國分まゆ穂さん (DOYA COFFEE店長)、辻野実さん(SCARAMANGA代表)

石川県能登町。自然豊かなこの町では近年、移住者が増加している。今回はUターン移住し、デザイン会社「SCARAMANGA(スカラマンガ)」を経営する辻野実さん(41)と辻野さんの手掛けたコーヒースタンド「DOYA COFFEE(ドーヤコーヒー)」で店長を務める能登町出身の國分(くにわけ)まゆ穂さん(28)にお話を伺った。

 

きっかけは「盛り上げたい」

 

「高校生の頃は、メディアといえば雑誌しかない。まだネットもないから都会に出たくてしょうがなかったんです」辻野さんはゆっくりと話し始めた。高校卒業後は金沢でマーケティング会社やシステム会社に勤めたが「もっとクリエイティブな仕事がしたい」と2012年に独立。フリーランスで働いた後、2018年に会社を立ち上げた。しばらく金沢での仕事が続いたが、過疎化が進む能登町を盛り上げたいと2021年4月に故郷へ舞い戻った。

 

 

ストレスは「ゼロ」

 

「帰ってきて1番良かったことは通勤のストレスがゼロになったこと。信号も少ないし風景も綺麗で朝からリフレッシュできます。あとはとにかく食べ物がおいしいのもうれしいです」

生活の満足度はとても上がった。高校の頃は嫌で仕方なかった能登だが、意外にも不便さを感じなかったという。

Uターンは小学校に通う子どもにも良いことがあった。「移住するときに子どもが希望したのは人数の少ない学校でした。金沢のようににぎやかな方が良いのかと思っていたので心配でしたが、テストで好成績をたくさん取るようになってあいさつも積極的にできるようになったんです。先生との距離も近く、ひとりずつていねいに教えてくれるようなので、とてもよい環境だなと感じています」と興味深い話をしてくれた。

喜んだのは子どもだけではない。以前から田舎暮らしに憧れていた辻野さんの妻は「自宅で古民家リフォームができてうれしい」という。辻野さんの移住には家族の理解も大きな支えになっているようだ。

 

「能登=かっこいい」へ変換

 

そんな辻野さんが2016年から始めたのが、デザイナーの視点から能登の情報発信を行うプロジェクト「NOTONOWILD(能登ワイルド)」だ。能登町には熱狂的な祭りをはじめとする豊かな生活がある。暮らしに息づく楽しさや侘しさ、かっこよさなどを収めた写真を、躍動感のある「NOTONOWILD」のロゴで飾り、ウェブメディアで発信している。

発信を続けるうちに、辻野さん自身も「なにもない田舎」から「かっこいい」に意識を変換できたという。「メディアを見て面白いことを探す人や、能登で積極的に遊ぶぞという人が訪ねてくるようになりました。実際に人を呼ぶきっかけになっているのでやりがいを感じます」辻野さんは笑顔を見せた。

 

信頼の能登

 

能登の仕事では、既にある会社となるべく競合しないよう心がけている。最初は自治体関係の仕事をメインにして、住民や同業者の理解を得やすいようにしたという。

「デザイン業は地方でも同業者が多いです。新参者がいきなり仕事を奪うようなことがあるとトラブルになるので、まずは公の仕事をしっかりやって、信頼してもらう努力をしました。信頼があれば次は単価の高い仕事を得やすくなります。自分の価値を高めることができるよう意識的に行動していますね」

石川県の企業は古くからの付き合いが重視されており、新規参入が難しいと感じる場面も多い。「同業者やデザインに関心の高い人がいる場所に積極的に顔を出すことで仲間が増えてきて、じわじわ仕事につながっています」。信頼が第一の能登かたぎ。辻野さんの仕事術にも大きな影響を与えたようだ。

 

金沢と能登、2拠点という暮らし方

 

とはいえ、金沢から100キロ、車で2時間弱かかる能登への移住はハードルが高いのも事実だ。辻野さんの仕事も能登の案件だけではないため、金沢との行き来もまだまだ多いという。「僕は出身地だったこともあっていきなり移住しましたが、まずは能登と都市部の2拠点生活も検討してみたらいいと思います。それで良いなと思ったら移住しちゃえばいいし」と辻野さんは話してくれた。

 

地域密着型コーヒースタンド

 

ドーヤコーヒーは2022年にオープンした。能登町の中心街宇出津(うしつ)のメインストリートから一歩踏み入った路地にあり、店内は画集やLP盤レコードなど興味深いものばかり。「町の情報を集め、人々の交流を育む鍵としてコーヒーはちょうどいいなと前から思っていました」と辻野さん。店長を任せる國分さんは、辻野さんの長年の友人だ。

國分さんは高校卒業後に町内の会社に勤め続けていたが、新型コロナウイルス禍で仕事が減り、やりがいを感じられなくなっていた。先に独立していた辻野さんに相談するうちに、地域のために何かしたい、人と何かを繋げるのが好きだということに気付いたという。ちょうどコーヒー店を始めようとしていた辻野さんから店長にならないかと誘われ、快諾した。「コーヒーも好きでしたし、地域のコミュニティー作りにも参加できる。変わるなら今だなと直感したんです」國分さんはうれしそうに当時を振り返った。

 

 

「なんとかなる場所」に

 

店には日々さまざまな人がやってくる。観光客だけでなく、移住したばかりの人や、これからUターンを考えている人の相談を受けるようにもなった。國分さんは知人の移住者を紹介したり、就職先をアドバイスしたりと、積極的に関わりを持っている。「能登に関わりたい人や、能登に何かを求めてきた人たちが想像以上に多いことに驚いています」。

國分さんはドーヤコーヒーを「とりあえずあそこ行けばなんとかなるよねという場所にしていきたい」と意気込んでいる。

何気なく入ったお店でサクッと問題が解決する。おしゃれな映画のような日常は辻野さんが大事にする「能登はかっこいい」の精神とも響き合っているのではないだろうか。

 

 

仕事やコーヒーを通じた人の輪から、新たな移住者を支えるコミュニティーを育む辻野さんと國分さん。能登町を訪れた際には、ぜひおいしいコーヒーで一服しながら、ふたりの話に耳を傾けてもらいたい。