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地域の暮らしを支え続けて半世紀。お客さまに寄り添う「水まわりの専門店」

株式会社 小野寺設備 / 経理事務

インタビュー記事

更新日 : 2024年04月01日

誰しも一度は経験したことのある、お風呂やトイレ、台所、洗面所といった水まわりのトラブル。

そんな日常生活での困りごとを、豊富な知識な技術力で素早く解決してくれるのが株式会社小野寺設備です。

創業の地である一関市に根を張り、現在は奥州市、平泉町、宮城県栗原市まで営業エリアを拡大。

約半世紀にわたって、地域の人々の豊かな暮らしを支えています。

株式会社 小野寺設備 事業概要

東北自動車道の一関インターチェンジから南方面を進むこと約2km。

飲食チェーン店や商業施設が立ち並ぶ市街地の一角に、株式会社小野寺設備は社屋を構えます。

道路沿いに掲げられる看板に記された「水まわりの専門店」の大きな文字。

水道設備の修繕工事から、住宅の新築・リフォームの設備工事まで、人々の快適な暮らしのお手伝いしてきた会社です。

 

 

「もともとは水道屋に入って働いてたんだけど、公務員になった同級生たちと同じぐらいの賃金になりてえなあと思ってね。(会社を立ち上げて)最初の3、4カ月は毎日まるっきり残業して働いたもんだよ」

そう回顧するのは、代表取締役の小野寺一彦さん。

 

会社の創業は、さかのぼること半世紀前の1974年。

小野寺さんが31歳の時、一念発起で立ち上げたのが、長い歴史の始まりです。

 

中学卒業後は実家の農業を手伝いながら、地元の水道会社で働き始めた小野寺さん。

 

「当時の休みっていうのは、日曜休みが月2回、それも忙しければ休みなしだよ。しかも水道屋といったって、ツルハシとスコップ持って一日中穴掘り。それでコンクリートや道路を壊すんだけど、みんな手作業でやってた。何年も同じ仕事してるとね、『俺、一生これ

で暮らすんだべかなあ』と不安に思ったもんだよ」

 

小野寺さんいわく、その時代は水道屋の給料と農業で稼いだお金を合わせても、公務員の3分の1程度しかもらえなかったといいます。

「公務員はいいものばかりだと思ったね」と当時の本音をこぼす小野寺さん。

いわば反骨精神のような志で、会社を独立して立ち上げたのが、この小野寺設備でした。

しかし、最初から順風満帆に事業が進んだわけではありません。

少ないツテをたどって仕事を獲得したり、大手の建設会社から工事を少しずつ分けてもらったりしながら、なんとかして経営を食いつなぐ日々。

小野寺さんは、創業当時は朝から晩まで一日中、仕事に明け暮れていたそうです。

 

「3年ぐらい経ったら、体が壊れて目が見えなくなったんだよ。そしたっけ、疲労の蓄積だと医者に言われたね」

当時は5、6人で会社を営んでいましたが、配管工は小野寺さん1人だけ。

それでも小野寺さんは、決して弱音を吐きませんでした。

仕事に全力を傾けると、徐々に周囲からの信頼も集まるようになり、業績をこつこつと伸ばしていきます。

 

それから長い歳月を経た現在。

一関市内の住宅の約3割で工事を請け負うなど、今や小野寺設備は地域に欠かせない存在となりました。

 

小野寺設備の一番のセールスポイントと言えるのが、長年の経験で培われた豊富な知識と確かな技術力です。

どんな依頼にも迅速かつ丁寧に対応し、お客様の困りごとをスムーズに解決。

特に水回りのトラブルはスピード勝負とあって、現場作業員は高い集中力を持って日々の業務にあたっています。

 

今回はその中で、2人の若手作業員にお話をうかがいました。

まずお話をうかがったのは、2011年入社の齋藤拓実さん。

 

「働き始めの時は、冬期間の作業が特につらかったですね。今でもそうですが、この地域は古い住宅が多いので、水道のパイプが凍結して破損してしまうケースがよくあります。そうするとパイプごと交換が必要になってしまうので、その作業はとにかく大変でした(笑)」

 

