一生、精神科医として生きていこう
瀬戸内海東部に位置する淡路島。美しい海と豊かな自然に囲まれた環境のなか、澪標会の理事長である南辰也さんは、実家の工場を継ぐ父とケアマネージャーの母のもとに生まれた。医療とはまったく縁のなかった南さんが医師を目指したのは、高校3年生のときだった。
「仲のいい同級生と担任の先生が同じタイミングに白血病を発症したんです。けれども私は、何もできずに悔しい思いをしました。そのとき、医師になり多くの命を救いたいと考えるようになりました」
高校卒業後、近畿大学医学部医学科に進学。当初は花形である外科医を希望していたが、大学時代の後半には精神科医として生きていく決心をした。
「医学よりも人と話すことが好きな私は、相手が何を考えているのかを深く突き詰めていく仕事に魅力を感じました」
将来の目標が定まってからは奮起して、全力であらゆる病気を学んだ。神戸掖済会病院で1年間、救急科で病院に運ばれてくる様々な患者さんを対処。その後、精神科でスーパー救急を受け入れる湊川病院で3年間、精神科医としての研鑽を積んだ。
認知症患者の家族の苦労に直面
後期研修終了を目前に控えたころ、大きな好機が訪れた。神戸百年記念病院 認知症疾患医療センターの副センター長就任の打診を受けたのだ。
「タイミングがよかったのでしょう。若輩の私に、こんなチャンスが巡ってくることはそうありません」
同センターは、これまでの病院と同様に外来専門だったが、認知症患者の場合、病院に連れていくまでのハードルの高さを痛感した。そもそも本人には認知症の自覚がないため、初期段階で家族が心配して診療を勧めても、本人が「病院には行かない」と言えばそのままにしておくケースが大半。どんどん認知症が進行して手がつけられなくなることがあるそうだ。
また、父方の祖母が認知症を発症したことも、医師としての人生に大きな影響を及ぼした。
「長男である父と母が、祖母の介護を行う姿を見るなか、本人以上に家族が苦労していることを初めて知りました。この経験は、今の臨床のスタンスにつながっています」
認知症の治療はもちろんのこと、家族がどのように患者と関わり、共生していくのかをアドバイスしていくことに焦点を当て、なるべく負担を軽減したいと考えるようになった。
若くして訪問診療のクリニックを開業
そこで南さんは、発想を転換させた。
「外来で患者さんを待つのではなく、私たちがご自宅に訪問し、『医者です』ではなく『調子はどうですか?』と話しかけて診断を行えば、最初の大きなハードルをクリアできます」
病院は画像検査などの設備を充実させ、専門医療を行う医療機関として機能。一方、小回りの効くクリニックで訪問医療を行えば、「妄想や徘徊で夜も眠れない」など、人には相談しづらい悩みやお困りごとに耳を傾け、家族の心身のケアができる。そこで南さんは2019年、神戸市中央区に認知症医療専門の『しおかぜメモリークリニック』を開業。この地域に往診をする精神科医が存在しなかったため、ケアマネージャーなどの介護従事者の間で評判を呼び、口コミで依頼は増えていった。
「医師が自宅で診断をして診断書を作成すれば、介護保険のサービスを利用でき、介護従事者や家族の負担も減ります。需要と供給のマッチングにより、小さなことですが社会問題を解決できた自負はあります」
クリニックでは訪問診療に加え、働いている家族が患者と一緒に来院できるように22時までの夜間診療を実施。訪問型の看護・リハビリ・薬局、重度認知症デイケアなどを行い、あらゆるニーズに応えて患者とその家族を手厚くサポートしている。
拡大路線ではなく、人ありきで仕事をつくる
地域に先駆けて訪問医療を実践。医師として最前線で活躍する一方で、経営者としても意欲的に事業を広げている南さんは、バイタリティに満ち溢れる人物だ。
