「はかり屋さん」からタンクのプロに
出迎えてくれたのは人事課長の安達和彦さん(44)。京都府出身で外資系保険会社などを経て、2020年に入社したばかりだ。
主力製品の大きなタンクは先ほど見たばかりだが、改めてタマダの歴史を教えてもらうことにした。
「最初は玉田製作所という、油の量を量る【はかり】を作る会社からスタートしています」
戦後、まだ自家用車が普及する前の時代。今よりずっと小規模なガソリンスタンドで使われたのは、計量器のついた移動式のタンクだった。タマダの前身である玉田製作所は、この計量器修理を請け負う業者としてスタートし、次第にガソリン計量器にまつわるさまざまな業務に関わるようになり、ついにはガソリンスタンドそのものの設計、施工を手掛けるまでになった。
燃料タンクも地下埋設が当たり前になると、新たな問題が発生した。1990年代に入ると古い燃料タンクからガソリンが漏れ出し、土壌汚染につながる事象が出てきた。3代目社長の玉田善明氏(現会長)はアメリカに渡り、当時の日本には無い技術の「SF二重殻タンク」に注目した。鉄とFRP(繊維強化プラスチック)で作られた軽く強固な構造である。さらに部材の継ぎ目をなくすFRPのスプレーアップ工法を採用し、漏洩による土壌汚染の可能性を限りなく小さくすることに成功した。
「国内で二重殻タンクの設置を進めるなか阪神大震災が起こったのですが、タマダのタンクは無事で、地震に強固なつくりが実証されました」
その後、タンクの品質が評価され、今では石油元売各社よりタンクの受注を引き受けることになった。今ではタンクを設置に関するトップシェアを誇っている。また、地震に強いタンクの技術を応用し防火水槽製造もおこなっており、高いシェアを獲得している。
新しい風を
安達さんは京都府の北部、京丹後市出身。野球のコーチを目指していた時期もあったが狹き門であることから学生時代に栄養士の資格を取り、新卒で全国展開する食材宅配サービスの会社に就職した。北陸方面の担当となり、入社2年目には金沢に転勤した。現場での働きが評価される一方で将来への不安もあり転職を決意。知人に紹介してもらった外資系の生命保険会社の営業に転身した。
「当時の上司には反対されましたが、不思議とうまく行ってしまいました」と話す安達さん。28歳のときには別の保険代理店にスカウトされてまた転職。このころから青年会議所に参加し、同期であるタマダの玉田善久社長と知り合ったことが入社のきっかけとなった。
「タンクの知識など無く、まったく未経験で、最初は営業所で学ぶところからスタートしました」
今では人事のキーマンとして、会社の広報活動や社内の構造改革にも意識的に取り組んでいる。
「良い人材を育てたい、新しい風をどんどん入れていきたいと努力しています」
人柄を育てたい
創業から70年以上にわたり、金沢から全国への展開を果たしたタマダ株式会社。土壌汚染を防ぐために開発したタンクは、高い安全性が評価され、自治体の防火水槽や建物の非常用発電用燃料タンク、ビル屋上ヘリポート給油施設などさまざまな場所で活用されている。東日本大震災では原発事故で発生した汚染水を一時保管するタンク370基を3ヶ月あまりで製造し、被災地の安全確保を後押しした。最近は生活インフラの成長が見込まれるベトナムなど海外進出も積極的に行っている。
求職者からも人気の会社なのだから、人事では経歴をかなり厳しく審査するのでは?安達さんに聞いてみると少し予想外の答えが返ってきた。
「そんなことはありません。この仕事は早くて3年、遅くとも5年あれば一通り覚えられます。そこから大事になるのはもともとの人柄なんです」
普段の何気ない行動が、人望につながり社内の生産性向上や業務環境の良さにつながる。それは、社外の方と接する場合も同じ。
ただ、長年に渡って地元を大切にしてきた会社であるため、制度や考え方、社風が変化しにくい部分もあると安達さんは言う。
「新しい風をどんどん入れたい、タマダ以外でも活躍できるような人を育てていくことが大切なんです」
学生向けの説明会ではわかりやすい指標として、次の5か条を掲げている。
- 自分で考えて行動できる。
- 楽しそうに話ができる人。
- 何事にも全力で取り組める人。
- 多少のストレス耐性がある人
- 自分の弱みを把握している人
「タマダで成長し、弊社でも他社でも活躍できる人材になってほしいと思っているんです」
安達さんは力強く語り取材を締めくくった。
安全なタンクを作り続けるタマダ。普段は目にすることのない製品だが、社会インフラには欠かせない部品となっている。
自然環境や人々の生活だけでなく社員も大事に守っていく気風を感じた。