【偉大な父の背中】
明石市にほど近い神戸市西区の池上に本社を構える株式会社髙木商会。
本社へ伺うと代表取締役の髙木社長が、とびきりの笑顔で出迎えてくれた。
「こんな機会は滅多にないので緊張しますね。まだ社長に就任したばかりで恐縮ですが、頑張ってお答えします。」
企業インタビューを前に、緊張した面持ちでこう話してくれた髙木社長の初々しさが印象的だった。
髙木社長は先代であり、父でもある髙木 稔(たかぎ みのる)さんから昨年会社を受け継いだばかりだ。
昭和21年生まれの生粋の「商売人」であった父。
とても義理堅く、卓越したリーダーシップで会社を牽引してきた父は、”最後の社長業”として、自分が「社長になる為の道」をきっちり立ててくれたと話す。
一方で「事業承継」というものは、当たり前ではあるが簡単なものではない。
特に、会社を「社長の息子が継ぐ」という形は、ある種”当たり前”のように感じられるが、そこには想像以上の障壁が存在する。
そんな中でも「事業承継」が難しい理由として考えられるのは、先代が残した「偉大な功績」であり「絶対的な力」である。
人格・人脈・実力…。その”光”が輝けば輝くほど、切り替わるタイミングに起きる”一瞬の闇”は人々に大きな不安を与える。
そして、切り替わったあとの”光”は、絶好の比較対象となる。
「前のほうがよかった…」「たいしたことないな…」「やっぱりな…」
課題が一瞬にして浮彫りとなり、常に比較されるのが「事業承継者」という立場である。
髙木社長もこの点についてのプレッシャーは大きいと話す。
「息子がいうのもおかしな話ですが、父は経営者としてのリーダーシップや金銭感覚が優れていたという印象です。言葉で表現するのはちょっと難しいんですが、とにかくリーダーとしての”センス”とか”感覚”みたいなものは飛びぬけていたと思います。社内外どこをとっても影響力がすごいんです。やっぱり会長からすれば私なんかまだ”ひよっこ”なので…。」
謙遜しながらそう話す髙木社長だったが、今回のインタビューを通して先代とはまた違った彼独自の魅力が垣間見えた。
”偉大な父の背中”を見て育った、彼独自の「魅力」とは一体どのようなものなのか。3代目社長について知ることが企業の魅力や展望を理解する上で、非常に重要な要素となるのは間違いないだろう。
【モノづくり企業に愛されて】
株式会社髙木商会の創業経緯を簡単に振り返る。
創業者は髙木 一(たかぎ はじめ)さん。現代表の叔父にあたる人物だ。
金属の切削加工において欠かせない「バイト」(※回転している加工物を切削する工具)の販売メーカーで勤務していた髙木 一さんは独立を決心し、1968年7月に起業。メーカー勤務のノウハウを活かして超硬切削工具の販売をスタートする。これが株式会社髙木商会の前身である。
そして、その6年後に起業したのが弟である髙木 稔さん。こちらは工具ではなく、歯科医療機器の販売を行う会社での独立だった。
「父が独立後に、叔父から『互いが同じ商社の役割を担っているのなら一緒にやろうか』と話し合って兄弟で会社を合併しました。そして創業されたのが現在の髙木商会です。創業当時は叔父が代表でした。」
製造業がひしめき合う神戸市長田区のテナントに事務所を構え、新たな歩みをスタートさせた株式会社髙木商会。
「誠意」「誠実」「責任感」「感謝」を掲げ、地域の中で数々の悩める製造業を救っていくことで着実に信頼を積み重ねてきた。
そして、地元の製造業たちに愛される商社として名が知れ渡るころには、事業規模も大きくなり、社員数も増えていく。
主な顧客が明石市や加古川市など、県西に集中していたこともあり、企業の未来を見据えた結果、自社ビルでの新社屋を構える事に決め、当時はあまり開発が進んでいなかった神戸市西区の現在の場所に新社屋を構える。移転は合併から10年後である1986年9月であった。
その後、2001年10月に組織編制によって、髙木 稔さんが2代目の代表取締役として就任し、2022年に息子である髙木 直人さんが「事業承継者」となった。
時代や環境の変化に対応し、顧客が必要とする情報や製品を親身に提案し続けてきた同社。AI化が進む傍ら、顧客の悩みをヒアリングし、最善の提案をしていく「対人営業第一」のスタンスを崩さなかった同社は、モノづくり企業の「ベストパートナー」としてその立場を確立してきた。
彼らは商社としてどのような信念を持ち、どんなこだわりを貫いてきたのか。
創業経緯を聞いた後、髙木社長は自社の強みについて話を始めた。
【営業職は無くならない】
