「余生」のほうが長い引退馬
角居さんの名前を聞いてピンと来た方もいるかもしれない。金沢市出身で、04年菊花賞優勝のデルタブルース、07年に64年ぶりの日本ダービー牝馬優勝に輝いたウオッカなど名馬を育ててきた伝説の調教師だ。21年に勇退した彼が次に向かったのは、業界で注目されていなかった引退馬の世界だった。競走馬は成績が優れていれば種馬になるが、多くの場合は話題にもならずひっそりと表舞台を去っていく。「考えても仕方のないことだと思われていた」と角居さんは振り返る。競走馬は早ければ3歳ごろから引退するが、寿命は30年ほどあるため実は余生のほうが長い。動物愛護が話題になり始める中、角居さんは現役時代から引退馬の支援を積極的に手掛け、勇退を期に自ら端を切って引退馬と向き合おうと考えた。
ウマがきて、ウマが合う
CEOの足袋抜さんは珠洲市内で農業や宿泊業経営を手掛けてきたが、ウマについてはまったくの素人だった。会社設立のきっかけは知人から角居さんと元競走馬「ドリームシグナル」を紹介されたことだった。ドリームシグナルは引退後に金沢市内の乗馬クラブにいたが、膝を痛め引き取り先を探していた。金沢競馬で時を共にした角居さんにとっては忘れがたいウマ。仮の居場所として牧場に繋ぐと角居さんは毎日様子を見にきた。その姿に感銘を受けた足袋抜さん。午(うま)年生まれだったこともあって「これもなにかの縁」と思い切ることにした。「イヌとネコをあわせたような生き物。力づくでは絶対に動かないが、気持ちがあれば必ず応えてくれる」。まさにウマが合うかどうかと言ったところ。いかにうまくコミュニケーションできるか、日々ゲーム感覚で仕事を楽しむ。ほかの従業員も未経験の人ばかり。しかし角居さんは「かえって私たちには思いつかないようなウマの活用方法を思いつくかもしれない」と期待を寄せている。
帰りたい地元をつくる
過疎化が進む珠洲市では多くの若者が高校卒業とともに故郷を離れる。まるで牧場を出ると二度と戻ってこない競走馬のようだ。牧場では引退馬を30頭まで増やす計画だが観光牧場にするつもりはない。足袋抜さんの夢は、社名の通り「みんなの馬」に育て上げることだ。
古来からウマと暮らしてきた日本には、飼育に適した土地やコミュニティーがたくさんある。地方の過疎化が進む中、「ウマがいるから地元に帰りたい」と思える取り組みをゼロから作り上げ全国に広げていくことが今後の目標だという。「『角居がいるからお金が集まる』では他所の参考にならない」と募金や競馬団体からの支援も受けない。引退馬の扱いをきちんと整えていくことは元調教師としての責任であり、さらに飼育や調教に関わる人材が育てば競馬の世界への恩返しになる。さらに競馬に縁のない人には地域振興で協力できる。まさに三方良しの関係が「みんなの馬」の目指すゴールだ。ゆったりとスタートを切った同社だが、末脚を伸ばしていく大きな可能性を秘めている。