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様々なお客様へ向けたお弁当の仕込み・調理を!

合同会社FRONTIERE / 「ひだまり亭」:調理補助

インタビュー記事

更新日 : 2024年02月05日

弱者を当たり前に救える世の中にしたいーー。就労継続支援B型事業をはじめとした、障がい者支援事業を行う【一般社団法人FRONTIERE(フロンティア)】。社会において、まだまだ認知度が高くないこの事業を、もっと多くの人に知ってもらいたいと考える、同社代表の川崎さんは、自社で推進する事業を通して、理不尽な社会へ意義を唱える。利用者やその家族、そして従業員たちを幸せにしたいと語る彼は、この事業の先にどんな展望を描いているのか。経歴や創業経緯、思い描く未来像など様々な話を伺った。

合同会社FRONTIERE 事業概要

設立は2014年7月。一般社団法人として立ち上がった同社は、障がい者向けの就労継続支援B型事業所、発達障害児童向けの児童発達支援事業所、放課後等デイサービス事業所である「ラ・メール」を運営。同年7月には、合同会社YMFKを立ち上げ、飲食店「ひだまり亭」をオープンし、コロナ禍に突入後は弁当配達事業へと転換。施設利用者も働ける環境を見事整備しながら、現在も市内の企業や学校など数多くの受注を受ける。2022年には、合同会社YMFKを立ち上げ、訪問看護ステーション「リビエール」の運営も開始。市内にいる数多くのお困りごとを抱えた利用者や患者、その家族を救う、ヘルプステーションである。

【社会への疑問】

明石市朝霧の小高い丘に位置する【一般社団法人フロンティア】。ラ・メール、リビエール、ひだまり亭と横一列に軒を並べる同社を訪問すると、川崎さんが温かく出迎えてくれた。

 

「なんでもお答えしますのでよろしくお願いします。内容によってはオフレコもお願いします…。(笑)」

 

今回、就労継続支援B型の事業所に伺うのが初めてとあって、少し緊張していた私の様子を察したのか、わざわざ缶コーヒーを買いに外へ連れ出してくれた。そして、その足で川崎さんは簡単な会社紹介をしてくれた。

 

「テナントが空いたので、事業所を横にズラッと並べることができました。就労継続支援B型、児童発達支援、放課後デイサービスを行うラ・メールと、訪問看護のリビエール。あとはお弁当配達のひだまり亭と、今は大きく3つの事業に分かれていますね。」

 

 

 

 

取材前に一度お会いしたということもあって、事業内容についてはおおよそ把握していた。だが、なぜこの事業を始めることになったのかを、今日は必ず明らかにしたかった。取材開始直後、ストレートに創業経緯を聞いた私に対して、川崎さんは素直に胸の内を明かしてくれた。

 

「創業のキッカケは母の友人の息子から聞いた話です。彼はとある障がい者就労者施設で働いていたんですが、詳しく話を聞いてみると、彼は欠かさず仕事に行っているにも関わらず”毎月赤字”だと言うんです。それってどういうこと?と疑問を持ったのが一番のキッカケですね。」

 

その後、自身で障がい者就労施設について調査してみると、やはりそういう事例が多いことに気が付いたという川崎さん。どれだけ頑張って真面目に働いたとしても、施設利用者の平均工賃は圧倒的に安く、昼食代や送迎代で給料はほとんど底をつき、最終的にはマイナスになってしまう。

 

一方で、利用者の家族は「預かってくれるだけでも…」ということで泣き寝入りになっている現実を目の当たりにした川崎さんは、次第に自分にできることはないのかな?と考え、創業に至ったことを打ち明けてくれた。

 

【飽くなき探求心】

川崎さんの経歴をぎゅっとまとめたい。個人的に彼の経歴はとても魅力的で、もうひとつの物語としてまとめたいほどだった。

 

昔から「自由」を追い求め、親元をいち早く離れたいと考えていた彼は、中学生の頃、酪農をするために北海道へ向かうことを夢見る。しかし、親からの反対を受け、やむなく地元の高校に進学。ただ、あまりに強い”自由への渇望”が、やがて両親の心を動かす。なんと海外留学の了承を得ることに成功したのだ。

 

英語圏のオーストラリアへ向かうことを決意した彼は、渡豪先の高校を無事卒業。その後、現地の大学へ進学するが、在学中に父親からの切なる依頼で日本へ帰国することになる。

 

「英語を話すことができたので、通訳の仕事をするために大阪にあるIT系の企業で働くことになりました。それがちょうど20歳の頃ですね。」

 

留学での経験を活かしながら、2年程通訳の仕事を経験した川崎さんは、その期間に人生の大きなターニングポイントを迎えることになる。祖父の他界である。

 

