話し合いから、地域が変わっていく
川崎まちづくり協議会 菅原花さん話し合いから、地域が変わっていく
川崎まちづくり協議会 菅原花さん岩手県南にある、一関市川崎町。
2尺の大きな花火があがる夏祭りが有名な町で、北上川も近く自然があふれる場所だ。
川崎市民センターという市民の憩いの場を訪れると、「川崎まちづくり協議会」という窓口が見える。
そこから優しそうな笑顔で、事務局の菅原花さんが明るく出迎えてくれた。
川崎まちづくり協議会の活動目的は「町のことを町に住んでいる住民自らが、地域の課題を考えて、話し合って行動しよう」ということ。
菅原さんをはじめ川崎まちづくり協議会では、住民同士が話し合える場を作る事を大切にしている。
「川崎町は、一関市に合併する前は地域を代表する議員さんがいて、地域の課題を市議会とかに届けてられてたし、そこで話し合って、解決に向かうことができていたんだけど、合併後から、そういった議員さんがいなくなってしまって」
「それで、やっぱりこれからの時代、行政に地域の課題を丸投げではなくって、自分たちもどうしたらいいのかっていうのを話し合っていくことが大切だよねっていう理由で川崎まちづくり協議会が設立したんです」
協議会の主な活動は話し合いだ。
川崎町の公共施設6か所に設置されているまちづくりポスト。そのポストに投函された地域の声を元に、住民同士の話し合いから活動がスタートする。
「地域に関わる人達を増やして、自分達の町のことを自分たちで考え、話し合って少しでも良くしていくというような流れを続けていきたいです」
菅原さんは、目を輝かせながら活動内容を教えてくれた。
「話し合いの他にも、町内のイベントや出来事などの情報を情報誌『かわ・らばん』やSNSで発信しています」
「単に発信するだけでなく、関心を持ってもらえるように、水色ウサキという川崎のオリジナルキャラクターを作って、住民の皆さんの日常生活を水色ウサキとともに撮影して発信しています」
菅原さんは、もともと川崎町の出身、この町で育った。
高校卒業後は盛岡の大学へ行き、その後地元に関わりたいと考え、地元の企業に就職した。それと同時に、川崎まちづくり協議会の会員になった。参加できる範囲で、まちづくりの話し合いや地域内のイベントのボランティアなどに参加していた。
しかし、地元就職した2年後、突然、東京への転勤が決まる。菅原さんは、一度は東京に行ったものの、東京で暮らすことに違和感を感じ、戻ってくることを決意する。
「もともと自然が好きで、人がいっぱいいてガヤガヤしたところは苦手っていうのもありました。一番の理由は、東京にいると、やっぱり地元のことに関われないなって思ったことでしたね」
その後は実家の畜産業を手伝い、その並行でボランティアとして川崎まちづくり協議会の会員を約4年間続けていた。
偶然、事務局員の募集があったタイミングで、菅原さんはやってみたいと応募し、川崎まちづくり協議会の事務局員になった。
地域に深く関わる菅原さんだからこそ感じる川崎町の魅力について教えてくれた。
「世代を超えて色んな人が、自分の川崎の町を良くしようとかっていう話し合いに参加してるんです。そういう人が沢山いるのが川崎の魅力だと感じています」
地域は、住んでいる人がいるからこそ成り立つ。
住んでいる人が自ら変えようとすることで、町は変化すると感じた。
菅原さんは、「まちを包む包想紙プロジェクト」というものにも取り組んでいる。
「数年前に若者語りの会というものをやっていたんです。その時に、川崎の良いところを若い人たちに沢山あげてもらったの。でも、そこで出た話をそのままにするんじゃなくて、地域を元気にするような何か形にしたいと思って」
「川崎の魅力を一つの大きな紙にまとめて、地域の人たちが自由に使える、町を包む包想紙を作ってみましょうっていうことになったの。包想紙の「想」という字には、町の皆の想いを包むという意味を込めています。若い人たちで話し合いをして、そこからイラストをみんなに書いてもらって、最終的には秋田のデザイナーさんに一つの紙にまとめてもらったんです」
実際に見せてもらうと、そこには各自治会の文化や魅力が色とりどりに描かれている。
「敬老会の記念品に包んでもらったりとか、保育園の運動会の参加賞に包んで使ってもらったり、地域でいろんな使い方をしてもらいたいなって思っています」
今後この包装紙が川崎町以外の人にも広まることによって、町のPRにも繋がるはずだ。
菅原さんのお話からは、地域の人との交流をする場を大切にする川崎の風土を感じました。そこに集まった地域の人たちが考えるアイデアが実際に様々な形となって、川崎の魅力を伝えています。
取材 鈴木優唯
※この記事は、岩手と学生を繋ぐ関係人口創出プロジェクト「わたしといわての研究所」のゼミの一環で、学生が制作しております。