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有限会社ボディショップ貞本 / 車の板金塗装職人

インタビュー記事

更新日 : 2022年11月10日

最初からなんでも出来る人はいない。“やる”か“やらない”か。――並々ならぬストイックな姿勢で代表の肩書を背負い、日々挑戦を続ける社長がいる。【有限会社ボディショップ貞本】は、昭和38年に創業された自動車板金塗装の会社だ。代表を務めるのは、貞本崇彰(さだもと たかあき)41歳。この業界ではまだまだ珍しい若きリーダーである。早くにして父親から跡を継いだ彼は、なにを想い、なにを成そうとしているのか。若き経営者の生き方、会社や人材に対する想いを伺いました。

有限会社ボディショップ貞本 事業概要

創業以来、兵庫県明石市で自動車鈑金塗装一筋を貫く。培ってきた技術力と最新の設備との融合で数々の修理実績をあげてきた同社は、修理車を大手中古車販売業者へ卸すことはもちろん、一般のお客様のお困り事にも幅広く対応。修理以外にも、エアロパーツの販売・取り付け、ガラスコーティング、車検なども請け負う。

交通量の多い場所に、開放的な店舗。車修理の“駆け込み寺”

兵庫県明石市魚住町清水。国道2号線沿いにある【ボディショップ貞本】の店舗前を、今日もたくさんの車やトラックが行き交う。道路脇すぐにある店舗は常に開放されており、手練れの職人やハツラツとした若い従業員が、車を前に真剣な表情を浮かべている。

その真剣な眼差しに気を取られていた私に、代表の貞本社長が優しい声でこう話しかけてくれた。

「うちはわざわざお店の広告宣伝をする必要はないんですよ。この交通量をみてもわかるとおり、常にここは皆さんに見られていますから。修理している様子なんかも自然に見てもらえて立地としては最高ですね。どんな方でもパっと来てもらえますよ。」

 

さわやかな笑顔で語る貞本さんは、まるで若手営業マンのよう。

自動車板金工場といえば、ぶっきらぼうな職人や、言葉数の少ないおじさんが多いイメージが、見事に裏切られた。そんな魅力溢れる若き経営者に、創業の経緯や、先代社長である父親から跡を継いだ話をじっくりと聞いてみた。

 

 

“父親譲り”のハングリー精神

先代の社長である貞本幸治(さだもとこうじ)さんは、広島県の離島出身。家庭は決して裕福ではなく、母は常に船に乗っていたので、若くして身ひとつで明石へ出稼ぎに。そして、手に職を付けることを優先した先代は、住み込みという条件の下、自動車板金塗装会社へ飛び込んだ。

 

「当時は自動車業界が今よりも勢いがあり、仕事がどんどん入ってきていた頃だったと思います。稼ぎ時にしっかり稼ぐことができた父は、その分相当な数もこなし、技術もどんどん伸びていったみたいです。そして独立を決心し、今の【ボディショップ貞本】が創業されました。」

 

言葉数の多くない父親と話す事は、会社に入るまでほとんどなかったという。

「父親に関する情報はあまり持っていないですよ。普段からあまり喋らないんで。」と笑いながら答えてくれましたが、私には、『異郷の地で、それも住み込みで仕事をし、会社まで立ち上げた自慢の父親だ』と誇らしげに語っているようにも見えました。そして、彼のバックボーンを知りわかったことは、ハングリー精神は“父親譲り”だったということ。

 

ただの跡継ぎではなく、“社長”というものに魅力を感じ

 

貞本社長は兵庫県神戸市西区生まれ。性格上、じっとしていることが苦手だったという彼は、地元に留まらず、九州で仕事をしていた。当時、父親が立ち上げた自動車板金会社に興味はなく、跡を継ぐなどは全く考えていなかったという。

 

「【ボディショップ貞本】に入社するまでは、父親との会話は全くといっていいほどありませんでした。若い頃はとにかく一つの場所にじっとしていられなくて、落ち着きがなかったんだと思います。ただ23歳で結婚し、家庭を持つようになってから考え方が少しずつ変わっていったように思います。」

 

ある日、年齢も若くない父親が、そう遠くない未来に会社を退くことになる姿が頭によぎった貞本社長。その時、彼を突き動かしたのは、家業がある息子特有の跡継ぎの義務的な感情や犠牲の精神ではなかった。

 

