明石の魅力を発信し続けるシャイな敏腕情報屋

明石じゃーなる編集長 村上 まさや

 

天職

 

「自分の天職って一体なんだろう?」

生きていれば誰もが一度は考えるこの疑問。この仕事は私の“天職”です!と言える人はこの世の中にどれくらいいるでしょうか。しかし“天職”とはずいぶん抽象的な言葉で「天から授かった職業」「自分の天性と一致する職業」という定義です。もちろん「あの人って本当にこの仕事が“天職”だよね。」と他人に言われることもありますが、当の本人はそうじゃないと思っていることも。実際に“天職”と定義できるのは他の誰でもなく自分だけなのかもしれません。

 

今回ご紹介する方は自分の今の仕事は“天職”とはとてもかけ離れていると思っている人物。数々の苦悩と葛藤を経て現在の仕事についた彼は、何を想い、そして何を発信していくのか。“天職”とは一体なんなのか。その疑問にヒントをくれる、少しシャイでとても真面目な明石の敏腕情報屋【明石じゃーなる編集長】村上 まさやさんをご紹介します。

 

自分の性格

 

兵庫県神戸市西区の岩岡で生まれ育った村上さん。この場所は神戸よりも明石の雰囲気が色濃い、とてものどかな場所です。学生時代を“ほぼ明石”で過ごした村上さんは小学生の頃まではとても活発でしたが思春期に入りその性格は一変。とても控えめな性格に変わってしまったといいます。

「中高と教室の隅っこにいるような物静かなタイプでした。思春期に入ってからは特に異性と話すことができなくなって、より内向的になってしまいました。」

卓球や硬式テニスなど部活動はアクティブにしていましたが、漫画やアニメ、ゲームが大好きでそこに夢中になるあまり、思春期の異性とはもちろん話題も合わず余計に社交性はなくなってしまったと当時を振り返ってくれました。

自分の価値

 

高校卒業を控え自分の進路について考え始めた頃、真っ先に頭に浮かんだ事は、自分の「夢」や「やりたい仕事」ではなく、いわゆる“消去法”。自分に営業職は絶対できないという想いでした。極力人に会わなくて済むような仕事ってなんだろうという考えを第一に、自身の進路について考えを深めていきました。

そんな考えを持った村上さんに転機が訪れます。我が家に“パソコン”がやってきたのです。当時高校2年生だった村上さんは、機械やゲームが好きだったこともあり、このパソコンって一体なにができるんだろうという興味が湧き没頭することに。この出会いが、後に村上さんを大きく変えていくキッカケとなりました。

大学進学後も独学でパソコンの勉強をどんどん深めていった村上さん。そして、大学時代に経験した、自分の価値に気付いたというこんなのエピソードも話してくれました。

「同じクラスにとても活動的な子がいて、クーポンサイトを作って事業を起こしたいというんです。大学在学中に事業を起こすなんてすごいなーと思っていたんですが、なんと他の誰でもなく自分に声がかかったんです。一緒にホームページを作ってくれないかと。クラスの中でもとても目立つすごい子だったのでびっくりしました。僕に声が掛かるんだと。結局その事業は出来ずじまいだったんですけど、この体験で自分にも“誰かに必要とされる価値”があるんだということに気付けました。独学で進めてきたホームページ作りでしたが、コツコツやってきたことが客観的に評価された初めての経験だったので、とても嬉しかったという事だけはハッキリ覚えています。」

この経験の後押しもあって、パソコンでホームページを作る作業に没頭していった村上さん。そして見事、ホームページ作成の実績や、自分の強みを活かし上場企業への就職が決まりました。

 

【明石じゃーなる】の誕生

 

順調に進み始めた社会人生活。しかし村上さんはその陰で動く大きな時代のうねりに気付きませんでした。

2008年10月。突如訪れた全世界を巻き込んだ未曽有の金融危機。リーマンショック。村上さんもまた、この大きな波にのまれた“犠牲者”となりました。リーマンショックの影響で会社の経営は大きく傾き、希望する仕事が出来なくなってしまった村上さん。その結果、下した決断は上場企業からの転職。地元の会社に就職し再スタートを切りましたが20代の頃は本当に“迷走”していましたと当時を振り返ってくれました。

ただその中で唯一の救いが趣味で始めた【明石じゃーなる】だったと教えてくれました。

「この時期は仕事で色々と大変でしたが趣味でブログ書き始めたんです。ブログを書くにはもちろん“ネタ”がいるんですけど、私は“ネタ”を生み出せるようなタイプではない。だから“地域の情報発信”という事にとても魅力を感じたんです。日々まちは変わっていくのでネタが尽きることはないんじゃないかと。しかも明石は当時検索しても全く地域の情報が出てこない。これは自分にでもできるんじゃないか。やるべきなんじゃないかということで、企画して1週間で【明石じゃーなる】をリリースしました。」

【明石じゃーなる】は村上さんにとって自分のありたい姿・やりたい事を実現できるとても大事なツールであり希望でした。そして、村上さんの予想通り【明石じゃーなる】は瞬く間に明石市民が必要とする大事な情報源となっていきました。認知がどんどん広まってきたこともあって、【明石じゃーなる】は“趣味の範囲”を超えてきたことを自覚。会社は退職し、【明石じゃーなる】を本業へとシフトチェンジする決断を下しました。

