Uターン後、人脈ゼロスタートからの不動産営業
株式会社セイコウが創業したのは2001年。
現在、代表取締役を務める阿部徹さんの父が夫婦2人で立ち上げたのが始まりでした。
当時は「誠幸ホーム」という社名で、今と同じく不動産業を基軸に展開。
そこに阿部さんが会社に関わり始めたのは2007年。
東京の大学を卒業後、家業を手伝うために地元にUターンしました。
20代前半だった当時、阿部さんが本業以上に力を入れていたのが、地元の大人たちとの人脈づくりだったと言います。
「一関に帰ってきた理由として、父親の体調が悪かったのもありますが、何よりも『俺がこのまちを変えられる』って本気で思っていたんです(笑)。でも、知り合いは少ないし、同級生も地元にいない。何もコネクションがない状態でした」
そこで思い立った阿部さんは、地元の商工会議所青年部の総会に飛び入りで参加。
「最初は『なんだアイツ?』みたいな目で見られました(笑)。それでも様々な集まりや会議に出て、なんとか顔と名前を覚えてもらいました。そこが始まりでしたね」
以降は、家業の手伝いをしながら、週に3、4回のペースで大人たちとお酒を酌み交わし、地元の大人たちとの人脈を広げていきました。
震災を機に、リフォーム業を内製化
会社にとって大きな転機となったのが2011年。
東日本大震災により、セイコウが所有する建物やアパートの多くが、倒壊や損傷の被害を受けました。
「自分たちのお客さんは自分たちで守らなければいけない」
そんな使命の下、阿部さんはお付き合いのある外部業者にリフォームや補修・修繕作業を次々と発注したそうです。
しかし、当時、外部業者は他の仕事で手一杯。長い間、お客さんを待たせる形になりました。
外部に任せていたのでは、有事の際にお客様を守ることができない。
そこで決断したのが、リフォーム業の内製化でした。
「うちは工務店じゃなくて、あくまで不動産会社。そこに大工職人を加えることで、お部屋探しから、入居後のトラブル対応、そしてリフォーム工事もできる。そんなノンストップのサービスを提供できる体制を整えました」
電気、ガス、水道などに関してはこれまでどおり外注作業となりましたが、ここでは、長年かけて築き上げた阿部さんのネットワークが本領発揮。
「人とつながることによって、いろいろな情報を得ることができました。それまでにつくってきた人脈が、そのときに大いに生かされました」
空き店舗を自ら動かす
そして、事業も軌道に乗り始めた2014年。
ここで阿部さんは、新たなチャレンジを仕掛け始めます。
「当時、地元では、地域活性化を目的としたさまざまなイベントを開催していました。でも、イベントって一時の効果しかなくて、持続性もない。イベントの翌日に商店街へ足を運ぶと、お店の人たちがみんな暇そうにしているんです。それに、空き店舗をどうするのかという話をいろいろな大人たちがしていましたが、だったら自分たちが動かなきゃいけないんじゃないか、ってどこかで感じていました」
地域活性化の定義について「そのまちにお店が増えて、事業が増えて、なおかつそれらが成長していくこと」と捉える阿部さん。
そこで阿部さんはこの年から、飲食店の営業をはじめとした地域貢献事業をグループの別会社を立ち上げ、新たにスタートさせます。
一関市大町の商店街の一角に『クレープショップ MOGMOG』をオープンすると、18年には同じく一関市大町に「リビングバー Le333(ル・トワトワトワ)」をオープン。
さらに2021年には、いちのせきまちづくり株式会社、株式会社一関平泉タクシーと連携し、飲食店の商品などを家庭に直接配達できるサービス「いちまちデリバ!」のプラットフォームの運用も始めるなど、あらゆる形で地域の魅力の創出に力を注いできました。
不動産の枠に収まらないビジョンを展開
現在、セイコウには一関店、奥州店を合わせて18人の社員が在籍しています。
あくまでもセイコウの本業は不動産業ですが、まちづくりに汗水を流す社長の姿を、従業員たちはとても好意的に捉えているようです。
2012年に入社したマネージャーの細川美幸さんは、こんなエピソードを教えてくれました。
「入社してすぐの頃に、仕事で社長と2人で車に乗る機会がありました。そのときに『どうして地元に戻ってきたんですか?』って聞いたら、『このまちをよりよくしたいんだ』ってすぐ答えが返ってきたんです。その当時から、不動産業の枠に収まらない、まちづくりのビジョンを掲げられていました。それが今となっては、ほとんど現実のものになっている。そうした視野の広さ、スケールの大きさは、本当にすごいなと感心しています」
現在、奥州店で次長を務める千田弦さんは、そんな社長の気概に惹かれ、2018年に銀行員から転職した1人。
「前職もいろいろな人とお会いする仕事でしたが、人柄にしろ、考え方にしろ、今までに見たことのないタイプの社長でした。この人の下で働いたら面白そうだなと思いましたし、引っ張ってもらうことで、自分もよりレベルアップできるんじゃないかなと思いました」
不動産会社の視点から「まちを活性化するには、人々が集まる場所をつくることが必要」と話す千田さん。
今後、タイミングが合えば、自らもまちづくりの事業へアプローチを仕掛けていきたいと意欲的です。
「われわれにも『やりたいことがあったら、どんどん企画書を持ってきていいぞ』と言ってくれます。極端な話、ラーメン屋をやりたいとなった場合、『この場所にラーメン屋を出せば、これだけ人が集まってくるんじゃないか』といったプランを社長に提案し、そこでゴーサインが出れば、お店をつくることだってできる。人が集まることがまちづくりにつながるという共通理解があるので、やるとなったら社長も前向きに検討してくれるはずです」
「『人』が求めているものへの追求」を目指して
セイコウが掲げる企業理念は、「『人』が求めているものへの追求」。
阿部さんは、これからも地域に根差し、理念に沿った事業を生み出していきたいと目を光らせます。
「いちばん大事なのは、人が求めていることに対して、それを解決するために何ができるのかを考えること。今あるサービスを改善するのか、それとも違ったサービスを開発するのか、はたまた新規事業を立ち上げるのか、やり方はたくさんあると思っています」
阿部さんは次なる試みとして、農業法人の立ち上げを計画しているという。
そこでは、いちごの栽培に取り組むほか、加工から販売までを自社で一貫して行い、新たなブランドづくりにも着手していきたいと目標を掲げます。
「不動産業を営んでいると、農地の案件がたくさん来るんですよ。農地は住宅地と違って、なかなか需要が少なく、決して価値が高いとは言えません。とはいえ、土地を売りたくて困っている人がいるのも事実。そうしたときに、農業法人があれば、その土地を取得し、あらゆる作物を生産することができる。そして、加工から販売まで行えば、新たな価値が見いだせるかもしれません」
その言葉に、ますます期待は膨らみます。
インタビューの最後に阿部さんは、将来を見据えながら、力強くこう宣言。
「最終的には、行政に頼るのではなく、セイコウという民間企業が力を入れて、自分たちでまちづくりができる力を持ちたい。民間の力を主として、このまちを変えていきたい」
まちに密接に関わる不動産の仕事。
不動産を動かすのは人であり、使うのも人です。
そのまちの人に寄り添った形で事業を展開していくセイコウの仕事は、まさに「まちづくりの仕事」なのかもしれません。
これから、まちが変わっていくことが楽しみです。
(取材:郷内和軌)