百万石の奥座敷

湯涌温泉(金沢市)

定山渓、有馬、由布院……。都市近郊にある温泉地を「奥座敷」と呼ぶことがある。金沢はまさに華やかな客間だが、ふすまを数枚隔てたような山間地に控えるのが湯涌温泉(ゆわくおんせん)である。開湯1300年以上の歴史を刻む伝統の温泉街を訪ねた。

シラサギ癒やす谷

湯涌温泉は養老年間の718年ごろに発見されたといわれている。農夫が湯に浸かるシラサギを見たという説や、白山を開いた泰澄大師(たいちょうたいし)が開いたという説などが伝わっている。前者の説にならい、総湯は「白鷺の湯」と呼ばれており、歴代の加賀藩主が湯治に訪れた記録が残っている。

大正ロマン画家として可憐な美人画と、数多くの詩歌を残したことで知られる竹久夢二。1917(大正6)年9月から1カ月にわたって湯涌に投宿しており、温泉街には文学碑が立てられている。

湯涌なる山ふところの小春日に眼閉ぢ死なむときみのいふなり

夢二の足跡は、白鷺の湯に隣接する金沢湯涌夢二館でたどることができる。

 

あの貴重品を保管

加賀藩主に重宝された湯涌は、その効能もさることながら藩を支える重要な役割を担っていた。富山・岐阜県境の五箇山(ごかやま)で産する火薬の原料(硝石)を運ぶ道中にあり、湯涌から先は地図にも描かれない軍事道路「塩硝(えんしょう)街道」が山深く繋がっていた。

また、湯涌には歴代藩主が徳川将軍へ献上するための氷を保存する「氷室(ひむろ)」が置かれていた。冬の雪を小屋に入れておき、夏に切り出して江戸へ運んだのである。湯涌の氷室は4代藩主前田綱紀(1643ー1724)が整備し、昭和半ばまで貴重な氷を守るために使われた。
現在は温泉街の奥にある玉泉湖(ぎょくせんこ)のほとりに復元され、当時を再現した仕込みや切り出しが行われている。

冷蔵庫のない時代、真夏の氷は貴重品。口にすることが難しかった庶民は、氷室が開く7月1日に白、赤、緑のカラフルな「氷室饅頭」を食べて夏の息災を願った。この風習は現在も残っており、金沢市内の和菓子店では7月になると一斉に氷室饅頭が販売されている。

(写真提供:金沢市)