眠れないほど試行錯誤
杉浦さんは埼玉県熊谷市出身。2年前まで、東京の医薬品メーカーに勤めていた。医薬品とは言っても私達が買える薬ではなく、それらの薬の原料を取り扱う会社である。杉浦さんがいたのは営業職のような部門だが、自身はもっぱら営業マンをサポートする指示役に徹していたという。
「同じビタミンの粉末でもたくさんの種類があります。誤って納品したら大問題になってしまうので気を使うんです」
在職中には複雑になる在庫管理や請求書の作成を省力化するための工夫をこらした。社内で独自の管理コードを開発し、倉庫間に回線を繋いでオンラインで発注が出せるように整備していった。
「数多くいる社内の人材を適切な場所に配置するよう苦心しました」
会社の事業内容の変化に対応しながらシステムを編み出し続けたという。確かに裏方だが、もはや職人のような立場だ。
転機となったのは勤めていた会社の本社機能移転だった。移転先は珠洲。今まで一度も転勤したことのない杉浦さんだったが、家族の後押しもあって2020年秋に珠洲市に移り事務所の立ち上げから関わることになった。
念願の事務所が開業したあと、当時の社長から託された次の仕事がビーチホテルの活性化だったのだ。
「ホテル業は全く未知の世界でしたが、やっていくうちに前の会社と似ているなと感じました」
営業職における発注や受付、納品が、ホテルだとそれぞれ独立した別の部署になっている。構造が理解できた途端にやるべきことが整理されていった。今では地元の業者などとも連携しながら、ホテルの存続に情熱をかけて臨んでいる。杉浦さんは楽しそうに話を続けた。
「若い人にはいろいろ試してみなよと言ってきたけれど、この歳になって自分が試行錯誤するとは思わなかった。今ではホテルのことを考えると眠れないほどですよ」
地元から魅力発信を
杉浦支配人の横で少し緊張した面持ちで耳を傾けているのが、入社1年めの泉友梨さん(19)だ。珠洲出身で地元高校を卒業したばかり。社内でも最年少だ。高校のころから接客業が向いていると感じていた泉さん。卒業後は多くの同級生が市外へ出ていく中、珠洲での就職を選んだ。
「人の多い都会は性にあわなさそうだなと感じまして。珠洲は人は少ないですが、祭りや青年団など関わりが濃いんです」
今はホテル内の清掃のほか、広報用の資料作成なども徐々に覚えている最中だという。
「移住者や旅行者のほうが珠洲に詳しくて驚くこともあります。魅力を伝えられるように勉強していきたいです」
先ほどまでの緊張も薄れ、泉さんは笑顔で答えた。
目的になるホテルに
ビーチホテルは開業時に市が整備した経緯から半官半民の施設である。バブル景気が一段落した後にオープンしたため、市としてもなんとか盛り上げていきたいと努力を重ねていた。
「最初はなんとか経費を抑えようと、少数精鋭で回せるように知恵を絞りました」
着任後すぐ新型コロナウイルスの感染拡大に伴って宿泊客は激減。だが、流行前から予定していた大規模な改装工事に余裕をもって取り掛かることができ、新たにシェアキッチンやサウナなど、現代的な施設がお目見えした。
「家で例えれば、やっと骨組みができた段階。やっと内装工事に移ることができます」
杉浦さんたちが目指すのは冬の誘客と滞在時間の延長だ。海のレジャーが盛んな能登では、夏の収益で冬を乗り切る宿泊業者がほとんど。さらに金沢から130キロ、車で3時間近く離れていることから、帰宅を早めるためにホテルを1日早く切り上げて帰ってしまう客が多いのが特徴だ。新たに整備したサウナや、すでにあるスポーツジムやプールを活用して、課題解決に向けた策を練っている。
「やはり観光の中心として、寝る場所ではなく目的地となるホテルになりたいですね」
裏方として仕事を支え続けた支配人が目指す、奥能登の表舞台。
行く手はアルプスのように険しいかもしれないが、その姿ははっきりと見えている。