金沢にほれこみ「再移住」
マッシミリアーノ・スガイさん(フードライター、通訳者)金沢にほれこみ「再移住」
マッシミリアーノ・スガイさん(フードライター、通訳者)仕事の合間に眺めていたツイッターに、外国人フードライターだというアカウントの日本語のつぶやきが流れてきた。なにかの報告のようだなと思って見てみると次のような文章が飛び込んできた。
ツイッターやインスタグラムの総フォロワー数18万人を誇るインフルエンサーのようだが、再び移住とはどういう意味だろうか。そしてこの人はなぜ金沢に?せっかくだから聞いてみたい。人気の高さにたじろぎながらもメールを送ると、なんと取材快諾の返事があった。
「東京から4か月で戻ってきちゃいました」
待ち合わせの喫茶店に現れたのは、背が高く気さくな男性だった。
「フードライターのマッシ」ことマッシミリアーノ・スガイさん(39)はイタリア北部のピエモンテ州出身。2006年の冬季オリンピック開催地となったトリノがある地方だといえばわかりやすいだろうか。幼いころから日本のアニメに熱中し、地元大学では日本文学を学んだ。2007年に転勤で念願の来日を果たし、大阪を拠点に国内を飛び回った。
その後会社からは南米への異動を持ちかけられたが、日本を離れるのは惜しいと国内企業に転職。かほく市にあるサッカークラブの仕事が縁で2017年に金沢へ引っ越した。現在はライターのほか、逐次通訳やコンサルなど語学を生かした事業を経営している。
「金沢は喫茶店が多く、曇りがちの天気や雪国であることなど、ピエモンテによく似てるんです」
そんなマッシさんだが、2022年12月に一度、東京へ拠点を移していた。日本やイタリアの食文化を紹介するツイッターが人気になり、取材や仕事依頼を受けるようになったことがきっかけだ。
「金沢にいたときは東京からの仕事を断っていたのですが、挑戦してみたいと思うようになりました」
5年暮らした地を離れ、人やものが集まる大都会でのチャレンジ。しかし、はじめは楽しかった生活も、2か月ほど過ごすと金沢のほうが良かったと感じる場面が増えていったという。
「まわりの人との距離を感じました。人がたくさんいるのに無人島にいるようでした」
金沢では店で隣り合わせた人が傘を貸してくれたり、観光客と勘違いした人が道案内をしてくれたり、親しく温かい人々に囲まれていたのだと改めて気付いた。楽しみにしていた本業の飲食店めぐりも、値段の高さや予約の取りづらさが妨げになり、足が遠のいてしまったという。
わずか4か月で東京生活はリタイア。これがツイッターで見かけた「再び金沢へ居住します」の顛末だったと言うわけだ。
説明の節々に金沢への愛着がにじむマッシさん。東京時代も飲食店で偶然同席した石川県出身者とローカルな話題に花が咲いた。
「石川県の人は離れていても地元が大好き。地元をほめられるとすっごい喜びますよね」
戻った今ではとにかく自分から動き回り、楽しいことを見つけてくる生活を送っている。そのための市内散歩も趣味のひとつだ。再移住後には周りの反応にも変化があったという。
「一度出て戻ったことで『物好きなイタリア人』から『金沢の人』としてしっかり認められた気がします」
ヨーロッパでも故郷を出て大都市や近隣国で暮らす人は多い。日本と同じく、若者は一度都会に出てしまえばあまり戻ってこないそうだ。それでもマッシさんは、これからは世界的に変化があるだろうと考えている。たくさん稼いでブランド品を揃えるような生き方より、気持ちや感覚を重視する生き方が主流になってきているからだ。
「もっと自分に合う場所で、自分にとっての豊かさを追求していく、昔ながらの思想に戻っていくんじゃないかと思います」
マッシさんはフードライターを名乗っているが、実は自分で料理したり、評価するのは苦手だという。料理は味わいに限らず、土地や人間のストーリー、そして食べることで得られる活力が一番大切だと考えているからだ。それは普段見ることができない他人の人生に学ぶ貴重な機会でもある。自分のこれまでの経緯も想像以上だと語るマッシさん。最後に仕事や生活に悩む人に力強いアドバイスをくれた。
「人生の変化は、自分の変化に気付くことからスタートしますよ!」
1983年、イタリアピエモンテ州生まれ。フードライター、通訳。ツイッターなどで日本食の魅力を発信するほか、外国料理も親しみやすく紹介している。著書に「イタリア人マッシがぶっとんだ、日本の神グルメ」(KADOKAWA)がある。
【マッシさんのツイッターはこちら】