本場ナポリに認められたピッツァ職人
TRATTORIA PIZZERIA【CIRO】小谷 紀三子本場ナポリに認められたピッツァ職人
TRATTORIA PIZZERIA【CIRO】小谷 紀三子
人は生まれ育っていく過程で、家族や先生に「一生懸命努力しなさい」と教えられます。そして「努力は必ず報われるんだよ」という“熱心な教え”を信じ、目の前にある高い壁を乗り越えようとします。
かたや、大人になるにつれて先輩や上司から教えられるのは「努力は報われないこともある」という“現実的な教え”。少し切なくなりますが、皆さんも今日まで色んな事にチャレンジして「報われなかった努力」というものが一つや二つはあったのではないでしょうか?大人になるにつれて、努力した過程よりも結果を求められる現代社会において、“努力への評価”というものは少し扱いづらいものとなっている気がします。
本日ご紹介するのは明石のイタリアンレストラン【CIRO】の小谷紀三子さん。彼女の「努力」について皆さんはどのような考えをお持ちになるでしょうか?
産まれも育ちも兵庫県の赤穂市。生まれてから34年間は地元の赤穂で過ごしてこられた小谷さん。学生の頃は生徒会活動も引き受けるなど責任感が人一倍強く、さっぱりとした性格であまり考え込まないようなタイプだったといいます。両親を早くに亡くし祖父母に育ててもらったため、学生の頃から進んで家事を引き受けていたと話してくれました。
「末っ子でしたので、家に帰れるのが一番早いということもあって、高校生の時は放課後に買い物をして毎日夕飯の支度をしていました。家事をすることに嫌気がさしたことはなかったですし、みんなが私の料理を残さず食べてくれるので嬉しかったです。とにかく料理をすることはどんどん好きになっていきました。」
喫茶店でアルバイトもしながら過ごした小谷さんは、18歳の時には、喫茶店の料理全般任されるほど料理の腕も上達。そして高校卒業後、赤穂にある有名なイタリアン「Sakuragumi」でアルバイトをスタート。これがキッカケとなり小谷さんの人生は大きく舵を切ることなります。
家庭の事情もあり、アルバイトは一旦退職するが、その後も「Sakuragumi」のマスターとは繋がりがあったという小谷さん。そしてちょうど27歳になった頃に転機が訪れます。「Sakuragumi」のマスターとの会話でこんな話が出てきたそうです。「イタリア旅行へ行き、本場のナポリピッツァを食べてとてもおいしかった。是非誰かをイタリアに修行に行かせて、自分のお店で提供したい。」
その頃ちょうど自分の人生について悩んでいる時期でもあった小谷さん。このまま生まれ育った赤穂以外を知らずに生きていくのかな…。自分でもその時の発言や決断力にはびっくりしたと当時を振り返ってくれたように、気付けば「是非私に行かせてください」と話していました。それから話はあっという間に進み、提案があった3ヶ月後には、単身ナポリ行きの飛行機へ飛び乗っていました。
ナポリでの修行は新鮮そのものだったという小谷さん。責任感の強い小谷さんは、紹介されたお店での修行だけでは物足りないことを自覚し、イタリア語も全く話せない中、別の店へ飛び込み、修行させてほしいと懇願。その熱意が実りすぐに採用。半日ずつ2件のお店を掛け持つ壮絶な修行に励みました。
そして修行をする傍ら、小谷さんの頭を悩ませていたのが「Sakuragumi」マスターからの伝言。「ナポリピッツァ協会の看板を日本に持ち帰ってほしい」とのこと。言葉を言い変えると、ピッツァを提供する上で、“全世界共通の評価”を得ることが出来る「真のナポリピッツァ協会の認定」をもらってきてほしいとのことでした。当時、日本ではこの「真のナポリピッツァ協会」の認定店はまだなく、是が非でも欲しかった“証”を得る為に、とても悪戦苦闘したことを教えてくれました。
「同僚にイタリア語を教えてもらいながら、協会へFAXや手紙を出すものの、なかなか協会との連絡がつかなかったので、いつどんな時にバッタリ会ってもいいように常に書類を肌身離さず持ち歩いていました。すると偶然、2件目の修行先に、協会の秘書の方が食事に来たのでその時に書類を渡すことに成功したんです。認定が欲しい意思を伝えたところ事務所に呼んで頂き事情を説明することもできました。ただ、まだ認定に馴染のなかった日本人ということもあって、あまり現実的に受け取ってもらえなかったんです。」