商売において、物の「売り方」は結果を大きく左右する。
したがって、商社における「営業」とは企業の「柱」であり「命」であると考えられる。
髙木商会もまさしく、商社として取引先や販売先への訪問・接待を軸に、顧客との関係を築くことを優先し、その地道な営業によってコツコツと信頼を積み重ねてきた。
しかし、同社が創業された当時から考えると、現在の「物の売り方」は大きく変わったことはいうまでもない。
そして、近年は新型コロナウイルスの影響やAI化の発展により、その動きは一気に助長された。
「やっぱりネット販売をメインとする企業が確実に増えてきたことで、脅威を感じています。こんな時代にもう営業って必要ないんじゃない?という話も近年良く聞きますよね。対人営業メインの商社である我々にとって、今の時代の流れは恐ろしく感じることもあります。」
現在の状況について、髙木社長はこのように危惧する。
一方で、そんな時代であっても、改めて「人」が重宝されることに勝機を感じたと話す。
「実はネット販売がメインの同業界大手商社が営業を始めたんです。やっぱり直接人が提案に向かう営業は必要なんだと改めて痛感しました。」
型番が完璧に決められたモノや、「これ」には「これ」しか合わないといったモノは顧客も迷うことがなくネットでの受注が多い。
しかし、”選択肢のあるモノ”の受注は極端に少ないのが現状だといい、髙木社長は、まさにここが勝機であると考える。
「もちろんネットを見ても、丁寧に詳しく商品説明が掲載されているんですが、お忙しい現場の方は、そのひとつひとつをクリックして確認しながら調べる時間はないんです。私は大手商社に立ち向かう勝機はここにあると考えています。」
同社は創業から今日に至るまで、足しげく現場へ通いながら、モノづくり職人たちと直接顔を突き合わせてきた。そんな彼らは現場の悩みを痛いほどよく知る。
地場企業である同社だからこそ知りえた”現場の肌感”。これは髙木商会が培ってきた大きな財産である。
そして、本当に必要とされる商社として、これからなにを優先していくべきかは明確だと話す。
「あとは、一般的に大きな工具商社というのは”手が掛からないうえに値が張る”大型の設備やコンプレッサーなどを販売していく傾向が強いと考えています。一方で我々がメインとして販売している切削工具などは、”時間が掛かる割に単価が安い”ので、商社は販売を嫌がります。実はここも勝機と捉えています。」
とてもニッチではあるが、切削工具はモノづくりにおいて非常に重要な役割を担っている。モノづくり大国である日本だからこそ、その需要は無くならず、むしろ重宝してもらえる存在になっていく。
そして、直接顔を突き合わせることで悩みの本質を見抜き、企業にとって最適な提案を、直接「人」が担っていく。
営業は無くならない。
そう話す髙木社長の顔は今日一番の自信に溢れていた。
【柔よく剛を制す】
「誠意」「誠実」「責任感」「感謝」を企業の理念とし、今日まで歩みを続けてきた株式会社髙木商会。
髙木社長は代表取締役就任を機に、企業の経営理念や社訓、スローガンなどを刷新することに決めた。そして、その内容は現在再考中だと正直に話してくれた。
「実はお恥ずかしい話ながら経営理念などはなくて。会長から受け継いだ言葉だったり企業の理念はあるんですが、それらは『社訓』になると考えています。今の人たちに響くようなものを新しく作りたいですね。」
このように意気込む髙木社長の目は、しっかりと企業の未来を見据えているように感じた。
話は少し逸れるが、実は、企業の有り方について語ってくれた髙木社長は、”事業承継予定者”として髙木商会へ入社する以前は、3年間全く別業種の大企業でサラリーマンをしていたことを、こっそり教えてくれた。
「社名は伏せますが、社長が”白いもの”を『これは黒だ』といえば、全員が『黒です!』というような徹底された会社でした(笑)。ただ、私は幼い頃から社長のイメージって父そのものだったので、そこにあまり違和感はなく…。なんだか似ていたんです。(笑)」
高木社長が実際に目の当たりにし、今日まで抱いてきた「社長像」というものは、なにがあっても揺らぐことのない「絶対的リーダー」だったのかもしれない。
しかし、髙木社長からは全くと言ってよいほど、その類の匂いがしない。
彼が話す言葉や、所作のひとつひとつを取っても、その傾向を全く感じないのだ。