「医師は体力勝負の仕事です。若くして開業したことは要因のひとつ。さらに患者さんとそのご家族の心身のサポートをしたいという熱意が、私を動かしているのかもしれません」
また、短期間で事業を拡大できたのは、人との縁がきっかけになったと語る。
「事務員さんのご主人が理学療法士で、ここで働きたいと相談を受け、私たちのリソースと彼の能力をマッチングしたら何かできるかを考えたとき、訪問リハビリという選択肢が出てきました」
認知症患者の大半は高齢者。運動機能を改善することは認知機能の維持に有効な方法で親和性も高い。これは一例であるが、南さんは単に拡大路線を図るのではなく、「人ありきで仕事をつくる」をモットーにしている。
地域の社会問題を解決することが存在意義
2021年9月、2つのクリニックを同時に開業したのも人の縁からだった。以前、勤務していた病院の同僚の内科医から一緒に働きたいと声をかけられたとき、末期がんなどの週末期に病気の苦痛や不快感を緩和する「緩和ケア」というキーワードが浮かび上がった。
「病院では精神科医と内科医がチームを組んで患者さんをサポートします。病院と同じような体制を整えて在宅医療ができたら、本人とご家族の希望に応えられると思いました」
医師側の理由で1カ所に集めるのではなく、一件一件訪問をする。決して効率的ではないが、病院に入院しているような心と身体のサポートができれば、住み慣れた自宅で安心して治療を行い、家族と一緒に最期を迎えられる。このように地域の人たちに寄り添いながら貢献していくことが、澪標会の存在意義であると南さんは語る。
神戸市西区に訪問診療に特化した緩和ケア専門の『ほしぞらホスピスクリニック』、そしてかねてから小児科・小児精神科に携わりたいという想いを実現して『もえぎクリニック』をオープン。穏やかな表情で旅立たれた患者を看取り、家族からは「最期まで一緒に過ごせてよかった」と多くの感謝の声が寄せられているそうだ。
新しい挑戦で、多くの幸せを創り出したい
最後に南さんに、将来の展望について伺った。
「これまで在宅医療を中心に実践してきましたが、やはりクリニックには限界があり、専門治療が必要なときは大きな病院にお願いすることがあります。最後まで患者さんをケアするには病床機能を持つことが必須。それが次のステップにつながると思います」
また、南さんは株式会社オーシャンブルーと株式会社マリンブルーの2つの会社を設立。薬局や有料老人ホーム、企業主導型保育園の運営をはじめ、人材紹介業や広告代理店業など、医療法人の枠を超えた経営の多角化を図り、地域の医療・介護業界をあらゆる面からバックアップする。
「当法人では女性スタッフが多く活躍しているため、育児と両立してキャリアを積んでいけるように保育園を運営。もちろん、地域の方々も利用ができます。また、働き方改革にも率先して取り組み、クラウド型カルテの導入によりテレワークを推奨しています」
神戸三宮駅近くにサテライトオフィス(コワーキングスペース)を設け、クリニックに出勤しなくても仕事ができる環境を整備。事務職を中心に積極的に活用し、多様化する働き方に柔軟に対応する。
このように先見性を持ち、多岐にわたって挑戦を続ける原動力はどこにあるのだろうか。
「新しいことにチャレンジし、困難を乗り換えて結果を出す。このプロセスを楽しんでいます。安定していると飽きてしまうし、同じことを繰り返すのは性に合っていないですね。多彩なサービスを提供することで、多くの患者さんやご家族のお役に立つことができます。さらにスタッフの活躍の場が増え、スキルを伸ばすことが可能。利益を還元でき、収入もアップします。そうやって幸せな人が増えたら嬉しいですね」
笑顔で語る南さんの表情からは地域医療にかける情熱、そして患者とその家族、スタッフに対する愛情を強く感じることができた。この熱い想いと先見性、経営的なセンスを強みに今後、どのようなチャレンジをしていくのか、非常に楽しみである。