航跡は奥能登に続く
五十嵐一聡さん(株式会社ランドスケープ開発)航跡は奥能登に続く
五十嵐一聡さん(株式会社ランドスケープ開発)能登町の中心市街地、宇出津(うしつ)の事務所を訪ねると、作業服姿の爽やかな男性が出迎えてくれた。
山口県下関市出身の五十嵐一聡(いがらし・かずあき)さん(39)は、土木工事などを手掛ける地元企業ランドスケープ開発に勤めて2年目となった。
土木系の会社かと思いきや、事務所の入り口には大量の木や枝が積まれている。
「今は、能登の松を生かした製品づくりを企画しています。実は前職はボートレーサーだったんです」
取材は驚きの発言から始まり、彼の波乱万丈な経歴に引き込まれていくことになった。
五十嵐さんは地元高校を卒業後、九州の大学に進学した。卒業後は大手保険会社に就職して埼玉県で法人営業に携わった。取材中に見せる明るいスマイルは、まさに営業職向き。このまま順風満帆なサラリーマン人生を送るのかと思いきや、大きな曲がり角がやってくる。
1年を過ぎたあたりから、大企業らしいキャリアパスを疑問に感じるようになったのだ。
「敷かれたレールの上、という言葉がありますが、まさにそんな感じ。10年後も同じ仕事をしている自分をあまり想像したくなかったんです」
なにか別のことがしたいと考えていた矢先、休日の暇つぶしで近所の戸田競艇場(埼玉県戸田市)を訪れたことが転機となった。それまで競艇はおろか、スポーツやギャンブルにも縁がなかったという五十嵐さん。船券も買わずに場内を歩いていると、競艇選手の募集ポスターが目に止まった。
「体が小さくて軽い人がレースで有利だと知り、これなら自分にも向いているかもしれないと思ったんです」
思い立ったら行動が早いと自負する五十嵐さんは、すぐに検査を受けに行った。競艇選手は、検査を受けて福岡県にある養成学校に入り、決められた課程を経てデビューとなる。全国で1500人が受験するが、実際に選手になるのは30人程度と実は結構狭き門だ。技術は一流で、養成学校には自衛隊が訓練に訪れるほどだという。まさに船乗りのプロの世界である。
「スケジュールは秒単位で管理されていて、厳しかったですが、スポーツマンシップや話し方なども指導され、人間的に大事なことを学べたと思います」
公営ギャンブルの側面もある競艇では、悪意を持って選手に近づいてくる人もいる。物事の良し悪しがすばやく判断できるのも、仕事で役に立つ技術のひとつだという。同期生が次々と脱落していく過酷な訓練を経て、五十嵐さんは27歳でついに選手デビューを果たした。
「がんばったぶんだけ結果が得られる。良い成績を出せばより大きなレースに出られるという手応えがありましたね」
成果が直接感じられる個人事業主のような選手人生は充実していた。
地元である下関、石川県内にもファンが多い三国(福井県)など全国各地の競艇場を渡り歩き、好成績を残した五十嵐さん。仕事で頻繁に訪れた福岡で出会った絵理さんと結婚。絵理さんは、ランドスケープ開発下谷内充社長の長女だったのだ。縁もあり、2019年に7年間の選手生活を引退し、初めて土木工事の世界にかじを切ることになった。
法面工事や造園業を手掛けていたランドスケープ開発は全盛期に比べ売上が低迷傾向にあった。能登の状況を見てもこれから公共事業が増えるとは考えにくく、独自に利益を生み出す必要に迫られていた。
「公共事業は社会や経済、政治の都合で大きく波があるのは想像していましたが、いくらなんでも荒波すぎないかと思いました」
現場に携わりながら危機感を感じたという五十嵐さんは、持ち前の行動力でさっそく新規事業に着手することにした。造園業を手掛けていた社員から能登の松は質がよいと聞き、香りや成分を生かした商品づくりに活路を見出した。
独学で商品開発を行い、2022年5月に自社ECサイトを立ち上げた。松製品にはPITYS(ピテュス)のブランド名を付け、手始めにスプレーとパウダーを発売した。
「最初は健康に関心が高い人の間でひっそり売れていましたが、地元の新聞に取り上げられるなどして地元客も増えてきました」
海から吹く強風や重たい雪にも耐える松は、ビタミンを多く含み、リラックス効果をもたらすなど近年注目が高まりつつあるという。
「まずは能登、そして能登町を知ってもらいながら、地域全体に人や資金を招き入れるきっかけを作っていきたいんです」
ランドスケープ開発は社員25人前後の小さな会社だが、その家族を含めれば100人近い関係者がいる。多くの人をこれからも支えられるような会社にしたいと、五十嵐さんは力を込めた。
結婚まで全く訪れたことが無かった奥能登だが、五十嵐さんは地元企業に就職したことから、移住後も大きな問題はなかったという。能登はまったくのよそ者には人見知りをしてしまうが、所属や性格がわかってもらえればすぐに受け入れてもらえる場所だと感じている。
「最初は警戒されますが、実は移住者への理解がある人も多く、バリアを破れればすぐ馴染めるのがいいところです」
一番難しかったのは言葉の問題だった。金沢に住む人でも聞き取れないことがある能登の方言だが、五十嵐さんは地元の方言をまとめた観光チラシをコピーして持ち歩き、空き時間に眺めることを繰り返した。
「来た直後は2割くらいしかわからなかったのですが、今では半分以上理解できるようになりました」
見知らぬ土地でサラリーマンとしてリスタートを切ったが、今は仕事にも伸び足がきているようだ。
健康食品の複雑な法令もゼロから勉強を続け、通りにくいと言われる国の補助金も申請が通った。今は持ち前の行動力で次々に困難を打ち砕きながら、会社を前進させている最中だ。
「絶対に無理って言われると『じゃあやってやる』と余計にがんばっちゃうんですよね」五十嵐さんは恥ずかしそうに頭をかいた。
営業マン、競艇選手と異色の経歴を持つ五十嵐さん。事務所に漂う松の香りも清々しく、奥能登振興の先頭に差し込んでいく気概を感じとった。
取材協力 | 株式会社ランドスケープ開発 |
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所在地 | 能登町宇出津ラ字155番地 |
ウェブページ | https://www.landscapedevelopment.online/ |
ECサイト | 【PITYS】https://landscapebs.base.shop/ |