「今まではお客様の為なら帰りが遅くなるのは当たり前。お客様優先・仕事優先。こんなスタンスで、口だけではなく実際に背中で語ってきた会長でしたので、説得力もあるし、一緒になって働いてくれた従業員も多かったんです。実際、そんな”陰の頑張り”があって弊社はここまでこれましたし、もはや日本って”それ”があったからこれだけ成長してきたんだと感じたりもします。」
今日までの歩みを振り返りながら、自社について客観的に話す髙木社長は、一方で自社の働き方を変えていかなければいけないことに言及する。
「私くらいの世代は、父のような仕事の取り組み方は受け入れられてきましたが、もうそんな時代ではないと感じます。”厳しく叱る”ではなく、”しっかり聞き、しっかり伝える”ことが大事。あとは求めることが違うという事実を受け入れ、ベクトルを同じ方向に合わせていくことが重要かなと思います。」
柔よく剛を制す。
柔軟でしなやかな彼のイメージは、こんな発言に凝縮されていたように感じた。
新しい時代の幕開けと共に、髙木社長は同社のリーダーとして、これからどのようにタクトを振っていくのだろうか。企業がどのように変わっていくのか非常に楽しみである。
続いて、同社での働き方についてもう少し詳しくお話を伺った。
【キラキラと働く為に】
「人間の考える幸せって人によって違いますよね。何に”時間”と”お金”を割くかという価値観って、違うのが当たり前なんです。だったら、やっぱり認め合うのが最優先だと思います。」
働ける限り働き、しっかり稼ぎたい人もいれば、決まった時間で安定した収入を得たい人もいる。そんな従業員たちの多様性をまずは認め、理解することが重要だと話す髙木社長。
そして、それを実現させるためには、企業として従業員たちの想いを受け入れることのできる環境作りが必要だと話す。
「従業員たちって正直なところ、同じ目的を持って集まった人間同士ではないじゃないですか。それぞれ夢や目標があって、それを実現させるためにうちを選んでくれた。であれば、企業にとって大事なことって『目標』をしっかり示すことなんじゃないかなと感じます。共通の目標がなければ、大きな力は生まれません。」
バックボーンが違えど、同じ目標を持ちそれに向かって突き進む集団は強い。
このように話してくれた髙木社長だったが、ここでひとつの疑問が生じた。
「絶対的リーダー像」が自身の一番身近なモデルだった髙木社長は、”なぜこのようなスタンスを取り込めたのか”。
その答えはズバリ『ホッケー』である。
『ホッケー』とはその名の通り、競技スポーツの『ホッケー』だ。
学生時代の部活動を通して得た経験。目標が定まったチームはとてつもない力を発揮し、バラバラの個性がうまく融合され一体感が生まれる。
髙木社長はこんな実体験があったからこそ、多様性を認め目標を大事にするのである。
また、「実は、私は人生の中で3度『ホッケー』に救われているんです。」という、とても興味深い話も聞かせてくれた。
1つ目は大学時代。俗にいう”チャラい”友人たちが増えてきて、あまり馴染めないと悩んでいた時に『ホッケー』に出会い夢中になったこと。
2つ目は30歳になる頃。結婚を考えていた女性とうまくいかず大失恋。そんな時、昔の友人が『ホッケー』に誘ってくれ助けられたこと。
3つ目は最近の出来事。息子に習い事でサッカーをさせていたが、表情は暗くあまり楽しんでいなかったそうで、代わりに『ホッケー』教室に連れていくと大喜び。『ホッケー』がしたいと言ってくれたこと。
目をキラキラと輝かせながら『ホッケー』について夢中で語る髙木社長。
ひとしきり”ホッケー談義”が終わったあと、「すみません話過ぎましたね。(笑)」と謝りながら照れ笑いする髙木社長は、続けてこんな話をしてくれた。
「趣味って仕事に関係ない話ではなくて、やっぱり楽しいこと、好きなことをやっている時って、人間輝くし夢中になるんですよね。そういう芯を持っている人間って、仕事でも輝くんじゃないかなと思ってます。仕事が上手くいくためにも趣味を大事にしている人材は魅力的ですね。」
このような人材観についても話してくれた髙木社長。
自己実現の為にも、ぜひ自社を選んで欲しいと話してくれた。
人との繋がりや信頼関係が命であるーー。
今回のインタビューを通してお客様はもちろん、働く従業員たちを大切にしていきたいという同社の想いがひしひしと伝わった。
父から子へと、「人」を想うバトンが確かに受け継がれている。
そして、3代目自身が歩んできたきた人生から学び得た経験。
そんなとびきりの財産が、今、”偉大なる先代”たちが築き上げてきた企業に融合されようとしている。
新しい時代を切り開いていくであろう髙木商会が楽しみでならない。