朝日がきらめく本社ビル
明石市大久保町、江井ケ島海水浴場から徒歩10分に位置する神戸電機産業。晴れた日の早朝にはガラス張りの本社ビルに朝日と青空が映り込み、その美しい風景は通勤者や学生、近所の人たちの目を惹く。毎日、自転車通勤をする途中、「何をやっている会社だろう」と興味を持ち、同社の門扉を叩いた社員もいるそうだ。清々しい気持ちで本社に訪れると、温かな笑顔で勝山社長が出迎えてくれた。
取引先のピンチを救ったことが転機に
神戸電機産業は今から約50年前、勝山社長の父親が変圧器メーカーでの経験を活かして設立。当時から三菱電機伊丹製作所と取引をしていたが、基盤にのせる小さな製品が中心だった。先代は一つひとつの仕事を丁寧に仕上げ、コツコツと信頼を得てきた。
転機となったのは、三菱電機からの1本の電話であった。
「下請企業の設計ミスで納期に間に合わない。助けてほしいという連絡でした。電車の車両に搭載される変圧器で、明日の朝までに図面を完成してほしいと言われたのです」
新しい車両の運行日は広報されており、それに基づいたスケジュールも組まれている。当然、納品遅れは許されない。当時、設計職であった勝山社長は徹夜で図面を仕上げ、通常の1/2の期日で大量の変圧器を納品した。
「お客様にはとても喜ばれ、感謝状もいただきました。これを機に車両搭載用の変圧器をつくるようになり、メインの事業柱に成長しました」
その高度な技術力と知名度は全国的に知られ、複数の大手企業からも依頼が舞い込んできた。300系新幹線の全車両には同社の製品が搭載されるほど、業界での地位と実績を確立していった。
社会インフラを支える重要な製品
同社の主力事業は2つ。1つは新幹線や電車の車両に搭載する変圧器・リアクトル、もう1つはビルや建物で停電などの電源異常が発生した際に電力を供給するUPS(無停電電源装置)である。電車の床下や天井に設置されるため、日常生活で目にすることはないが、車内の照明や空調を動かすために欠かせないもの。UPSは主に病院や銀行など停電による機能停止が人命や経済に重大な支障をきたす恐れのある施設に設置されている。
「阪神・淡路大震災のとき、ある病院が出産手術中に停電になりましたが、当社のUPSが作動して無事にお産ができたという話を聞きました。このような緊急時や災害時に、みなさんの役に立っていることを嬉しく思います」
近年、日本国内では自然災害が多発し、いつ何が起こってもおかしくない。そんな状況下において、同社の製品は安心・安全な暮らしを守り、社会インフラを支える一助となっている。
技を結集した一品一様のものづくり
現在、大手重電メーカーである三菱電機、東芝、日立製作所、富士電機、東洋電機製造と取引を継続し、全国各地の新幹線や電車の車載用変圧器を製造。N.Yの地下鉄や中国の新幹線にも同社の変圧器が採用されているそうだ。2004年には中国に青島工場(青島神戸電機産業有限公司)を設立してグローバルに事業を展開するが、このような成長を続ける要因は、どこにあるのだろうか。
「変圧器は標準型の既製品と一品一様のオーダーメイド製品があります。当社が手がけるのはオーダーメイド製品。それも設計から製造まで一貫体制を構築している点が強みです。どんなスペックやニーズにも対応し、難しい案件でも決してNoとは言わない。設立時から続くその精神が私たち技術者の誇りです」
実際に工場を見学すると量産型の自動化機械はなく、一つひとつの製品は技術者の手で丁寧につくり込まれている。個人の技量がなければできない、唯一無二の技術だ。大手企業の無理難題にも応え、最先端の技術を培う。その歴史は半世紀以上にわたり、ベテランから若手へと受け継がれているのだ。
中学校の先生になりたかった
子どもの頃から工場に足を運び、父親の仕事を手伝ってきた勝山社長。当初から後継ぎを決めていたと思っていたが、意外な答えが返ってきた。
