有限会社 渡邊水産(企画宣伝部部長)
岩田 響子有限会社 渡邊水産(企画宣伝部部長)
岩田 響子
岩田 響子(有限会社 渡邊水産 企画宣伝部部長)
出雲市出身。昭和40年創業の渡邊水産の長女として育ち、高校卒業後は進学のために上京し、食品関係の会社へ就職する。その後退職を機に帰郷。家業を手伝いながら干物のあり方を見つめ直し、現在は自身の体験をもとに干物を幅広い世代に広める活動を中心に、渡邊水産の3代目として日々奔走している。
渡邊水産は私の祖父が立ち上げた会社で、水産物の加工販売をしています。父が2代目で私と主人は3代目。でも私は元々、家業を継ぐ気は全くありませんでした。小さい頃から祖父と祖母、父と母が働く姿を見ていましたが、毎日忙しそうで全然楽しそうじゃなかったですから(笑)。仕事柄、夜中でも買い付けの電話が鳴って、朝の4時頃から忙しい時期には夜の10時頃まで働いていて。以前は加工場に家が隣接していたので、母は作業の合間に戻ってきては家のことをやっていました。4人兄弟ですが、いつも大変そうな大人たちの姿を見ていたら誰も後を継ごうとは思わなかったんですよね。
そんな環境でしたから早く家を出たくて、高校を卒業して東京の都立短大に進み、その後は食の宅配サービスの会社に就職しました。まだ出来て間もないベンチャー企業だったので、業務改善や仕組みづくり等とにかく忙しくて、3年ほど働いた頃、体調を崩してしまったんです。それを機に退職して一旦実家に戻ったんですが、忙しい時期だったので家業の手伝いをすることになりました。それまでは気にすることもなかったのですが、東京の会社でやっていた業務改善の視点から渡邊水産を見たら、いろいろと改善点が見えてきたんですね。その時点では家業にどっぷり浸かる気もありませんでしたが、やっぱり家族なので放っておくこともできなくて、掃除や整理整頓からはじまって、どんどんテコ入れしていきました。もう祖父や両親から見たら台風娘ですよ(笑)。結局そのまま渡邊水産に入り、現場の流れや受注体制の改善など、10年くらいかけて整えていきました。
29歳の時に主人と結婚して、そこからは主人も一緒に家業に携わってくれました。それでもなお、後を継ぐ決心はできてなかったんですね。理由としては、やっぱり幼い頃から会社に対してあまり良くないイメージを持っていたことも大きかったと思います。そんな時たまたま、テレビで自分と同じような境遇の人がインタビューに答えていました。とある会社の2代目の方でしたが、その方のお話を通して、「そうか、今までの渡邊水産を継ぐ必要はない、自分たちで新しい渡邊水産を作っていけばいいんだ!」というところに気づかされました。
1代目、2代目、3代目それぞれのテーマを改めて考えたとき、1代目は切り開く、2代目は土台を固める、そして3代目は伝えて広めるのが役割かなと。自分たちが最終ランナーになるのではなく、この後に繋いでいくためにも、若い人を中心にもっと広い世代にアピールしていかなくてはと思ったんです。
うちの干物ってすごくキレイなんです。色白で、解凍した時にドリップも出にくい。焼いている時もすごくいい香りがするし、焼いた後もふっくらとしていて、魚嫌いの人でも食べられるって言ってもらえるくらい美味しいんです。それは魚の鮮度に加え、水分量や塩加減、乾燥方法など、技術的にすごくこだわっているからだと思います。そうしたうちの商品の良さをどのようにお客さまに伝えようか悩んでいた時、「自分の体験を売りなさい」というアドバイスをもらったことがあって、じゃあ私が干物で体験したことって何だろう?と考えた時、「干物を食べて自分自身がキレイになったこと」という実体験に行き着きました。
実は私、以前はぽっちゃり体型で、人と話すのもあまり得意じゃなかったんですよ。小さい頃からとにかく甘いものが大好きで、温泉まんじゅうを一箱食べちゃうような子だったんです(笑)。もう砂糖中毒ですよね。今思うと体調もずっと悪かったんです。肩こりとか、便秘とか。大人になっても毎日コーラやスナック菓子を食べるような食生活でした。
転機になったのは出産です。初めての子だったので育児についていろいろ調べていた中で、母親の食べた物が母乳に影響すると知って、母乳の質を良くしようと、できるだけ甘いものをやめることにしたんです。自分のためにはできなかった努力ですが、子どものためにと頑張りました。毎日の食事もお肉よりお魚、もちろん干物も仕事も兼ねて食べました。そうして和食中心の食事に変えていったところ、すごく体調が良くなって!体型の変化もですが、腸内環境や平均体温、疲れやすさなど、それまでの悩みがいろいろ改善されて、原因は食生活にあったんだと気づかされました。何より、気分が明るくなったんですね。精神面もずいぶん変わりました。そういった身体の変化を感じながら、お砂糖のとりすぎが良くないこと、我々日本人にはやはり体質的に和食が合っていると身をもって確信しました。体型はほっそりと、思考はポジティブに、食生活を正すだけでこんなに変わるものかと。干物中心の食生活が、私を変えてくれたんです。
見た目もキレイで、食べた人もキレイにしてくれる干物。そこからうちの干物を「美人干物」と表現して発信しようと決めました。
「美人干物」というネーミングに合わせて、干物の見せ方からパッケージから大胆に変えていきました。干物って聞いて華やかなイメージを持つ人はあまりいませんよね。どちらかというと地味だし、若い人たちの中には干物を知らない人もいます。干物以前に魚離れも深刻ですし、和食自体が洋食に押されてしまっている。次世代に干物を伝えていこうと思った時に、まずはその昔ながらの干物のイメージを変えていこうと考えたんです。人にワクワクしてもらうために、まず自分が楽しいと思えるものにしようって。
干物って使い方を知ればすごく便利な食材なんです。下処理も済んでいるし下味もついているから、簡単に魚の時短料理ができる。イメージは和食ですが、手を加えればソテーにもアクアパッツァ(出汁を使わず、水やトマト、白ワインなどで魚を煮込んだスープ料理)にもなる優れものなんです。まずそこをたくさんの人に知ってもらいたくて、SNSやYou Tubeなど、ネットで発信することをはじめました。また、定期的に干物を使ったお料理教室も開いています。それらは一つ下の世代も見てくれていて、手応えを感じているところです。これからももっと新しい食べ方を提案して、たくさんの人にとって干物が日常的で身近な食材になってくれたらうれしいですね。
今実現させたい夢は、工場とお店が一緒になっていて、そこで飲食や体験もできるような場所「美人干物ファクトリー」をつくること!美容にも健康にもいい干物の魅力を、もっともっと伝えていきたいと思っています。
情報提供元:出雲人-IZUMOZINE- http://izumozine.jp/people/iwata-kyouko/index.html