修行期間は4か月。習得できることは全て習得しようと死に物狂いで修行をしながら、認定試験も受けなければいけない。小谷さんが経験した当時の努力や苦労は、言葉では言い表せないほど大変だったはず。しかし彼女は一切弱音も吐かず、自身が追い求めるピッツァをひたむきに作り続けました。
天に恵まれたのか、それとも天を味方につけたのか。小谷さんに追い風が吹きます。
修行期間も残り少なくなり、協会の認定はそろそろ諦めなければいけないと思い始めた頃、ナポリで3日間の大きな野外ライブが行われピッツァを焼く人の人出が足りず募集が掛かっていることを知った小谷さん。認定はもらえないとしても、どんな形でも得るもは得て帰りたいと思った小谷さんは、イベントでピッツァを作ることにしたのですが、この選択が結果として“日本初”の認定を手繰り寄せる大きなキッカケとなったのです。
「最終日の3日目は特に忙しく、一人でおよそ“2000枚”のピッツァを焼いたんです。地元の人がとても驚いていたのが印象的だったんですが、私が知らないうちに“日本人女性が美味しいピッツァをひたすら作り続けている”という噂がまちに広まったみたいなんです。その噂が回りまわって協会の方の耳に入り協会のイベントでもあなたのピッツァを焼いてほしいと頼まれることになりました。」
それから、協会会長のお店でピッツァを試食してもらい、試験を受けることに成功。見事日本で初めて「真のナポリピッツァ協会」の認定を取得することになりました。
帰国後、そのまま「Sakuragumi」で7年程勤められ、その後独立し、現在のご主人と明石でイタリアンレストラン【CIRO】をスタートさせました。小谷さんの努力の結晶である「真のナポリピッツァ協会認定」自体は、小谷さん個人ではなく、「Sakuragumi」への認定であった為、その資格は「Sakuragumi」を離れる際に置いてきたという小谷さん。大事なことは、お客様が実際自分のピッツァを食べて美味しいと感じてもらうことだと思っているのでとさっぱりとした笑顔で話してくれました。
【CIRO】立ち上げ時は出産・子育てをしながらの店舗運営だったそうで、出産予定ギリギリまで働いていたので“出産のため、ピッツァは提供できません”と張り紙を出したほど。お店が気になり産後も全然落ち着かず、10日後には店舗に立っていたとう小谷さん。両親や親戚に子守のシフトを組んでお願いしたりしながら、朝方早く起きて生地を仕込み、家事をしに戻って子守を頼み、またお店に立つ。ピッツァへの情熱はいつまで経っても色あせない。それはもう努力という言葉では言い表すことができないほどでした。
現在、お子さんはそれぞれ高3、高1、中2。料理人の道を進むかどうかはわからないが、本人の好きなことをしてほしいし、お店を必ず継いでほしいとも思っていない。自分が必死に打ち込める事にチャレンジしてほしいと話してくれました。
「明石は港町・漁師町なのでナポリにとても近い雰囲気がある。だから海沿いの場所でお店をすることにこだわりました。明石は食材も全国的に知られるほど美味しいので、是非【CIRO】で明石の美味しい食材を味わってほしいです。また【CIRO】では地元中学生の職業体験である「トライやるウィーク」を受け入れています。高校生の娘が中学生の時に、縁あって引き受け始めたのですが、地元の中学校から参加した中学生が、後日自宅で料理をしました、というような報告を受けることもあり、こういった活動が子供たちのなにか今後のキッカケになればいいなと思っています。」
このように明石や地元の子供たちへの想いを話してくれました。
今回お話を伺ったのは【CIRO】の小谷さん。明石で予約が取れないほど大人気のお店でピッツァを作り続ける彼女は、今日も真剣な眼差しで生地を作り、そして窯と向き合い続けています。
今回の取材では、努力というものは“報われるためにするもの”ではなく、“報われるまでやり続けること”が努力であるという事を教えられたような気がしました。皆さんは今どれくらい努力されていますか?どこまで努力し続けられますか?自分の全てを賭けてなにかに打ち込んでいますか?一瞬表情が曇られた方。是非【CIRO】で魂のこもった絶品ピッツァをご賞味ください。人生変わりますよ。
※【食】のページに店舗【CIRO】の記事も掲載中です!是非、ご覧ください!