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八百屋のてっぺん

有限会社フーズタツミ / 八百屋ができること全部やりませんか

インタビュー記事

更新日 : 2022年05月12日

西明石、魚の棚、神戸元町、加古川と兵庫県内に4店舗で展開している「八百屋のてっぺん」。新鮮な野菜や果物を低価格で販売し、地域の皆さんの生活を支え、人気を集めている。また、最近は八百屋ならではの新鮮な素材にこだわって「まるでドルチェのような」フルーツサンドを売り出し、その大ぶりな果物をふんだんに使った見た目でSNSやネット記事でも話題となっている。今、勢いにのっている「八百屋のてっぺん」辰巳さんにお話を聞いた。

有限会社フーズタツミ 事業概要

フーズタツミの前身となる有限会社タツミは、兵庫県明石市、JR明石駅の南東に位置する東仲ノ町商店街で始まった。辰巳さんの祖父が創業した当時は米屋としてのスタートであったが、父の代から、米だけでなく、お菓子や生鮮食品などの様々な商品を置き始め、小さなスーパーのような形態に転換。その後、商店街がなくなり、店も立ち退き、移転となった際に、野菜をメインに卸売業を開始して「フーズタツミ」に名称を変更した。

三代目を継いだ辰巳さんは、野菜の卸売業に加えて、八百屋「八百屋のてっぺん」を開店。一般のお客様にも直接お野菜を販売するようになり、現在に至る。

■ 有限会社フーズタツミ 事業概要

フーズタツミの前身となる有限会社タツミは、兵庫県明石市、JR明石駅の南東に位置する東仲ノ町商店街で始まった。辰巳さんの祖父が創業した当時は米屋としてのスタートであったが、父の代から、米だけでなく、お菓子や生鮮食品などの様々な商品を置き始め、小さなスーパーのような形態に転換。その後、商店街がなくなり、店も立ち退き、移転となった際に、野菜をメインに卸売業を開始して「フーズタツミ」に名称を変更した。

三代目を継いだ辰巳さんは、野菜の卸売業に加えて、八百屋「八百屋のてっぺん」を開店。一般のお客様にも直接お野菜を販売するようになり、現在に至る。

■ 商店の雰囲気を常に肌で感じながら育った幼少時代

辰巳さんの祖父が米屋として創業したのち、父が家業を継いで、会社を設立した。現在、辰巳さんは三代目として経営しているが、母が経営をしていた時期もあったため、厳密にいうのならば四代目にあたるそうだ。

そんな、家族が代々経営のバトンを繋いで来た環境で、辰巳さんはいつから自身もお店を経営しようと考えていたのだろう。

「自宅がお店の上にあり、小さい頃から常にお店をうろうろしていました。本当に昔ながらのお店だったけれど、店の感じは肌で感じていました。

本格的に経営について考え始めたのは、23〜24歳のときでした」

こうしてバトンを受け取った辰巳さんがご自身の代で始めた八百屋「八百屋のてっぺん」は、11年前に1店舗目を西明石、10年前に2店舗目の明石の魚の棚に出店。そこから少し空いて、2年前に3店舗目の神戸元町、そして最新の4店舗目をアリオ加古川にも出店したところだ。現在、合計4店舗で営業している。

※ 代表はボディービルダー

■ 八百屋ができることの可能性を信じて」個性的な八百屋さん

「八百屋のてっぺん」の強みは、品質の良いものを他店よりも安くお客様に提供できる体制である。

「卸しもあり、小売りも出来るという点が強みです。

店舗展開が増えたこともあり、卸しとあわせて仕入れが大量にできますので、味も品質も良い野菜と果物を、他店よりも価格を抑えて提供できます」

また、最近は、青果だけでなく、青果を加工した商品を開発、販売している。

「あとは、フルーツサンドにも力を入れています。八百屋ができることを全てやってみようと思い、始めました。

でも、フルーツサンドにも終わりが来ます。次のことをどんどん考えていかなければならないと思っています」

高品質な素材をふんだんに使い、見栄えもよく「まるでドルチェのよう」とSNSやネット記事でも取り上げられて話題になっているオリジナルのフルーツサンド。しかし、辰巳さんはもう次のことを考えているようだ。野菜の販売だけでなく「八百屋にできることの可能性」を最大限に考えて、挑戦の手を止めない。それが、辰巳さんのやり方だ。

自分の代で八百屋を始めたきっかけ

三代目として会社を継いだ当初に行っていたのは青果の卸売業。卸しの専業から脱却した理由について尋ねると、自分の代で八百屋を始めたのは、実はご友人が八百屋していたことがきっかけであったという。

 

