この場所でなりたい自分を見つけられた

倉橋宏典さん(福井県職員)・倉橋藍さん(オテシオ代表)

出産は家族にとって大きな出来事。これからの暮らしについて考える夫婦は少なくないだろう。倉橋宏典さん・藍さん夫婦もそのひと組。福井県坂井市三国町出身の宏典さんは、大学進学をきっかけに東京へ。卒業後は都市開発コンサルタントの会社に勤めていたが、子どもをのびのびと育てられる環境を求めて福井県庁へ転職。2010年に藍さんと、生まれたばかりのお子さんとともに移住した。

 

出産を機に地元・福井への暮らしを決意

東京では仕事が激務だったという宏典さん。会社には寝袋を置き、泊まりがけで仕事をすることも多く、家に帰ったとしても深夜になることがほとんど。東京で今の仕事を続けながら高い家賃を払い、子どもを育てる暮らしが想像できなかったという。あらためて地元に目を向けるきっかけになったのは、大学時代のゼミだった。

「大学ではまちづくりを選考していたんですが、ゼミの先生が私の生まれ育った三国が大好きな方で。高校までは『こんな場所出てやる』と思っていましたが、あらためて地元を見つめるといいまちだなと思うようになりました。そんな思いを持ち続けていたこともあり、できれば地元に近いところで暮らせたらと思うようになったんです」

これからの家族のことを考え決意した福井県庁への転職。一方で、「最初は福井への引っ越しが嫌でしたね」と藍さん。大阪出身の藍さんにとって福井は縁もゆかりもないまち。誰一人知り合いがいない土地へ移り住み、子育てすることは不安しかなかった。

 

最初に配属されたのは福井県小浜市。若狭湾に面する海のまちで、昔は京都まで続く「鯖街道」を通って都の食文化を支えていた地域だ。慣れない環境で子育てに奔走する藍さんだったが、子どもの保育園の入園をきっかけに少しずつ知り合いが増えていった。

「知り合いができるまでは家にひきこもっていましたが、ママ友ができてからは外に出るようになりました。海が近く、魚も美味しい小浜のまちを、子どもとともにようやく楽しむことができるようになりましたね。当時は仕事もしていなかったので、この機会にと、小浜にある調理師専門学校で調理師の免許も取得したんです」

 

週1日営業の定食屋が大人気に

2年間の小浜暮らしを経て、本庁に異動となった宏典さん。福井市への引越しを機に、休日は地元・三国のまちづくり活動にも積極的に参加するようになっていった。三国でイベントなどが行われる時には、調理師免許を持つ藍さんとともにドリンクやフードのお店を出すことも。回を重ねるごとに藍さんの出す料理は評判を呼び、次第にレシピ提供やメニュー開発などの依頼が舞い込むようになっていった。

そんな矢先、福井駅前のカフェを運営している知人から、定食を出してみないかと誘われた藍さん。「週1日ならできるかも…」と、2017年から『オテシオ』という名前の定食屋を始めることに。営業は週1日、20食限定のランチは毎回完売御礼。季節の食材を使い、素材のおいしさを丁寧に引き出した料理は多くのお客さんを魅了し、ケータリングや料理教室など活動の幅も広がっている。

 

なりたい暮らしが叶えられた

東京から移住して今年で14年。今では3人のお子さんに恵まれた倉橋さん。あらためて福井の暮らしを振り返ってみて感じたことは何だろうか。

「毎晩、子どもたちと一緒に食卓を囲み、今日あった出来事を話し合う。そんな毎日を過ごせるのは東京から思い切って移住したからこそだと思っています。都市部では塾通いする子どもも多いと聞きますが、福井は学校教育のレベルが高いので、塾や習い事で予定がいっぱいになることもなく、のびのびと子どもたちが過ごせるのもいいところですね」と宏典さん。

 

「まちがコンパクトなので、すぐに人のつながりが広がっていくなと感じます。新しいことに挑戦しやすい環境も福井ならではですね。もし、都市部で『オテシオ』を始めていたら、お店も人も多くて埋もれてしまっていたかもしれません。これまでいろんな仕事をしてきましたが、オテシオが一番長く続いているかも。自分を活かせる仕事を福井で見つけられました」と藍さんも笑顔で話してくれた。

 

「なりたい暮らし、なりたい自分が福井で叶えられた」とこれまでの暮らしを振り返る二人。これまでの経験を活かして、今後も地元の活性化に携わっていきたいという宏典さん。藍さんも、食を通してプロデュース業にも挑戦したいと、まだまだやりたいことはたくさんある様子。これからも福井で二人の可能性は広がっていく。