「すでに地盤ができていて、自分の思い描いたとおりに会社を動かせることの魅力に気付いたんです。そして、幸運にもその条件を自分が手にしていることにも。これはもしかすると最高なんじゃないかと。もちろん、当時父親はまだまだ現役の社長でしたが、早く自分が社長になって会社を動かしてみたいという気持ちが膨れ上がり、【ボディショップ貞本】に入る決心をしました。」

 

 

現場で気づいた限界と可能性

 

畑違いの場所から自動車板金塗装業界に飛び込んだ貞本社長。言葉通り0からのスタートとなった彼は、現場で自動車修理の仕事を始めました。そして、早い段階である決断を下します。

 

「職人には絶対敵わないと思いました。自分の性格上、やろうと思えばとことんやってやろうというタイプですが、何年か頑張ってみたところで、職人を超えることはできないと感じました。当たり前のことですけどね。自分は“超えてやろう”と真剣に思ってましたから。全然甘かったです。(笑)」

 

ただ、自分の無力さと限界を素直に受け入れた彼は、挫折と同時に「自社の魅力」に気付きました。

 

「こんなに腕の良い職人がうちにはいるんだなと。もう頼もしくて感謝の気持ちが湧きあがりました。」

 

そこで初めて自分がすべき仕事が見えたとういう貞本社長。仕事を持ってきて、彼らに託そう。彼らがしっかり仕事ができるようにまとめ上げよう。

ここから貞本社長はもちろん、【ボディショップ貞本】に大きな変化が起きます。

 

 

 

人を受け入れるということ

 

「自動車板金塗装業界って、まだまだ一般の方には受け入れられていない業界なんですよ。強面の職人が無口で仕事しているでしょ。そんな人に女性は声を掛けられませんよね。困っているのに助けてあげれていない人って本当に多いと思うんです。」

 

貞本社長がいうように、自動車板金塗装業界のイメージは決して明るいものではない。仕事上、職人が黙々と仕事をしているので、仕方ないといえばそうだが、貞本社長はそれではいけないと警鐘を鳴らす。

 

「職人であってもコミュニケーションが大切です。中には無茶なことを言ってこられるお客様もいらっしゃいますが、最初からはじき返さず、まずは“受け入れること”の大事さを従業員には伝えています。色んな人を“受け入れる”。ここから全ての仕事はスタートだと思っています。」

 

近年、自動車板金塗装業界は窮地に立たされている。

衝突事故を防ぐ「ぶつからない装備」の普及による事故の減少など要因は色々とあるが、新型コロナウイルスの影響も大きく、ここ数年で廃業になってしまった会社も多い。

しかし、【ボディショップ貞本】は、廃業や売り上げ減とは無縁の業績を収めることに成功している。

 

「近年の新型コロナウイルスの影響で、私が知る限りでも近くの業者さんは2~3社廃業となってしまいました。廃業しなかった弊社となにが違ったのか、正直なところ正解はわかりませんが、私はお客様にこちらから歩み寄ったかどうかじゃないかなと思います。」

 

コミュニケーションを大事にし、笑顔を忘れず一度来られた方は必ずリピーターにすると話してくれた貞本社長。こんなに自然に受け入れてくれる自動車板金工場は類を見ないはずだ。

 

会社の進む方向に、自分の夢を乗せてほしい

 

20~50代の従業員たちをまとめあげる貞本社長はとてもストイック。

 

「結局“コツコツ”した人が勝つんですよ。みんなわかっていることだけど、ほとんどの人が諦めるんです。“コツコツ”できない。でも私はそれをやろうと思っています。従業員には特別なことは求めず、まずやれるのかどうかをハッキリさせる。できるなら任せるし、できないなら仕事はないよ。頑張って学びなさい。というスタンスです。」

 

そのストイックな性質はプライベートも変わらない。4児の父になってもなおジムに通い続け、子供たち、家庭の時間も大切にしている。

 

「自分が何を大事にしたいか考えてほしいですね。私は家族が大事なので家族を守ることが最優先です。従業員たちにもそれぞれ大切なものがあるはずです。それを一番優先してほしいし、会社の進む方向に自分の夢を乗せてくれると、それより嬉しいことはないです。」

貞本社長は温かい眼差しでこう話してくれました。

 

先代からハングリー精神を受け継いだ若き経営者のもと、創業から60年を迎えようとしている【ボディショップ貞本】。今後は、従業員たちがより良い環境で作業できるように、また、たくさんのお客様が工場に足を運んでくれるようにと、工場の建て替えを検討中だ。これから地元でどんな成長を遂げるのか。【ボディショップ貞本】から目が離せない。