100年迎えた城下の東口

浅野川大橋(金沢市)

 

利家公の木橋からコンクリートへ

 

奈良時代に京都~新潟間を日本海沿いに結ぶ陸の大動脈として整備された北陸道(ほくろくどう)。
現在その役割は同じルートを通る国道8号線や北陸自動車道、JR北陸本線などに代わったが、県内では今も多くの区間が「北国(ほっこく)街道」と呼ばれ、住民にも馴染み深い。

浅野川大橋は江戸時代初期の1594年、加賀藩祖前田利家公によって整備された木橋が始まりとされている。
北国街道における金沢城下東の玄関口として多くの人や物資が行き交う要衝となった。
一方で、下を流れる浅野川はときに荒々しく、近代までの300年間で少なくとも10回以上落橋や修繕の憂き目にあってきた。
壊れるたびに修復されてきた橋だが1922(大正11)年に現在のコンクリート橋に架け替えられたことで、ついに永久橋へと大進化を遂げることになったのである。
完成当時としては贅沢な16.5メートルの道幅を持ち、1966年(昭和42年)までは路面電車も通過。1953(昭和28)年の大水害では浅野川に架かる他の全ての橋が流失する中、浅野川大橋だけが河床に踏みとどまり頑丈さを見せつけた。


 

金沢の象徴 100年目の赤いレリーフ

 

1972(昭和47)年、郊外に国道8号金沢バイパスが開通すると浅野川大橋は日本海交通の大動脈から切り離された。
通行量が減少したため1988年から橋上の電線撤去や、高欄、街灯、側面装飾の復元が行われ、大正時代の姿を取り戻す。

美しくよみがえった橋は、2000年に国の登録有形文化財に指定され、今ではひがし・主計町茶屋街を行き交う観光客が足を止めて記念撮影する金沢の象徴的な風景のひとつとなった。
数々の試練を乗り越えた浅野川大橋は2022年に架橋100年を迎えた。同年12月に式典が開かれ、その際に赤い記念レリーフが両岸の親柱に1枚ずつ取り付けられている。



 


 

名称 浅野川大橋
所在地 金沢市主計町・東山
竣工 1922(大正11)年12月
形式 3径間連続鉄筋コンクリート(RC)固定アーチ橋
橋長 54.545メートル
幅員 16.5メートル