健全!復活の一本道
繁華街スケッチ(5)金沢市の木倉町健全!復活の一本道
繁華街スケッチ(5)金沢市の木倉町きらびやかなネオン街は街の顔。新しい町で暮らすなら有名観光地より、仕事帰りの一杯のほうが気になる。そんな方のためにイシカワズカン記者が県内各地の繁華街に足を運び、写真つきで紹介する連載企画である。
金沢の繁華街をお菓子の折り詰め、アソートだとすれば、この木倉町(きぐらまち)はどら焼きやせんべいのような定番商品である。結構広い片町・香林坊界隈だが、誰かと飲みに行けば木倉町は必ずや候補に上ってくるはずである。ここを避けようとするのは余程のひねくれものか、あるいは毎夜暴虐の限りを尽くしてあらゆる店から出入り禁止を食らったかのどちらかであろう。なぜこれほどまでに定番なのかといえば、それは健全だからである。
木倉町は全長約235メートル、ほぼ一直線の道路沿いに連なっている。その起点はファッションビル「片町きらら」やマクドナルドがある片町1丁目交差点の奥にある。この交差点を反対方向へ進めば、地元人が北陸の竹下通りだと言い張るタテマチストリートが伸びている。右か左か、進路によって大きく町の景色が変わる金沢らしさも楽しいところである。
さて、先ほど健全と言ったが、それは一本道で見通しのいいことばかりが理由ではない。実はこの木倉町の店はほとんどが居酒屋やダイニングバーなど純粋な飲食店なのである。バーもいくつかあるが、いかがわしいものはひとつもなく、探偵小説に出てきそうな落ち着いたところばかり。30年以上も同じ場所にある名物店も多い。私も金沢で大学生活を送ったが、上級生に連れられて初めて訪れた繁華街がここだった。おいしい料理で酒を飲めるし、金を巻き上げられることもない。怪しい大人もいないし、いかがわしい店もない。酒席にはそぐわない「健全」の2文字が、ここではしっくりくるのである。
3年にわたって猛威を振るった感染症も収まり、休眠状態にあった店もシャッターを上げ始めた夏の夕方のことである。私はファストファッションの茶色い紙袋を下げて、木倉町へ踏み込んだ。ここに飲食店が多いのは先ほど書いたとおりだが、いわゆる1軒目の店が多いのでまだ日も暮れぬうちから賑わいはじめる。
表通りから西へ伸びる通りは、映画のセットのように都合よく夕日が差し込む。居酒屋の店先に晒されたマグロのカマに驚きながら奥へ進むと、九谷焼などを扱う食器店に電気工事店と、意外と町の商店街みたいな風情も残っている。
木倉町の名前は、かつて加賀藩の木材倉庫があったことに由来している。1965(昭和40)年に住所表記が見直されたことで「片町2丁目」の一角となり地名としては消滅。木倉町は繁華街の名前となった。
ときは下り21世紀、金沢市では城下町の歴史を残す旧町名を復活させようとする動きが盛んに起こった。住民の熱意も高く、2003(平成15)年に「木倉町」は37年ぶりに住所表記に返り咲いた。近くの柿木畠(かきのきばたけ)も、このとき同時に復活を遂げている。何かと縮小傾向にある昨今、一時は消えたものが復活するというのは大変縁起のいいことだ。
さて復活といえば最近、木倉町ではもうひとつニュースがあった。それは「やきとり横丁」に焼き鳥店ができたことである。
木倉町の奥に、小さな飲食店がまとまって入居する「やきとり横丁」という建物がある。その名前からかつては焼き鳥を出す店が集まっていたのだろうと想像されるが、実は2021年まで約20年にわたり焼鳥店ゼロ状態が続いていた。「焼き鳥ないけどやきとり横丁」と揶揄されることも多かったが、現在ではその名の通り再び焼き鳥が食べられるようになったのである。
ちなみに表の看板にはスナックらしき店名が並んでいるがこれはすべてウソ。看板を作った当時の店名を書き換えることなく掲げ続けているのである。こういうところにも、夜の街らしからぬのんびりとした空気が感じられよう。
235メートルの通りは長町武家屋敷を流れる大野庄用水に突き当たり終わりを迎える。奥へ進むほどに間口の狭い店が増え、静けさを増していくが、その最後に佇むのは意外にも昔ながらの和菓子店である。
真夏の午後6時。これから賑わいを増す繁華街を横目に、店主は静かにシャッターをおろしはじめる。
ここは健全の街。酒を飲みたいサラリーマンもいれば、大福を買いに来るおばあちゃんもいる。
決して交わらぬ人々が、日没間際だけ邂逅する。まるで異界の入り口のような陽炎を感じながら、ごうごうと流れる用水路を眺めた。
名称 | 木倉町 |
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所在地 | 金沢市木倉町 |
駐車場 | コインパーキング多数あり |