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株式会社みやびの宿加賀百万石 / レストランサービス

インタビュー記事

更新日 : 2024年06月26日

奈良時代から歴史を刻み続ける加賀市の山代温泉。今も昔も多くの文人墨客を集める湯治場は、南加賀有数の観光拠点である。2024年3月には玄関口となる加賀温泉駅に新幹線が開業し、さらに注目が高まっているといえよう。
みやびの宿加賀百万石は大聖寺川に面した広い敷地にそびえる人気の宿である。エントランスで待っていると、旅行客らの談笑が聞こえてきた。

「私の経験をもとに、日本一働きたい旅館を目指して改善を進めているんです」
2022年に着任したばかりの吉田久彦社長(41)が、波乱の経歴を語り始めた。

株式会社みやびの宿加賀百万石 事業概要

加賀四湯のひとつであり、1300年の歴史をもつ山代温泉に所在。2万坪の敷地に200室以上を備えた国内有数の規模を誇っており、前身のホテル百万石時代から加賀地方の観光の拠点になっている。北陸の食材の地産地消に取り組み、加賀百万石の食文化発信にも力を入れている。

 

「戻ってきた」社長

みやびの宿加賀百万石は、1907(明治40)年に創業した旅館をルーツに持ち、2012年まで「ホテル百万石」として営業していた。ホテル時代は昭和天皇、イギリスのサッチャー元首相が宿泊したこともある格式高い宿だというから驚くばかりだ。
吉田さんは幼いころから祖父の経営していたホテル百万石を散歩しながら、将来はここを任されることになるだろうなと漠然と感じていたという。

幼いころから業種を問わず「社長になってみたい」という夢があったという吉田さん。東京の大学に進むが卒業後は加賀に戻らず、親に黙って大手旅行代理店に就職した。

「両親には大学卒業後にすぐ帰って来いと言われていたのですが、ここで加賀に戻っても社会のことを何も知らないなと思って。旅館の取引先なら怒られないだろうとこっそり就活したんです」

旅行代理店で観光産業についての知識を深めていた矢先の2011年、宿を経営していた父から衝撃の連絡がもたらされることになる。
「ホテル百万石の経営破綻です。休暇の旅行中に電話がかかってきたので本当に驚きました。そこまでひどいことになっていたとは知らなかったんです」

吉田さんは急遽、旅行代理店を退職。従業員を守るために設立したホテル百万石の新しい運営会社「百万石アソシエイト」に加わることになった。しかし、その運営会社も事業そのものが立ち行かなくなり1年後にホテルはあえなく閉館。その後、旅館のコンサルや運営を手掛ける東京の会社に就職し、様々な旅館の運営に携わることとなった。

閉館から3年が経とうとしていたころ、ホテル百万石のスポンサーになっても良いという企業が現れた。吉田さんは、勤めていた会社を退職し、実家の再興に向けての準備をすることになった。しかし、閉館してから3年近く経過した旅館の損傷は激しく、原状復帰でもスポンサーの予算を大幅に超えてしまうことが分かり、スポンサーは再開を断念。吉田さんは、再開に向けて他のスポンサーを探すものの何度も頓挫し、ホテル百万石の再開を諦めることとなった。この苦しい経験が実を結び、知人から山代の別のホテルを支配人として任されることになった。宿泊施設経営に熱中した吉田さんは1年でホテルを黒字転換させるまでに成長させた。

吉田さんが支配人として別の旅館で働いている頃、ホテル百万石の引き取り手がつき、廃墟になっていた建物は「みやびの宿加賀百万石」として2018年12月にリニューアルオープンすることが決まった。しかし、オープンから1年ほどで新型コロナウイルスのパンデミックにより、旅館経営は一気に火の車に陥った。
2022年10月、みやびの宿加賀百万石のオーナーから声がかかり、吉田さんは6年半ぶりに呼び戻され、現在の運営会社「株式会社みやびの宿加賀百万石」の社長に就任した。代々家族が誇っていた宿のトップに舞い戻ったのである。