「私は中学校の先生になりたくて、男女共学の普通高校に入学願書を出しました。しかし、父親が願書を差し替えて工業高校に入学することになったんです」
3年間、工業高校に通ったのち、夢を諦めきれずに名古屋の文系の大学に進学したが、在学中に技術部長である身内が交通事故で亡くなり、葬儀に出席。そのとき、父親に説得されて家業を手伝うことになった。さらに入社10年目、父親が急逝して30歳の若さで社長に就任した。
当時はバブルが崩壊した直後で、日本は長い不況に突入。真面目に本業に専念していた同社ではあったが借金をかかえていた。若いながらも経営手腕を発揮し、経営の安定化と事業拡大を図ってきた勝山社長は、「社長歴はもう30年、何があっても動じなくなりました。父親に振り回された人生ですよ」と笑顔で語る。
本人の意向とは相反し、運命に導かれてものづくりの世界へと歩み始めたものの、入社早々にその面白さを実感する出来事があったそうだ。
「三菱電機の新人技術者と一緒に、アメリカの鉄工所向けに高電圧の変圧器をつくることになりました。劣悪な環境下でも動作するように、水を循環させて強制的に冷却する特殊な製品。この難題をクリアするため、同年代の新人技術者と毎日のように電話とメールでやり取りをし、図書館に通って水力学を学びながら最適な条件を算出しました」
半年という膨大な時間をかけて完成したときは、何ともいえない達成感を覚えた。今でもお客様に喜んでいただいたときが一番やりがいを感じるという。
時代に先駆けて働き方改革を推進
このような苦労を重ねてきた勝山社長は、「働き方改革」という言葉がなかった時代からパソコンを導入してシステム化を進め、業界でもいち早くCADを取り入れた。
「私自身、できるだけ残業はしたくないというスタンス。システムの力で生産性を向上させ、特定の技術者だけでなく、全員がマルチに仕事のできる環境をつくりました」
現在では定時退社を推奨し、年間休日は120日以上を実現。無理せずにメリハリを持って働ける職場は定着率も高い。さらに女性スタッフが育児と仕事を両立できるように5年前に保育園を開設。2022年4月には2つ目の保育園がオープンし、従業員だけでなく近隣の働く女性を応援する。そのほかにも野球やビーチサッカーなどのスポーツ活動を支援するなど、積極的に地域貢献に取り組んでいる。
社員の成長と人生設計の支援を
変圧器・リアクトルは小型化や省電力化が進み、難易度の高い高周波に対応した製品が求められている。
「電車の車両は進化が著しく、回生エネルギー(モータが発電機となり電力を発生する)をはじめ、スマートフォンで情報収集や操作のできるスマートメンテナンスへの取り組みが進んでいます。このような最先端分野に関わり、新しい車両を手がけられることが魅力。今後も大手企業のニーズに応えながら技術力向上を目指していきたいと思います」
さらに変圧器単体ではなく、制御盤などのトータルシステムの提案。AIなどの先端技術と融合させた新しい分野にも挑戦していきたいという。そのために工場の自動化を進め、作業は機械化して、人は考える仕事に集中できる環境づくりを目指す。
最後に勝山社長に人材観について伺った。
「自分で限界を決めず、貪欲に、好奇心旺盛にチャレンジしてほしいですね。若い社員をプロジェクトのメンバーに起用したり、提案制度や改善発表会でプレゼンをする場を設けるなど、誰もが意見を発信できる風通しのいい雰囲気をつくっています」
スキルアップ支援として通信教育や資格取得の通学費用を負担し、技術者の大半がCAD検定の資格を取得。現在、成果主義をベースにした新しい人事評価制度への移行を進め、本人の希望に基づいたキャリア設計もきめ細かく支援していく方針だ。
設立から50年を迎え、100周年に向けて新たな一歩を踏み出した同社は、「手に職をつけたい」という方から「組織マネジメントに携わりたい」まで幅広い人材を求めている。一緒に会社を発展させながら、あなたが理想とするキャリアと生活を手にしてほしい。