「その当時、私は明石でお店を営んでいて、主に野菜の配達をしていました。卸しとして、小売店に野菜を届けるのが毎日の仕事でした。

友達は神戸の八百屋さんで、たまたま彼のお店を見に行ったとき、神戸の野菜の価格が明石とまったく違うことに、衝撃を受けました。安かったのです。そのため、まずは神戸中央市場で仕入れをしようと考えました」

神戸の友人の八百屋では、野菜がものすごく売れていた。辰巳さんは「店を構えてこんなに人が来てくれるのなら、卸しじゃなくて、自分の店を出そう」と思ったのだそうだ。

「その頃、八百屋として働いたことはありませんでしたが、ただただ“お店を出そう”という気持ちで、スタートしました。友達がやっている八百屋に1週間だけ研修に行き、どのようにしているのかをある程度学んだら、その後すぐに店を出しました」

こうして、未経験の小売りに飛び込んだ。

卸しから小売りへ―未経験の領域での数々の苦労

フーズタツミを母体とし、兵庫県の「空き家活用支援事業補助金」を活用して、まずは明石にて「八百屋のてっぺん」1店舗目をスタート。しかし、商品の陳列の仕方も分からない、適正な値付けも分からないで、本当に大変な苦労をしたという。

「卸しと小売では、お客様がまったく違うため、扱う商品もまったく違います。

店舗に向けての販売は5年以上の経験がありましたが、一般消費者に対しての販売は一度もしたことがありませんでした。卸しではよく売れる野菜でも、一般消費者向けでは全く売れないことがあり、特に、仕入れが本当に大変でしたね」

未経験の領域に挑戦する辰巳さんの前には、常に問題が山積みだった。それらを解決するため、辰巳さんは、周りの八百屋がどんな風にしているのか、ひたすら見に行って、学んだ。

「当時のうちの店舗は本当に素人が作ったような八百屋でした。

夏場に冬の野菜である白菜を山盛り仕入れてしまったこともありましたから。実は、白菜は卸しだったら夏でもよく売れるのですが、一般の消費者には全然売れませんでしたね。

そういったことも知らないから、商品の並べ方も今思えば本当になっていなかったし、よく分からないまま値段設定もしていました。

ただ、それでもとにかく頑張って営業していました」

こうしてひたむきな努力を続けた経験が、「八百屋ができることの可能性を信じて」進む、現在の経営スタイルにも活きている。

■ 愛着ある地元・明石に店を出したいという想い

また、辰巳さんは、地元・明石に対する強い想いをもって事業を営んでいる。

「出店場所を探していたとき、西明石の駅前に配達に行っていた頃からずっと気になっていた場所をふと思い出しました。ためしに聞いてみたら出店して良いということで、トントン拍子で進みました。

魚の棚は自分の地元で、いつか地元でも店を出したいと思っていました」

そして、出店場所の決定に関しては、もうひとつポイントがあるという。

「あとは、近くに八百屋があるところに出します。

他の八百屋さんがご商売をされているということは、そこにお客様の需要と人の流れがあるのかなという目安で、出店場所を決めているんです」

辰巳さんは常に、地域社会と人、お客様の視点や動線を大事に、店を構えているのだ。

※ 明石魚野棚商店街のプロモーションポスター(辰巳代表は左下)

■ これからの「フーズタツミ」-卸しから小売りへの完全な転換、お客様をもっと笑顔に

今後、フーズタツミは、「八百屋のてっぺん」を主として展開していこうと考えているとのことだ。

「卸しは良いですが、納品すれば経費がかかり、配達では車も運転して…といろいろ大変です。お店を構えて、野菜をくださいってお客さんが来てくれる方がいいなと考えています」

店舗で成し遂げたい目標や新たな挑戦も、すでに視野に入っている。

「自分たちが扱う商品でお客さんたちが笑顔になってほしいと思っています。

最新店舗である加古川にオープンしましたが、そこは、人が集まってくれるような、地域の中心になるような賑やかなお店にしていきたいです。商店街が明るくなり、その町自体が活気づくようなお店にしていきたい」

「あとは、野菜だけでなく、肉や魚など様々な食に携わりたいと思っています。

いずれスーパーのような感じになればと思っています。野菜だけでなく、様々なジャンル

にチャレンジできるように、まずは野菜をしっかりと固めようと思っています」

全国にはシャッター街と化している商店街も多く、あまりよくないイメージを持たれている面も残念ながらある。そんな商店街を、自店が盛り上げ、賑わせて行くことで、明るくしたいという想いが、重要なテーマとして常に辰巳さんの中にある。

自社の利益や自身のやりがいだけではなく、地域を盛り上げ、町に貢献していきたい。みんなを明るい気持ちにさせたい。辰巳さんのひたむきな学びと挑戦の日々は続いていく。