復職で気付く
山崎敦美園長(63)は金沢出身。学校の仲間と町内を駆け回る活発な幼少期を送った。高校生のころの将来の夢はいろいろなところへ旅できるバスガイドか、子どもと仲良くできる保育士かの二択だったという。
「それやったら保育士にしとき!」根拠はないものの勘の鋭い母の言葉に背中を押され、短期大学で資格取得を目指すことに決めた。
卒業後は金沢市内の園に就職。このまま順調にキャリアを積んで園長になったのかと思いきや、なんと一度保育士を辞めてしまうのである。
「指導がうまく行かないことが多くて、力量がないしやめたいなと思うようになりました」
子どもと仲良くできる自信があった山崎さんだが、言うことを聞かない園児や、保護者の対応などがうまくいかず苦労の連続だった。10年ほど勤めた頃、同時期にガンで闘病中だった父親の姿も頭をよぎり、逃げるように実家に戻った。しばらくして父が亡くなり、山崎さんの退職理由のひとつでもあった介護が終わった。また働こうと事務職のパートに応募するも結果はことごとく不合格。「やっぱり保育園に戻るしかないのかもしれない」。気が乗らないまま、新しい園で再スタートをきった。
ほどなくして、園長同士のネットワークで前の園長にも山崎さんの復職が伝わった。人手の不足しがちな業界で10年も勤めた人材は貴重だ。前の園長に「もう一度働かないか」と誘われ、復職から1年もたたぬうちに元職場に返り咲くことになった。
この間、山崎さんの心境にも変化があった。同僚となったベテラン保育士から、子どもの気持ちを引き出すことの大切さを伝えられたのだ。今まで「言うことを聞かない」と思っていた子どもたちにも、そうせざるを得ない理由がある。子どもたちの悲しみや苦しみの原因まで到達することができていなかったのだとショックを受けた。
「クラス全員がいい子に育って、保護者に頼られるようになりたいと思っていましたが、重視すべきはそこではなかったのだと反省しました」
どんなときも子どもの目線に立つことを第一に、クラスを取りまとめていくうちに、新たな課題も見えてきた。それは担任ひとりでは解決できない園の大きなシステムや共通の目標設定についてだった。
「自らすべての子どもに目が届くように整えていきたいと思ったんです」
自分で園を作りたいと動き始めた山崎さん。計画は地元機械メーカー社長の目に止まり、支援を受けて運営法人「紫志の会」が発足。折しも野々市市が民間保育園の拡充をすすめていた時期と重なり、ついに山崎さんの思いを具現化するエンジェル保育園がスタートしたのである。
きっかけを与える
エンジェル保育園では体操、水泳、英会話を3本柱に子どもたちの能力を養っている。体操では共同作業の能力、水泳は体力、英会話はコミュニケーションの土台にもなる。園で触れたのをきっかけに、部活動や習い事としてスポーツを続ける人も多く、近隣の中学校では卒園生が陸上の全国大会などで活躍している。
「とにかく先生からの押しつけではなく、子どもたちの意見を吸い上げるために工夫をこらしています」
園の夏祭りは子どもたちが率先して計画するようにマインドマップを導入している。バラバラに見える思いつきをわかりやすく整理することで、新たな発見をうながす効果があるからだ。もちろん意見を言いづらい子どもにはそっと寄り添い、ヒントを与えるのも忘れない。そして、この考え方はそのまま職員の研修にも生かされている。
「園長が命令するとプレッシャーが掛かるじゃないですか。先生同士で話し合い、発表させる機会を尊重しています」
復職を経て編み出された山崎さんの考えは非常に現代的に感じられた。
働きやすく、取り残さない
職場としてのエンジェル保育園も、山崎さんのアイデアで効率化が進められている。掃除や事務作業に専任の職員を置き、保育士は子どもに集中できるようにした。それでもやはり保育士の仕事は多いため、他園に先駆けてIT化もすすめた。今では連絡帳や帳簿の手書きはなくなり、保護者ともスマートフォンでやりとりできるようになっている。残業もほとんどなくなり、職員旅行なども恒例行事となった。
ほかにも各家庭で購入して持ち込むおむつやエプロンは保管や在庫管理が煩雑になっていたため、園で一括購入し、保護者が毎月一定額を支払うサブスク方式に改良。職員の負担も減り、保護者の経済的な負担も抑えられるようになった。
「保育は保護者の考え方もあり、伝統を変えるのが非常に難しいですが、ひとつずつ説明しながら進めています」と山崎さんは語る。時折寄せられるクレームもウェブページで公開するなど、子どもと保護者、職員など関係者全員誰も取り残さないインクルーシブ教育の考えが貫かれている。
素直になる
エンジェル保育園が求める人材は素直であることが第一だ。子どもが好きで、仕事が早く片付けられたとしても、子どもの意見を聞きいれることができなければ、適切とは呼べない。先生というと偉くなった気がしてしまうものだが、子どもの発言を否定せずに寄り添うのが保育の基本。インクルーシブ教育は、あくまで保護者ではなく子どもが主役の考え方だ。
「子どもにも自分の考えがあります、信じて話を聞き、問題の背景を想像し、まるごと受け止める心構えが必要です」
職員や保護者から人気の先生が必ずしも優れているとは限らない。小手先の技術ではなく誰にでも寄り添う姿勢が信頼につながるのだ。「私もようやくできるようになったところですけどね」と山崎さんは謙遜しながら笑顔を見せた。寄り添う保育で時代の先を見つめるエンジェル保育園。背の低い椅子やテーブルは愛らしいが、子どもたちの未来は大きく重い。
「どの子も総理大臣になるかもしれないと思って接していますから」
冗談めかした山崎さんの真っ直ぐな瞳が記憶に残った。