「私の祖父は、ガン検診の直後に末期と診断され、そのまま亡くなりました。私はこの”ガン検診”に意味を見出せず、そこで初めて医療業界に対して大きな疑問を抱くようになりました。」

 

疑問を解消すべく知人をあたってみたが、医療に詳しい人物がいなかったという川崎さん。彼はここで大きな選択をすることになる。医者になると決めたのだ。

 

「通訳の仕事を続けながら、仕事が終わったあとに予備校に通いながらひたすら勉強の日々を送りました。休日もずっと勉強ばかりしていたので、めちゃくちゃ苦しかったですね。」

 

 

なにかを志すキッカケというものは、長い人生を生きていれば何度か訪れるものだが、そのキッカケを”モノ”にできる人は一握りである。多くの人は、様々な困難や壁にぶち当たるなかで諦めてしまったり、自分の夢を見失いがちである。

 

しかし、川崎さんはそうではなかった。彼は”知りたい”という「飽くなき探求心」を持って、医療業界に携わることを夢見た。そして、医者にこそたどり着かなかったものの、見事、看護師になったのだ。

 

「オペ室や精神科での勤務など10年以上医療業界に携わりました。この経験を経てとても忍耐力が身につきましたね。あとは、目標通り知りたいことについても知ることができましたし、逆に知りたくなかった様々な医療現場の裏側や社会問題についても知ることにもなりました。本当に大変でしたが、やってみないとわからないことがあるので。”とりあえずやってみよう”と言い聞かせ、日々頑張ってましたね。」

 

私は、今回の取材中に何度も「なぜ?」という言葉で質問を繰り返した。川崎さんの本心や根底にある考えを探りたかったからだ。

 

「”なぜ”医者になりたかったんですか?」「”なぜ”諦めずに頑張れたんですか?”」

 

「なぜ?」というワードに飽き飽きしていただろうが、彼の答えは一貫していた。

 

「やっぱり、もっと色んな事を”知りたかった”んですかねー。」

 

【弱者を守りたい】

滋賀県にある急性期病棟や閉鎖病棟で病状の重い患者さんと接するなか、その中にはこどもも数多く入院していた。

 

「精神科として医療業界に携わるなかで、発達障害の子どもたちもいました。やっぱり私は知的好奇心が高かったんですかね。世の中には困っている人がもっとたくさんいると感じて、自分にできることがなにかを見つめ直しました。」

 

看護師として勤務する傍ら、障がい者や発達障害の子どもを救いたいと考えるようになった川崎さんは、自らの力で一般社団法人を立ち上げることを決意。

病院で役職が付く直前だった彼は、病院での引継ぎ作業と同時進行で一般社団法人の立ち上げ準備に入る。

 

そして、2014年7月に一般社団法人FRONTIEREを立ち上げることになった。

 

 

「色んな仕事を経験しながら、そして、社会について学びながら、社会的弱者を守りたいという考えに辿り着きました。とくに障がい者に関しては知れば知るほど、あまり明るみになっていない問題が多いなと感じたんです。」

 

障がい者に対するイメージ。また、一部マスコミによって取り上げられる”良くない施設や従業員の悪行”によって根付いてしまう、ネガティブなイメージをなんとか解消したい。そんな想いから同社は創業された。

 

「世の中には、稼ぎたいと思っていても”事実上稼げない人”っていると思うんです。私も一度命に関わる事故を経験し、実は身体的弱者でもある。こういう”弱者”やそのご家族が、幸せに暮らしていける世の中を作りたいと思うんです。あとは施設で働く従業員の幸せも同じですね。」

 

”きれいごとになってしまうんですが”と前置きしながら、このように語ってくれた川崎さんだったが、その気持ちに嘘偽りがないということを感じた。

 

弱者を救いたい。彼は今、想いだけではなく、実際に行動で示し続けている。

 

【ラ・メール】

「職員と利用者さん、そのご家族を守り、幸せにする。」

こんな経営理念を掲げながら、明石市内でたくさんの人々を救う同社。今回はラ・メールの事業について紹介する。

 

まずは就労継続支援B型事業について。

ラ・メールでは、身体障がい者を始め、知的・精神障害や難病認定されている方など、障がいの種類や程度に関わらず、様々な利用者さんを受け入れている。

 

 

利用者の作業は、野菜・花などの生産や、おしぼりたたみ、袋詰め作業などの自営作業。また施設外作業として、公園やビル、住宅や駐車場などの清掃業務も行っている、

利用料金は、障害者総合支援法の決まりによって変動するが、利用者の昼食代はかからず、送迎代も無料。利用者の頑張りがしっかり給料に反映されるよう整備し、不要な請求を取り払った。

 

「国からも利用者からも費用を頂くと、もちろんですが売上はかなり上がります。ただ私たちは弱者からはできるだけお金を取らないということを志しています。」

 

