界へと伝えていきたい。」とふたりは熱く語る。

 創業約150年という長い歴史やオリジナル製の高い和菓子づくりに敬意を表す一方で大切なことは、坂根屋の伝統を守ることだけではなく、今からの時代に合わせ新しい感性で、その時代のニーズに応えながら新たに築き上げていくことだと彼らは口を揃える。

 

和菓子づくりはAIには決してとって変わることができない仕事。

時間をかけ習得した技術だからこそ定年にこだわらない。

「坂根屋では現在従業員は約60名。和菓子職人の育成には、素材選びから製造、仕上げまでの専門的な知識や技術の習得が不可欠で時間がかかります。繊細な手仕事が和菓子づくりには欠かすことができません。AIには決してとってかわることができない分野の仕事です。伝統的な製法を守りつつ、新しいアイデアや工夫も必要です。

 和菓子職人は、和菓子の種類や製法についての知識が豊富であるとともに、見た目の美しさにもこだわりますので、手先が器用であることが求められます。美的センスやセンスアップも重要なスキルの一つです。」和菓子職人でもある坂根社長はスタッフ全員で連携しながら一つの和菓子を作り上げるやりがいと喜び、達成感を日々体感している。

「一部業務を機械化し生産性を向上できる菓子もあります。もちろん最初は機械での業務の操作から先輩の補助をして簡単な作業から学んでいけるので安心です。 一方で、手仕事でしか表現できない繊細な和菓子も作っています。和菓子には、日本の文化や季節感、伝統を伝える役割も担っています。和菓子職人になるためには、専門的な知識や技術、センスアップが必要となりますが、和菓子を愛し、熱心に学び続けてくれる人財を求めています。実際、私もまだまだ修行中の身ですが。」と柔らかな笑顔で語る。 「うちには定年はないんです。せっかく習得した技術を定年という制度で失うことは本当にもったいない。一緒に日本の和菓子文化を世界へ広めるお手伝いをしていただければうれしいです。」

 

 

 

高木 拓冬(タカキ タクト)

 

若くても努力次第で和菓子の要、餡作りに抜擢されやりがいを感じる

 高木 拓冬さんは入社3年目の20歳。なんとこの若さで、すでに坂根屋の「餡」づくりを任されている。 和菓子の要である餡。材料の小豆から製造過程や仕上がりの見極めなど、少しの差異がそれぞれの和菓子屋の味わいの違いとなって表現される、いわば生命線のような大切な工程だ。

「餡づくりは奥深く、身が引き締まる思いです。まだまだわからないことに直面することも多く、先輩の力を借りながら、日々修行中の身です。」一言一言を噛み締めるように言葉を紡ぐ様子に実直な印象を受ける。

 「入社してからは、様々な工程をローテーションでまわりながら作業を行うため、いろいろなスキルや知識を身につけられることはうれしいです。異なる部署での経験を通して、他部署との協力や連携についても理解を深めることができます。」異なる部署での経験を通して、部署間のコミュニケーションもスムーズになるという。

 「地元の高校を卒業してすぐにこちらに就職しました。実は私はおばあちゃん子で、小さな頃はよく一緒にお茶しながら和菓子をおやつに食べていましたので、就職することに迷いはありませんでした。」とはにかむような笑顔で話してくれた。「職人の世界というと、厳しいイメージがあるかもしれませんが、この職場では、わからないことがあったらとことん丁寧に教えてくれます。新しい仕事にどんどん挑戦させてもらえるので、『もっともっとできるようになりたい』という意欲が湧いてきます。餡づくりに携わってまだまだこれからで、学ぶことばかりです。うまく餡が完成するとやはり自分の自信につながります。」

 

 


石橋 美紀(イシバシ ミキ)

 

子どもを育てながら働くことにとても理解がある会社に就職できて喜んでいます

 2022年7月入社。経理事務を担当する石橋美紀さんは、仕事と育児を両立できるように9:30〜15:30の時短勤務を希望している。時短勤務制度は1日の所定労働時間を原則として6時間とするもので、石橋さんはこの制度によって労働時間を柔軟に対応してもらえるため、大変働きやすい環境だと喜ぶ。 「うちの会社は、子どもを育てながら働くことにとても理解がある会社なので本当に助かっています。社内の雰囲気もとても穏やかでフラットです。私は中途入社して日も浅いですが、わからなくても丁寧に先輩が教えてくださるのでコミュニケーションも弾み、早く馴染むことができたと思います。わからないことを聞きやすい雰囲気で、細かいルールや手順、知識が必要な場合があっても、理解しやすかったです。」まだ子どもが幼く手がかかるため仕事と育児を両立させることについて、入社前までは不安があったものの、どちらかを犠牲にせずに両立させることができていることが嬉しいと語る石橋さん。

 「お客様や地域に対し、相手に寄り添い、皆で連携しながら最高のパフォーマンスを発揮することで、各人が成長と人生の充実を実感できる会社を目指す」と坂根屋の経営理念にもあるように、社員ファーストを掲げる坂根屋で、伸び伸びと働く石橋さんの生き生きとした笑顔が大変印象的だ。 「私にはまだまだ学ぶことが多く、迷惑をかけてしまっていることも多々ありますが、会社にとって役に立つ社員になれるよう、頑張りたいと思っています。」