【イジュリーマン】帰郷で「地に足がついた!」
柿木穀さん(辰巳化学株式会社)【イジュリーマン】帰郷で「地に足がついた!」
柿木穀さん(辰巳化学株式会社)金沢市内各地で9月に行われる秋祭り。その主役は勇ましく街を練る獅子舞「加賀獅子(かがしし)」である。多くの地域で衰退してしまったが、今も伝統継承に取り組む熱心な人たちがいる。にし茶屋街近くの泉地区では2018年、地元保存会が力を合わせ約30年ぶりに獅子舞の巡行を復活させた。
「幼いころに教わった演技がしみついていた。地域の役に立てるのがうれしいです」
2017年に都内から地元に戻り、保存活動に携わる柿木穀(かきのき・たなつ)さん(41)が、祭りの写真を見せながら熱く語った。出版社から転職し、金沢市の医薬品メーカー辰巳化学に勤める柿木さん。なぎなたを手に巨大な獅子を制する様子は、画面越しでも気迫が伝わってくる。取材に同席した別の社員も「話は聞いていたけど、こんなにかっこいいとは」と食い入るように画面を見つめていた。
柿木さんは地元高校を卒業後、東京都内の大学で日本文学を専攻。江戸時代のファンタジー文学として根強い人気がある雨月物語を研究し、部活動では自主制作映画の撮影にも没頭した。出版業を志し、都内の医学書専門の出版社に就職。専門外の医学はわからないことだらけだったが、専門書や製薬会社のパンフレットの企画、制作などで忙しい日々を送った。
地元へ戻ろうと決意したのは30代になってから。出版業界全体の先行きに不安を感じる中で、編集者としての経験が生きる場所を少しずつ調べ始めた。せっかくなら持てる技術を別の場所でも試したいと、東京近郊だけでなく地元石川県にもターゲットを広げることにした。
福井県出身だった妻の後押しもあり、トントン拍子で就職が決まった。はじめは妻の仕事の都合で柿木さん単身での帰郷となったが、2年後にめでたく夫婦揃って金沢暮らしをスタートさせた。
柿木さんの今の所属は「薬事・学術課」。医療機関から問い合わせに答えたり新製品を売り込む際の営業資料を作ったりするのがメインの仕事だ。同じ医学業界にあっても出版と製薬は全くの別業種。苦労もあるが、出版社勤めのときから、最新の医術や新薬に目を光らせ、研究・治療の第一人者に書籍化を持ちかける知識をつけてきた経験が生きている。
「大胆な転身に見えるかもしれませんが、自分の中では仕事がきれいに繋がっていて、行き着くべきところに来たなと納得しています」
妻とともに美術品や映画の鑑賞、観劇が趣味の柿木さん。さまざまな施設や催しを気軽に訪ねられる都会暮らしを今でもうらやましく思うことはある。やはり後悔があるのかと思いきや「でも今のほうが元気なんです」と力強く続ける。
夫婦の息抜きである週末の外食も、東京のお店ではたくさんの客の中のひとりで、常連という感じではなかった。だが金沢では座った途端に店員のほうから話しかけてくるではないか。しかもよく聞いてみたら高校の先輩だったということもあった。辰巳化学に転職して机を並べた同僚はなんと幼稚園の同級生。約30年ぶりに奇跡の再会を果たしたという面白いエピソードもある。
「人間関係が深いのでほっとすることもわずらわしいこともあるけど、地に足がついていると感じます」
せっかく地元に戻ったのだから役に立つことがしたいと思っていたところに舞い込んできたのが、獅子舞巡行の復活計画だった。当時の保存会長の熱意にも感銘を受け、なぎなたで獅子を倒す重要な演者を買って出ることになった。復活は大成功を収め、今ではすっかり運営側の一員だ。
「会社でも地域でも教わる側から伝える側になっていきたいと思っています。でも、地元に帰ってくるなんて高校生のころの自分が聞いたら驚くんじゃないかな」
柿木さんの穏やかな口調からも、安定した暮らしぶりがにじむ。これで取材は終わりかと思ったとき、柿木さんが急に小声で切り出した。
「あ、移住するなら車の運転は練習しておいたほうがいいですよ。ペーパードライバーだったので出勤初日は生きた心地がしませんでした」
応接室に笑いが起こったのはいうまでもない。
1941(昭和16)年に金沢市で創業。ジェネリック医薬品の開発と製造を手掛ける。白山市に工場と研究拠点を持ち、高齢化時代の健康増進に貢献している。辰巳化学株式会社サイト