県民支えた大樹の陰

石川県政記念しいのき迎賓館(金沢市)

あの建物と同じ人が設計

 

香林坊から兼六園方面へ向かう通りには、歴史的建造物が隣り合わせに存在している。ひとつめは現在いしかわ四高記念館となっている旧第四高等学校本館(国重要文化財)、もうひとつが今回紹介するしいのき迎賓館である。こちらは2002年まで石川県庁舎だった建物だ。

 

しいのき迎賓館は県庁舎本館として1924(大正14)年に開館した。設計者はのちに国会議事堂や総理公邸を手掛けた建築家の矢橋賢吉である。彼は大蔵省の官僚も務め、マルチな才能を発揮した人物として知られている。鉄筋コンクリートの3階建てで、現存部分は建物面積1024平方メートルとなっている。現在は正面の塔屋と両翼を残すのみだが、かつては後ろにも建物が連なっており、上から見ると横倒しの「日」の字型になっている特徴的な庁舎だった。この構造も国会議事堂と同じである。

現在背面はガラス張りの近代的な外観に改築され、金沢城を望む明るい空間に生まれ変わっているが、かつてはしいのき迎賓館周辺は行政庁舎や駐車場が密集する政治の中枢だった。当時の名残は、いしかわ四高記念公園に面して国の機関が入居する金沢広坂合同庁舎だけになった。

 

最先端設備

 

さて、車寄せを持つ重厚な正面玄関から中に入るとホールを抜けた先で石づくりの立派な階段に迎えられる。この踊り場に掲げられているのは漆と金箔で仕上げられた石川県の大地図だ。1987年に衛星写真をもとに制作され高さ3.3メートル、横幅2.3メートルの大迫力で来館者を圧倒する。金箔で描かれた山河の精細さには眼を見張るものがあり、輪島市の沖合50キロにある舳倉島(へぐらじま)も別図でしっかりと用意している気合の入りよう。当時の県庁職員も毎朝この大地図を眺めて背筋を伸ばしたことだろう。

 

レストランや会議室が入る2階から3階へ上がると、階段の目の前にあるのは交流ホール。かつて知事室として使われた部屋である。この部屋で公務を行ったのは知事は戦前、戦後あわせて26人である。室内には建設当時最先端だったスチーム暖房が設置されており、築70年を過ぎた21世紀でも快適に仕事ができたことだろう。

 

最先端と言えば、外壁も忘れてはならない。黄色がかったレンガは1921(大正11)年築の帝国ホテル旧本館にも使われた愛知県武豊のスクラッチタイルだ。隣の旧第四高等学校本館は明治時代らしい赤レンガの建物だが、しいのき迎賓館はこの最新の建材によって近代的な外観を得たのである。

 

堂形のシイノキ

 

しいのき迎賓館は、県庁移転後に付けられた新たな施設名だ。この由来になったのは言うまでもなく、正面入口左右にどんと構えたシイノキの大木である。2本とも国の天然記念物に指定されており、正式名称を「堂形(どうがた)のシイノキ」という。約12メートルの樹高に対して、枝ぶりは15メートルほどと大きく広がっており、まるでお椀を伏せたような形をしている。樹齢は300〜400年とも言われており、そのルーツについては多くの説がある。

そもそも堂形というのは、加賀藩祖の前田利家公が手掛けた建物に由来するという。しいのき迎賓館の地には当時、京都の三十三間堂によく似た射場があったのである。お堂のような建物として「堂形」と呼ばれるようになったというわけだ。シイノキ自体の出自についてもこの地に建てられた加賀藩書院の庭木だったなど、さまざまな説が取り沙汰されてきたが、確たる証拠はないようである。

 

長年シイノキの大木は県庁のシンボルであり続けたが、2003年の年明けから県庁は現在使われている鞍月の新庁舎に移転することになった。興味深いことに、新庁舎の正面にも2本のケヤキの大木がそびえている。公式な説明は見当たらないが「県庁には大樹」というイメージが定着していたのだろうか。こちらも将来さらに大きくなって新たなシンボルになることを願わずにはいられない。

(写真提供)金沢市