シラサギ踊る湯けむりの街

和倉温泉(七尾市)

湯が湧く浦

 

七尾湾に面し、石川県有数の温泉地として知られている和倉温泉。現在では多くの温泉旅館が立ち並び、全国から多くの観光客が訪れる。北陸新幹線の金沢開業後は金沢観光と和倉温泉の組み合わせが当たり前になっており、優れたホスピタリティーは海外でも高く評価されている。

能登でも珍しい温泉地は今から1200年前、平安時代の8世紀に開湯した。かつては現在の温泉街よりも内陸に源泉があり、湯の谷と呼ばれていた。小さな集落の温泉は住民に重宝され、入浴後に海へ出ると大漁になるという縁起のいい話が伝わっていたという。この温泉はその後250年にわたって活用されてきたが、やがて枯れてしまった。

現在の和倉温泉は11世紀初頭、海上に噴出した源泉が直接のルーツとなっている。これは湯の谷の温泉が地殻変動によって移動したものであった。この温泉の発見については次のような伝説がある。

和倉に暮らしていた漁師夫婦が海に出ると、泡立つ海域に傷ついたシラサギが身を癒やしているのを発見する。不思議に思って近づき、海に手を入れると熱い温泉であることがわかったという。

この逸話から、この地域は「湯の湧く浦(わくうら)」と呼ばれるようになり、これが変化して「涌浦(わくら)」になった。現在バス停などがある湯元の広場には、温泉と2羽のシラサギのモニュメントが立ち、和倉温泉のシンボルとなっている。

 

世界の湯治場へ

 

和倉温泉の効能は殺菌、保湿、美肌効果である。1880(明治13)年にドイツで開かれた万国鉱泉博覧会では「世界三等鉱泉」に選ばれるなど、早くから世界的に評価されている。

この温泉が一躍有名になったのは、加賀藩の2代藩主前田利長が、和倉の湯を取り寄せて病気治療をしたエピソードが地元に伝わったことだ。温泉の効能が評価されたことで、3代藩主前田利常は、藩内の重要な資源として源泉の整備と周辺の埋め立てを命じたといわれている。長らく海中にあった源泉はこのときに島となり、祠が置かれた。次第に温泉街が拡張されたことで島も地続きになり、現在は和倉弁天社が建つ弁天崎源泉公園として当時の面影を残している。

涌浦は江戸時代中期に和倉と字があらためられ、京都の公家や大阪の商人にも知られるようになった。1909(明治42)年には、のちに大正天皇となる当時の皇太子殿下が皇族として初めて和倉温泉を訪れた。当時のご休憩所は、曹洞宗青林寺、浄土真宗信行寺に移築され、国指定文化財に登録されている。

 

名称 和倉温泉
所在地 七尾市和倉町
アクセス JR七尾線和倉温泉駅から徒歩20分。ほか東京、名古屋、金沢、高岡などから高速バスあり。