悲しい伝説の海

恋路海岸(能登町恋路)

 

千年前の伝説

 

能登町と珠洲市の境に位置する恋路(こいじ)海岸。小さな砂浜と、赤い鳥居の立つ弁天島の美しい景観が人気を集めている。地名の珍しさから新しい観光スポットと思われるかもしれないが、由来は1000年前の悲しい伝説によるものだといわれている。
 

源平合戦の頃、助三郎と鍋乃は人目を忍んで恋路海岸で逢瀬を重ねていた。暗い夜、船でやってくる助三郎のために、鍋乃は浜で火を灯して目印にしていた。
鍋乃に思いを寄せるもうひとりの男源次はふたりの仲を妬み、灯火を崖のはずれに移して助三郎を騙すことにした。行き先を見誤った助三郎は海に落ちて帰らぬ人となる。残された鍋乃は、源次の求愛を退けると、助三郎の後を追って海に身を投げてしまった。
過ちを悔いた源次は出家し、ふたりを弔いながら諸国を巡って修行した。能登の観音堂に戻ったあとは、男女の仲を取り持つこともあった。いつしか縁結びの観音堂と呼ばれるようになったという。

 

海岸に面する「恋路ロマンチックパーク」には、坂坦道(さか・たんどう)作の銅像「恋路物語」が設置されている。坂は能登町出身で、札幌市の「丘の上のクラーク像」を手掛けたことでも有名な彫刻家だ。浜辺で語らう鍋乃と助三郎の像は、縁結びを願う観音像とともに、当地の撮影スポットとなっている。また秋には鍋乃の灯火を模した松明を焚き、勇壮なキリコが海へ繰り出す「恋路の火祭り」が営まれている。

 

一大ブーム、今はひっそり

 

恋路海岸が全国に知れ渡ったのは1980年代のこと。国鉄が仕掛けた観光キャンペーン「ディスカバー・ジャパン」で鉄道旅行をする若者が急増。輪島、珠洲が鉄道で結ばれていた当時、能登半島は日本最後の原風景として全国から人気を集めた。

恋路海岸の目の前には能登線の恋路駅があり、ロマンチックな地名から恋人の聖地として一大ブームを巻き起こした。列車が着くたび黒山の人だかりとなり、小さな砂浜は夜通し語らう男女で真っすぐ歩けなかったという。恋路駅の入場券はもちろんのこと、隣の松波駅までのきっぷは「恋路を待つ」の語呂合わせで恋愛成就を願う人気のお土産となった。多くの人を奥能登へ誘った能登線も2005年に廃止となったが、恋路駅のきっぷやグッズは周辺の商店や、列車を運行していたのと鉄道(和倉温泉〜穴水駅)主要駅で販売が続けられている。

現在は海水浴と祭りの時期以外は静かな恋路海岸。かつて能登旅行を楽しんだと思しき世代が、夫婦で再訪する姿も見られるなど、悲恋の伝説は今もなお多くの人を引きつけている。

名称 恋路海岸
所在地 能登町恋路
アクセス のと里山海道能登空港ICより車で45分、駐車場あり