「もちろん広告収入が基本なので収入が安定しないということに不安はありました。ただやっぱり“会社勤め”が苦手だという事に気付いたんです。気付いたというか再認識したというか。なので、【明石じゃーなる】を本業にして、もっと真剣に取り組んでいこうと決めました。」

当時、村上さんが下した覚悟はどれほど大きなものだったでしょうか。ただ気持ちはとても前向きだったと教えてくれました。

【明石じゃーなる】について

 

【明石じゃーなる】は明石に特化した明石に関わる全ての人に向けた地域情報サイトです。

明石に関する様々なニュースやイベント情報はもちろん、お店の開店・閉店情報や詳しい店舗情報など、扱う情報は多岐に渡ります。運営は編集長の村上さんと、その奥様。なんと奥様は学生時代柔道で数々の賞を獲っているアスリート気質のとても気さくな方。前向きな奥様と共に夫婦二人三脚でコツコツと明石の情報を届け続け約7年。月間アクセス数は平均約60万PV、過去には100万PV数も達成した、明石の地域情報発信のトップを走り続けるサイトです。公式のTwitterは約9000フォロワー、Instagramも約3000フォロワーと日に日に増加し、確実に明石市民の情報源の中心となっている【明石じゃーなる】。

「運営当初、地元の人間としてやっぱり明石の魅力の多くが県外の方はおろか、市内の方にも十分に届いていない事に寂しさを感じたんです。明石は本当に住みやすいし人も温かい。自然も都会も味わえる立地も魅力的だし何よりも地元の人が明石を愛しているなと感じるんです。それ故に情報発信の少なさがとてももったいないと思って。なので【明石じゃーなる】を見ると必ず明石の新しい魅力的なローカル情報があると思ってもらえるように運営しようと。そして新聞やテレビではないブログメディアだからこそ提供できる価値とスピード感を大事にした地域情報サイトにしたいと思いました。明石の魅力をもっと多くの方に知ってもらいたいだけなんです。」

 

明石を愛する市民が集う場

 

「少しお恥ずかしい話なんですが、あれだけ“人に会わなくても済むような仕事”が良いと言い続けながら、結局今はブログを書く傍ら、ほぼ毎日のように人と会っているんです。パソコンさえあれば済むと思っていたんですが、考えが甘かった…。まちの情報サイトということで取材にいくことがとても多いんです…。」

恥ずかしそうに現状を語ってくれた村上さんでしたが、その顔はとても朗らかでした。

そして、【明石じゃーなる】の現状についてこのような話をしてくれました。

「リリース当初は飲食店の情報がほとんどでしたが、最近情報を集めているとパーソナルジムや美容室など飲食店以外の情報を取り扱う事が増えてきました。また、それと同時にイラストレーターや栄養士などお店を持たない人の情報を取り扱う事も増えてきたんです。こういった“会員じゃないと会いにいけないような人”であったり、“会う場所がない人”の為に、こちらが“場を提供すること”が大事だなと考えました。実際【明石じゃーなる】はパソコンひとつで運営してきたので、事務所という事務所もなくこちらに呼べるような場所がなかったので、事務所も兼ねてお店を作ろうと。これでもっとたくさんの人が出会えるキッカケを作ろうと思いました。」

“極力、人と関わりたくない”といっていた村上さんから出た言葉だけにとても驚きました。

人と交わることが苦手な人物が“人が集う場を作る”という違和感。人って本気になると変わるんだなと強烈に思い知らされました。

そしてクラウドファンディングで募集を開始したところ、約1か月で98人の支援者が集い、約100万円の資金を集めることに成功。これは血のにじむような努力で地域情報を発信してきた【明石じゃーなる】だからこそ成しえた結果。そしてなによりも地域の方に愛される情報サイトである証がひとつの形になった良い例だったのではないでしょうか。

 

今後について

 

最後に、今後の【明石じゃーなる】について夫婦お二人にお話を聞いてみました。まずは奥様が、

「たとえば最初に行く店は行きにくい。そこを解消するのも【明石じゃーなる】の役目だと思っています。明石じゃーなるに載っているから安心して来ました。と直接の反響も増えてきたので、これからも“円満な橋渡し” という形で皆さんに得があるように明石を明石らしく盛り上げていきたいです。」

村上さんは

「明石の情報を発信すれば明石が盛り上がる。明石が盛り上がるとサイトも盛り上がる。サイトが盛り上がるとまた…というような良い循環が生まれると思っています。そうすれば明石にもっとたくさんの人が訪れてどんどん明石が良くなっていく。【明石じゃーなる】はその流れの中で誰も損せずに皆が良くなるようなお手伝いができればいいなと思っています。地元出身者としてやっぱり明石のまちの移り変わりを一番先に知ることができるのが何よりの醍醐味。これを励みにこれからも明石の情報をたくさんの方に届けていきたいです。」

 

今回ご紹介したのは【明石じゃーなる】編集長の村上まさやさん。取材中はずっとシャイでほんの一瞬目が合うくらい。写真撮影も少し抵抗されましたが、とても誠実で温かく心優しい方でした。こんな編集長が運営している地域情報サイト【明石じゃーなる】。このサイトの存在自体が明石の魅力そのものではないでしょうか。

そして村上さんとの出会いで気づかされた事。

“天職”とは“あらかじめ天に決められた仕事”ではなく、“自分と向き合い、誇りを持つと生まれる仕事”だということ。【明石じゃーなる】はきっと村上さんの“天職”。これからも魅力的なまち明石の情報を最前線から発信し続けてくれることでしょう。

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