WORK 石川の仕事 WORK 石川の仕事

目指せ!能登牛マスター!

株式会社サニーサイド / 能登牛スペシャル営業職兼ブランディング職

インタビュー記事

更新日 : 2023年10月25日

生活必需品が並ぶ町のドラッグストア。近年はお菓子や冷凍食品だけでなく肉や野菜までも扱う店舗が増え、スーパーマーケット顔負けの品揃えになりつつある。北陸三県の店頭に並ぶ精肉を手掛けているのが、県内でも老舗の精肉、流通卸のサニーサイドだ。

「うちの社員は営業担当でも牛1頭まるごとさばくことができるんです」

専務取締役の中田光信さん(38)が胸を張って言い切る。ここはさながら肉のスペシャリスト養成校。精肉工場とばかり思っていたので、こちらも慌てて襟を正した。

株式会社サニーサイド 事業概要

1922(大正15)年、金沢市内で精肉店として創業。1948(昭和23)年に株式会社化した。販売店から流通卸へと業態を変え、現在はスーパーやドラッグストア向けの商品製造が主軸。能登地方で生産されるブランド牛「能登牛」の取扱量トップであり、近年は白山市のローカルフード「美川の上シロ」など地域産品の販路拡大に力を入れている。

欠かせないものだからこそ

サニーサイドは大正時代に金沢市内の精肉店から暖簾分けし、駅前商店街の一角で事業をスタートした。創業100年を数え、中田さんの父である吉則社長は3代目。町のお肉屋さんが北陸三県を股にかけるほどの大成長を遂げたきっかけは、昭和40年代以降に台頭しはじめたスーパーマーケットだった。

「これからはみな商店街ではなくスーパーで肉を買うだろう」。自店舗での販売を縮小し、加工、流通に特化することで大口需要をキャッチできるように体制を整えた。社内の予想は大当たりし、北陸にも続々と増える店舗を追い風に、急激に業績が伸びていった。

しかし2000年代になると、景気停滞と少子化により全国で小売店統廃合の波が押し寄せた。これにより供給先が減った食肉加工業は大きな痛手を受けた。県内でもかつては地元に根ざしたメーカーが多数存在したが、今ではハムなどの加工品が得意な全国大手が圧倒的なシェアを握り、業界の構造も大きく変化してしまった。

残った業者間での価格競争も苛烈になっている。サニーサイドでは肉を知り尽くした社員を各地に送り出し、セールスに一層力を入れる。既に県内の牛、豚肉販売はトップシェアではあるが、今後も他社と差をつけるための「武器」が求められた。

「そこに現れたのが県産ブランド牛『能登牛』でした」

90年代末から県と農家がタッグを組んでブランド化を推し進めてきた能登牛は、2015年の北陸新幹線金沢開業を期にじわりじわりと注目度が高まっていた。地元企業として地元名産の豊かな味わいを広めることはまさに使命だった。年々規模を拡大し、ここ数年は能登牛の取り扱い金額第1位を独走している。取引先からも「サニーサイドといえば能登牛」と認知されるようになってきているという。

「生産量が少ない今のうちに売れる道筋をつくらなければ、将来価格が下がって低迷してしまうことになります」

自社の武器として始めた能登牛だが、生産者や飲食店と積極的に関わるうちに、牛が地元の価値に直結することを実感。中田さんは自ら関係先を訪ね歩き、日々SNSで発信している。県内の飲食チェーンや精肉以外の食品メーカーとも積極的にコラボ企画を打ち、魅力発信に明け暮れる毎日だ。

一方で地元の古くからの食文化も大切にしている。そのひとつが白山市美川で生まれた豚ホルモン「美川の上シロ」だ。食べづらさがある直腸を湯を使わずていねいに洗浄し、味噌や醤油のタレに漬け込む製法は他社の豚ホルモンと全く異なる味わいを生む。もともと現地の小規模なメーカーで製造していたが廃業が決まり、サニーサイドが受け継ぐことになった。生産量は当時の5倍ほどに増え、より多くの人に親しまれるようになってきている。

さばくところから

サニーサイドが求める人材は、ずばり肉のスペシャリストだという。既に知識のある人は大歓迎だが、社員の多くは未経験からのスタートだ。営業職であろうと、最初に覚えることは決まっている。

「まず牛、豚をさばくところから教えますね」

冗談めかして答える中田さんだが視線は真剣そのもの。実際に営業社員の半数以上は、枝肉を切り分けてパッキングするところまで身体に叩き込んでいるという。実際に触ったことがあるからこそ「この部位のほうが柔らかい」「色味が良い」など細かな知識が自然に頭に入る。営業先の小売店や飲食店でのセールスに大いに役立つという。

営業はルートセールスで、スーパーやドラッグストア、食品製造工場に肉を届ける一課と、飲食店や小口需要に特化した二課に分かれている。トラックでの配送まで自社で手掛けており、新商品の提案などもその場で柔軟な対応ができるのが売りだ。工場勤務のほうではローテーション制が確立され、連日の早朝出勤や、休日返上で働くことなどもなくなった。

今、社内で力を入れているのは、やはり能登牛だ。

「実は、海外に持っていこうと考えています」と中田さんは力強く言う。

世界では空前の和牛ブームが巻き起こっている。国内のブランド牛の多くは中国などで高く評価され、ヒレやサーロインなどの人気の部位は引く手あまた。能登牛も最近は石川県外からの引き合いが増えており、中田さんも大きな可能性を感じている。一方で県の食肉解体場が海外の厳しい衛生基準を満たしていなかったり、県内で輸出手続きができなかったりと、社外にも乗り越えるべきハードルが多い。

「グローバル展開のためのブランディングをもっと考えるべき時期に来ています」

既に日本には多くの有名ブランド牛があり、海外で見かけるのは他県のものばかり。北陸では評判がよくても、海外に売るにはプラスアルファの新しいアイディアがなくては戦えないと肌で感じている。

「既存顧客を大事にしつつ、国内外で新規取引先を取り込んでいく、飛び込み営業のようなものがこれから必要になるでしょうね」

現在も熱心に行っている営業は「今まで通り、趣味と同じ」と謙遜する中田さん。それでも地元の生産者と消費者のパイプとして各地を駆け回る理由は、地域を支えたいという思いがあってこそだ。このパイプが海を越えてつながれば、生産者を通じ、石川県全体の利益になるのは間違いないだろう。

取材の最後、白衣を手渡され工場に案内された。

初秋とはいえまだまだ夏日が続く時期。作業場はわずか4度ほどで思わず背筋が伸びる。曇るめがねの奥で一片250キロほどの重さがある巨大な牛の枝肉がゆらゆらと揺れていた。

「どうです、大きいでしょう?」

説明する中田さんの横で、従業員があっという間に肉を切り分けていく。

大きなナイフを握りキャップとマスクで全身を白く固めた勇ましい姿はさながらフェンシングの選手のよう。涼しい工場では日々、熱い戦いが続けられているのだった。