伝統を受け継ぎ半世紀。炭団(たどん)の世界

有限会社丸ヨ商店 笛吹 勇気

炭団(たどん)

江戸時代、木炭は高級品だったため、木炭を作る時に出来たかけらや粉を糊やデンプンと練って丸く固めて成形したのが始まりでした。

柔らかい火気で長時間燃焼するため、火鉢や掘りごたつ、煮物料理にと広く一般に使われていましたが、昭和30年代頃の高度経済成長とともにプロパンガスが普及し、今では製造する工場が全国で二社だけになりました。
炭の団子=”たんどん”が省略されて”たどん”と呼ばれるようになり、その見た目から転じて相撲の黒星の意味にも使われています。


 

 

 

創業の経緯

「丸ヨ商店は義祖父が創業しました。義祖父は福井県の燃料店の息子として働いていたのですが、島根はたたらや木炭の製造が盛んで、本格的に仕事をしたいとこちらに夫婦で移り住みました。」


知り合いもない、土地勘もない中で移り住んだ二人は、地元の人に作り方を聞いて、少しづつお店を広げていったそうです。


「昔は一つ一つの工程を手作業でしていましたが、今は機械を取り入れて要所を人の手で作っています。以前は県内にも炭団を作るところが多かったので、同業者のために加工炭協会がありました。その協会で相談して機械を作ったそうです。他社の機械も見せてもらった事があるんですが、少し形が違うだけで自社の工場が使っているものと似ていて、繋がりを感じましたね。」

 

行程の中でも要になるのが、糊の調整。気温や湿度によって上手く固まらず、季節や天候の変化はもちろん、同じ天気の日の午前午後でも違い、それに対応するのは長年の職人の経験です。

 

「成形の段階で固まらないこともあれば、乾燥してから割れたりしてしまう事もあります。そんな中でも現場と話し合って試行錯誤しながら作っています。」

 

 


事業を継承してから

丸ヨ商店を継ぐまで畑違いの仕事をしていた笛吹さんは、一から炭団の仕事をスタートしました。

「前職ではパソコンを製造する仕事をしていたんです。同じ物作りですけど、全然違う分野ですね。細かい部品で組み立てていくのが結構大変だったんですが、だから炭団は簡単なんだろうなと思っていたんです。


ですがいざ作ってみると思うように作れないし、奥が深い。上手く作れたと思ったらお客さんの所に届いて初めて、燃えにくかったり煙が出てしまったという事も分かります。


お客様の声を直接聞く事も今まで経験がなかったんですが、配達した時に『ありがとう』と言ってもらえる時は一番嬉しいですね。」

 

昔からの掘りごたつで使う方から、古民家のカフェの暖に新しく火鉢を買う方など、全国から注文が入り、愛用されています。

 

「定期的に換気は必要ですが、柔らかい火力でガスや電気と違うのは遠赤外線で体の芯がぬくもるような暖かみです。薄暗くした部屋で炭団を焚いて、淡い火を見ながら晩酌される方もいらっしゃいます。おしゃれですよね。もっと色々な方に使ってみて欲しいです。」

アロマオイルをたらすとほのかに香りが広がったり、約10時間火が続くので、キャンプの種火としても使えるそうです。

 


 

 

 


【炭団ができるまで】

編集部の炭団工場見学レポ

 

 

 

 

 


現場の職人たち

工場では須谷さん西岡さん立花さん合わせて3人で1日約5000個の炭団をつくり、製造から配達までされています。

左:須谷さん 中央:西岡さん 右:立花さん

 

 

須谷さんは広島の呉からUターンしたベテラン職人です。

須谷さん「父方のおばあちゃんが一人になっちゃって、それで島根に戻ってきました。おばあちゃんの世話と兼ね合いの中、たまたま丸ヨさんに拾ってもらって11年目です。何年作っていても炭団は難しい。勝手に機械が作ってくれんかなってたまに思います。」

西岡さんは4月で10年目。みんなのムードメーカーです。

立花さんは現在2年目。
「テレビの番組で紹介していた炭団が感動して心に残っていたんです。そんな時にたまたま出ていた求人を見つけました。もともと民芸品や古いものに興味があって、珍しい炭団作りを仕事にしようと思いました。」


須谷さん「昔から使ってくれるお年寄りさんに『あと20年は頑張ってよ、あんたのとこがなくなったらいけんから』って言われてます。じゃけ、寒い日でも暑い日でも頑張って作り続けようと思っちょります。」


多様化する社会の中、受け継がれる伝統の灯を次世代へ。これからも丸ヨ商店は暖かい信頼をつくり続ける。