実家の旅館に戻ってきた感慨に浸る暇もなく、今度は前任者による雇用調整金の不正受給が発覚してしまう。
夢だった社長としての業務は謝罪会見で幕を開けることになった。

決して順調とは言えない歩みだが、吉田社長は笑顔を崩さない。

「波乱もありましたがいいタイミングでいろいろな人に救われて乗り切れたのは幸運でしたね」

従業員の目標示す

旅行代理店や、支配人を任されていた以前のホテルで、吉田さんはあることに気づいたという。
「従業員ひとりひとりのモチベーションを上げていく仕組みが宿泊業にはあまりないなと感じました」

経営が黒字でも待遇が目に見えて向上することは少なく、しっかりとした評価基準があれば頑張れるのにと悔しく思うこともあった。自身が社長に就任したみやびの宿加賀百万石では、さっそく改善に乗り出した。
評価や役職による給与体系に加え、英語やスペイン語会話、調理師やソムリエ、大型自動車免許など能力・資格を持つ人にはスキル給を上乗せすることに決めたのである。これまで上司の裁量だった評価基準が、従業員にも明確に示されるようになった。

「社員にはステップアップする足がかりが見えるようになったと思います。昇給条件がわかりやすいので海外出身者を雇用するのにも適したシステムです」

さらに、2024年1月の能登半島地震の際には300人以上の避難者受け入れに真っ先に手を上げた。そして、ただ客室を提供するだけでなく、炊き出しや音楽ライブ、健康体操などのイベントを定期的に開催したり、館内で新たな住居や就職を相談できる窓口も設けたりするなど、被災した人々への積極的な生活支援を行った。
観光客と被災者は性質が異なるように見えるが、吉田さんの考えは一貫している。
「お越しになる皆様に喜んでいただき、送り出す時には笑顔になっていただくことが宿泊業の一番のやりがいだと思っているんです」

避難者の受け入れと対応は、宿の原点を思い出すよい刺激になった。最初は多忙でギスギスしているように見えた社内も次第に雰囲気が柔らかくなり、従業員同士のコミュニケーションも増えているという。
「ホテルとしてはやっとスタートに立てた、いよいよこれからだなという感じがします」吉田さんもうれしそうだ。

 

日本一、働きたいと思われる旅館を目指して

観光・宿泊業は浮き沈みが大きい。最近では新型コロナウイルス感染流行や能登半島地震が集客に響く一方、新幹線延伸開業など大きな誘客チャンスも巡ってきた。
長期的に安定経営を続けていくためには、施設やサービスの本質的な魅力を引き上げ、リピーターを増やす施策を打ち出さねばならない。これまでにないアピールポイントを打ち出そうと社内ではさまざまなアイデアが繰り出されるようになった。
取材時に行われていたのは、ニューヨーク出身の美術作家が泊まり込みでアートを制作する「アーティストインホテル」。新進のアーティストにひとつの客室を丸ごと預け、壁や床など自由にアートを描いてもらう。完成後は泊まれる美術館「アーティストルーム」として新しい目玉になる予定だ。

一方で、旅館らしいサービスを提供するための人手不足は深刻だ。現在は220の部屋に対し客室担当は120人ほどの状況。お客様に寄り添い細やかなサービスが求められる旅館業態では、スタッフの数はまだまだ足りていないという。

「私の就任後には年30人ペースで従業員雇用増を目指しています。ただ、このペースでもまだ数年は不足が続いてしまうでしょうね」

決して場当たり的な人数集めをしているわけではない。再開からまもないみやびの宿の社員はまだ少なく、管理職クラスは常に不足している。この先も宿を回していくためにも、多くの従業員を育てていくことが喫緊の課題になっている。

「人事や予約管理、レストランサービスなどができる人は喉から手が出るほどほしい状況です」と吉田さんは頭をかいた。

立て直しが進むみやびの宿加賀百万石。ここで働くことに向いているのはどんな人材なのだろうか。吉田社長に単刀直入に尋ねてみた。

「宿泊業未経験でも構いません。むしろほかの業種の経験があるとよいですね。お客様に喜んでいただくことに働く魅力を感じるなら歓迎ですよ」


長い眠りから目覚め再び動き出した名門旅館に、次々と沸き立つ新しい計画の数々。

「宿を再び盛り上げていくなんて面白い仕事、今しか体験できないですからね」

胸を張る吉田社長からは、山代の湯にも負けぬ熱気を感じた。

(外観、客室写真は同社提供)