齋藤さんは一関市出身。市内の高校を卒業後、地元で就職先を探し、この小野寺設備で働き始めました。

 

「専門の学校を出たわけでもないので、初めは作業を覚えるだけでも大変でしたし、最初の頃はずっとプレッシャーを感じながら働いていました。でもその中で、できることが一つ増えていくごとに、成長できたという喜びを見い出すことができます。そこに、自分は仕事の楽しさを感じています」

これまでさまざまな水回りのトラブルを解決してきた齋藤さん。

修理依頼は個人から届くことがほとんどですが、しばしば役所関係からの依頼が届くこともあるようです。

齋藤さんが常に心掛けているのは、与えられた仕事に対して真摯に向き合うこと。

 

「仕事をおろそかにしてしまうと、会社の将来はもちろんですし、お客様の将来にも迷惑をお掛けすることになりますからね」

 

そうした実直な姿勢こそ、小野寺設備が地域に愛される証拠なのかもしれません。

続いてお話をうかがったのは、11人いる現場作業員の中で最年少の佐藤翔さん。

 

1994年生まれの佐藤さんは福岡県出身。結婚を機に奥様の地元である一関市に移り住み、21歳の時から小野寺設備で働いています。

 

「この会社に来て初めての仕事が、破砕機を使ってコンクリートを壊す作業でした。振動が身体に伝わる作業だったので、家に帰ったら腕がパンパンに膨れ上がっていたのを覚えています(笑)」

 

高校時代は野球に打ち込み、社会人の今でも草野球チームに所属する佐藤さん。

根っからのスポーツマンでも、働き始めた当初は力仕事の大変さに面食らったそうです。

 

そんな佐藤さんの成長を支えたのが、年が離れた先輩作業員の皆さんでした。

一緒の現場に行けば豊富な知識を基にどんなトラブルにも対応し、分からないことがあれば何でも教えてくれる。

 

「皆さんいい人ばかりなので、とても働きやすいです」

 

佐藤さんは頬を緩ませながら、先輩たちへの感謝の口にします。

その一方で「お客さまあっての仕事」とも話す佐藤さん。

どんな時でも、相手の目線に立って物事を考えることは忘れません。

 

「作業日数が長引くと、その分だけお客さまの金銭的負担も発生してしまうことになります。丁寧さはもちろんですが、できるだけ素早く作業することにも努めています」

 

ちなみに今後の目標をそれぞれに尋ねると、こんな頼もしい言葉が返ってきました。

 

「この会社が存続する限りは、ここでずっと働いていきたいですね。この業界に入って10年以上が経ちましたが、これまで触れてこなかった仕事もまだまだあります。特に道路関係の工事はあまり経験したことがないので、機会があれば、そうした仕事にも積極的に関わってみたいです」(齋藤さん)

 

「ずっとこの仕事を続けてきましたが、今でも分からないことはありますし、これから先もどんどん出てくると思います。完璧に習得できるまでには時間がかかるかと思いますが、早く全部の仕事を覚えられるようになりたいです」(佐藤さん)

 

2人のような若い力は、会社の貴重な財産となっていくことでしょう。

しかし、近年は作業員の高齢化も顕著で、さらなる若返りも必要とのこと。

一体どんな人が、この仕事に向いているのでしょうか。

小野寺さんに尋ねると「やっぱり真面目な人だね。今の若い子たちは、みんな真面目なんだべけども(笑)」と答えます。

 

 

地域に根差した水道設備会社として、事業を続けて半世紀。

時代は移り変わっても、根底にある思いは変わりません。

 

「新しく作った建物でも、水回りが壊れる時がやってくる。その時に一番困るのは誰かって言ったら、そりゃお客さんだよね。だから俺たち配管工は、せっかく働くんだったら、お客さんに喜んでもらいたい。その思いでずっと仕事をやってきたのっしゃ。お客さんに喜ばれることが、われわれの働きがいでもあるからね」

小野寺さんは最後にそう言って、ニコッと穏やかな笑みを浮かべました。

 

創業以来から育まれてきた、お客さまファーストの精神をずっと大切に。

小野寺設備はこれからも「水まわりの専門店」として、地域の豊かな暮らしを支え続けていきます。

 

(取材:郷内和軌)