児童発達支援事業に関しては、未就学の障がいのある児童(2~6歳)を預かり、小学校就学前までに発達支援が必要なこどもの支援を受けることができる。当施設では、日常生活の自立支援や機能訓練などを行い保育園や幼稚園のように遊びや学びの場を提供している。

 

また、児童発達支援の他に、放課後等デイサービス事業も行っている。

対象は小1~高3までの児童で一人ひとりの得意や苦手に合わせた指導を行ってくれる。いずれの施設も担当者や指導員が常駐しながら、利用者に寄り添い温かいサポートを行っている。

 

【地域のこどもを守る】

障がい者支援はもちろん、児童発達支援事業に積極的な同社。事業を児童にもフォーカスした理由について川崎さんに聞いてみた。

 

「こどもの事業に注力したキッカケは母子家庭がとても増えてきていることです。共働きが一般的になってきたこの時代に、”鍵っ子”が増えることで発達障害やなにかしらの問題を抱える、いわば”グレーゾーン”のこどもが増加していますよね。私は増えたというより認知が広がったという風に認識していますが。」

 

時代が変わり、ストレス社会において精神疾患を患う人が年齢問わず増加しているが、川崎さんいわく増えたのではなく、”知られた”ことが大きく影響しているという。ひと昔前に比べ精神病院も増え、それに携わる医者が増加したことで、今まで表沙汰にならなかった様々な問題が浮彫りになっている。

 

「みなさんあまり知らないと思いますが、児童虐待や自宅放置などは”すぐそこらへんに転がっています”。苦しい状況にいるこどもは思っているより身近にいるんです。そんな彼らの助けになりたいですね。」

 

【逃げ道をつくる】

続いて、同社の職場環境について話を伺ったところ、川崎さんは開口一番でこのように話す。

 

「一昨年は、とくに物価が高騰し、社会保険料も上がるなど従業員たちの負担はかなり大きかったと思いましたので、社会情勢などを加味し、一律で3万円の昇給に着手しました。もちろん従業員一同が頑張ってくれていることもあり、ここ何年かで事業がしっかり成長したことが前提ですが。能力や成果における昇給も大事ですが、避けられない社会情勢に対して臨機応変に対応できる会社でありたいですね。」

 

このように昇給という具体的な事例をあげながら、同社での働き甲斐について話してくれた。

 

やりがいは自分で見つけていく。報連相は当たり前など、従業員に説いていることも多いというが、川崎さんが話す職場環境の改善において、気になったポイントがあった。”逃げ道をつくる”である。

 

 

「仕事のやりがいや働きやすさにおいて、私との関係や従業員同士の関係性はとても大事です。私が常に意識しているのは”逃げ道”をつくること。役職・年齢問わず言いやすい環境を作るのは難しいですが、職場のどこかに”逃げ道”があれば、問題が解消されることがあると考えています。これは従業員だけに留まらず、利用者の方にもお伝えしてますね。」

 

俺って怖くないやんな?と冗談交じりに従業員へ尋ねる川崎さんへ向け、質問を言い終える前に「全然!」と答える従業員さん。このやり取りを通して、同社の風通しの良さを感じた。また、川崎さんと話す従業員はどなたも素敵な笑顔で、冗談交じりの会話が小気味よく続く。

施設で利用者さんと相対する従業員たちの様子も覗かせてもらったが、とても朗らかに、そして熱心に仕事に向き合う彼らがいた。そこに、私がイメージしていた”暗い障がい者施設の影”は無かった。

 

【遠くない夢】

最後に、川崎さんに今後の展望について話を聞いてみた。

「実はもう動き出していて、ゆくゆくは建築・不動産事業にも取り組むことで、全ての会社をまとめたホールディングスを作りたいんです。」

 

現状、生活保護が必要な利用者さんの住まいはバラバラに点在しており、距離は違えど送迎費は一律。ここを改善すべく、アパートの運営や不動産管理を行うことで費用削減や効率化を狙っている。

 

「利用者が入りやすいように、もっと認知を広めたいという意図もあります。事業規模を拡大し、もっと私たちの存在を知ってもらうことで、世間のイメージを変えることができると思っています。」

 

 

良い事業者が目立ち、それを真似る施設が増えることで良い施設を増やしていく。そうすれば、悪徳事業者は必ず淘汰される。川崎さんはこれからも自信をもって事業拡大へ向け前進していくと意気込む。

また、障がい者施設で働く従業員も弱者にならず、頑張った分だけしっかり対価を得られるような会社にしていきたいと語ってくれた。

 

昨今、こども手当の充実という側面から、全国的に名をあげている明石市。そんな地域のなかで、こどもを守る場所として、多大なる貢献を果たす同社。また「誰一人取り残されないまち」を目指す明石市において、非常に重要な位置にいる同社の今後を注意深く見守りたい。