福井駅から徒歩１０分ほどの場所にある「片町」は福井を代表する繁華街。南北600mほどの通りに多くの飲食店が立ち並び、カジュアルな食事からデートや接待まで、さまざまな雰囲気のなかで福井の夜を楽しめる。

今回ご紹介するのは、片町にある「Agit（アジト）」。Agitのお客さんには女性の一人客や出張・単身赴任などで「福井に来たのは今日がはじめて」という人が多い。常連さんにまじりながらカウンターで飲んでいるうちに、いつの間にかお客さん同士が仲良くなることは日常茶飯事。なかにはAgitでの出会いがきっかけで福井に移住した人も。さて、どんなお店なのか、「クマさん」の愛称で親しまれているマスター、相上直樹さんにじっくり伺ってみよう。

片町のメイン通りから少し外れた雑居ビル。エレベーターで5階に上がり、扉を開けると、「いらっしゃい」とヒゲをたくわえた相上さんが迎えてくれる。その風貌はまさに「クマさん」そのもの。ちょっと強面に見えるが大丈夫。少し話せばそんな心配はすぐに吹き飛んでしまうはずだ。

「あ、はじめてのお客さんだなと思ったらすぐに下の名前を聞くんです。名前で呼ぶと一気に距離が近づくから。次来てくれた時には覚えてないこともあるんだけど、もう還暦過ぎてるからそれは勘弁してって言ってる（笑）」

どこから来たの？仕事？

カウンター越しに、お酒を作りながらぽつりぽつりと聞いていくクマさん。最初こそ少し緊張しながらのやりとりが続くが、1時間も経てばすっかり盛り上がっているから不思議だ。夕方くらいに来たのに話が弾んで、帰る時には日付が変わる頃……なんてお客さんもAgitではよくある話。

「僕、会話はセッションだと思ってるんです。口数が少ない人や地味な人でもどこか面白がれるスイッチがあるんじゃないかと思って、いろんなことを聞きながらそのスイッチを探している感じです。普通の人がスルーするような面白ポイントを見逃さないのは、僕の特技なのかもしれないね」

クマさんがこの業界に入ったのは29歳の頃。実家の仕事を手伝いながら、なじみのバーでバイトを始めた。繁盛店でL字カウンターの角に立ちながらいろんなお客さんと話しているうちに、この仕事の面白さを感じるようになったそうだ。

「常連さんが『クマちゃんこの仕事向いてるよ』って言ってくれると僕もその気になっちゃってね。手伝っていた実家の仕事が大変だったこともあって、お金には苦労したんだけど、そこから今の奥さんと出会って34歳の時に結婚。同時にこの店も構えたんだよ」

Agitがオープンして27年。カウンターではクマさんがお酒を作り、奥の厨房では奥さんが料理をふるまう（そう、Agitは料理の種類も多く絶品！）。あえてバーと名乗らず、「drink，eat and chat（呑んで、食べて喋る）」スタイルを大事にしているのもAgitならでは。

カウンターでは年齢も職業も、常連さんもはじめてのお客さんも関係なくみんなフラットにこの場を楽しむ。福井がはじめてのお客さんにはおすすめの場所を紹介することも。しかし、それだけならほかのバーでも似たようなことはあるはずだ。クマさんはおすすめのお店だけでなく「あの人に会いに行ってみなよ」とおすすめの人を紹介することも多い。クマさんに勧められて会いに行った人が、そこでまた新しい人と出会い、福井でいろんな思い出が生まれていく。

「『クマさん、あの人に会ってきましたよ！』って報告してもらうことも多くて（笑）。山も海もあるし、食べ物も美味しいけど、福井の面白さはなんてったって『人』。ここでたわいもない話をしながらひと息ついてもらうのはもちろん、お店を出た後も福井にいる面白い人たちに出会って楽しんでくれたら嬉しいよね」

新しく訪れたまちでは、何を食べたか以上に、どんな人と出会ったか、が印象に残るもの。カウンターでの一期一会の出会いや不思議な一体感に包まれるうちに酔いが深まっていく。店を出たそばから、今度はクマさんとどんな話をしようかと思わせる。Agitはそんな店なのだ。