何もなかった能登
奥能登には昭和30年代、60年代に2度の観光ブームが起こった。高度成長やバブル経済成長によって都市近郊が急激に開発された時期に、豊かな農漁村の営みが残る奥能登は、「日本の原風景」として注目されたのである。
山口さんは2度めのブームが去った頃、珠洲に生まれた。
「珠洲にはカラオケもボーリングもマクドナルドも、同世代が遊んでいるものが何もなくて嫌でした」
地元高校に進学したものの、卒業後は華やかな都市生活を夢見て珠洲を飛び出し金沢の会社で働き始めた。
だが、夢見た生活も慣れない仕事と都会の忙しい日々の往復で次第に疲れ始め、憧れていたアパート暮らしも、自動車の騒音が気になって眠れなくなった。
「どうせ騒がしいのなら、自動車より波の音が聴きたい」長女の出産も控えており、地域で助け合える珠洲が住まいにふさわしいのではないかと考え直し、数年ぶりに珠洲へ戻った。山口さんは改めて戻った珠洲の充実した様子に感動したという。「都市にあるのは人間が作った娯楽ばかり。ここには木に登ったり海に入ったり豊かな遊び方があるのに、高校を卒業し金沢に住むまでは全然気付いていませんでした」
ブームを見たい
バイトの取引先だった関係者に誘われて入社したザアグラリアンテーブル社。母方の実家があった木ノ浦は、幼い頃から親しんだ地域だった。当時から既に木ノ浦ビレッジは地域住民の拠り所として認知されていたが、先代の代表が珠洲観光の中核として法人、団体客に積極的にアピールしたことで、全国からの注目も次第に高まってきた。働きぶりが評価され、山口さんは2021年に代表社員として事実上のトップに就任することになった。現在はシーカヤックや、電動マウンテンバイクなどのアクティビティの拡充を推し進めている最中だ。
今ではすっかり木ノ浦ビレッジの顔となった山口さん。最近掲げた目標は「正しく稼ぐ」。
稼ぐと聞くと利益第一なのかと疑ってしまうが、山口さんがこだわるのは「正しく」の部分である。
宿泊施設は性質上、自分たちの利益だけで動くと地域へ迷惑がかかる。地域に利益を還元して必要なときは助け合う体制を作ろうと、特定の組織や人物に頼らない幅広い取引を心がける。労働時間や内容にも気を配り、スタッフの人間らしい暮らしを応援するのも「正しさ」のうちだ。もちろん近年話題になる持続可能な社会への取り組みも忘れていない。
前向きな姿勢を後押ししたのは、前身の宿泊施設「国民宿舎きのうら荘」時代を知る、ベテランスタッフの話だ
2度めの観光ブームの頃、宿舎では連日のように大宴会が催され、木ノ浦の小さな砂浜は若者たちで埋め尽くされた。「部屋数がまったく足りず、観光シーズンには雑魚寝する人が廊下にあふれた」スタッフは当時の様子を興奮気味に語った。
山口さんにとっては見たことのない奥能登ブーム。なんとしてもこの目で見てみたいと思うようになった。
「やはりまだ冬の集客が弱いと感じています。海のレジャーはオフシーズンになってしまうからです」
宿泊料を上げて客単価を増やしリゾート施設を目指すという方向もあるが、山口さんは否定的だ。「親子、学生、夫婦などあらゆる層にファンを増やし、それぞれが好みの空間を組み立ててシェアできる木ノ浦ビレッジが理想なんです」
求む!言語化!
ザアグラリアンテーブル社のスタッフは14名ほど。地元出身者が中心かと思いきや、実はスタッフの半数が珠洲市外からの移住者だ。Uターンのほか、Iターンの人もいる。
華やかに見える宿泊施設だが、清掃や調理など、お客さまから見えない仕事が運営の鍵を握っている。夏の繁忙期には多くの人がやってくる木ノ浦ビレッジ。接客のプロとして忙しさを感じさせないように振舞うが事務所に戻れば大騒ぎだ。いま求めているのは、情報の整理ができる人材だという。
「恥ずかしいのですが1日を振り返るような時間もなく、私も言葉足らずになって指示が通らないこともよくあります」
宿泊だけでなくいろいろな遊びを用意している木ノ浦ビレッジだが、個人の要望に沿う遊びを提案する力はまだ不足している。スタッフの頭にある理想を言語化し、行動に移すことができる人材が必要だ。
「単純に人手がほしいのではありません。課題の言語化が上手な人がいいなと思っています」
奥能登の先端から、観光ブームを仕掛けようとしているザアグラリアンテーブル社。
静かな入り江の村が、もう一度賑わう日を待ち望んでいる。