明石で愛され続けるモダンな洋菓子店
くるみや明石で愛され続けるモダンな洋菓子店
くるみや
1957年に創業した【くるみや】は地元明石、そして淡路島でも愛され続けてきた洋菓子の名店です。
移り行く時代の中で変わらない味を守り、そしてその想いを未来へと繋いでいく【くるみや】の物語。今回はいつどんな時でも明石市民の心を掴んで離さない【くるみや】の魅力をご紹介します。
明石海峡大橋ができる前に明石と淡路島を繋いでいた播淡汽船。その船乗り場があった明石港は創業当時、今の明石駅前のような賑わいがありました。明石港からほんの少し離れた本町の一角に1957年に創業された【くるみや】はその10年後、場所を現在の港の目の前に移し、地元明石の人や淡路島の人たちが船に乗る前の手土産として【くるみや】の洋菓子を買って帰る文化が生まれました。明石海峡大橋ができた現在でも“手土産”文化はしっかりと根付いており、なかでも【くるみや】のソフトクリームは一度食べたればハマること間違いなしの知る人ぞ知る一品。店舗前や海沿いでソフトクリームを片手に写真を撮る人、冷凍を手土産として持って帰る人など人気はとても高く、毎日老若男女たくさんの方で賑わう【くるみや】。このように明石はもちろん淡路島でも【くるみや】の認知度はとても高く、とても特別でモダンな手土産として長らく多くの人に親しまれてきました。
創業者は丁子績・はつみ夫妻。現代表の祖父・祖母にあたる二人はどのように【くるみや】を創り上げたのか。【くるみや】代表取締役の丁子直樹さん・取締役の森本賢一郎さんにお話をお伺いしました。
「祖父は企業勤めの会社員で市会議員として活動もしていた明石でも名の知れた著名人で、祖母は星稜高校の家庭科教師。【くるみや】を主に創り上げたのは祖母になります。比較的裕福な家庭だったので祖母は趣味でお菓子を作り子供たちによく振舞っていたと聞きました。祖父が市会議員をしていたことで当時の市長さんとも親交が深く、自宅で市長の奥様にお菓子を振舞った際に“お店でも出してみればどうでしょう?”と冗談半分で言われたことがキッカケとなり【くるみや】は始まったと聞きました。」
丁子社長は【くるみや】の誕生秘話についてこう話してくれました。創業当時は戦後間もない時期で当然物資も少なくお菓子作りに必要な小麦粉や砂糖、バターなどはとても貴重で手に入りにくい時代であったが、どうにかこの美味しいお菓子をたくさんの方に食べてもらえないだろうかという事で【くるみや】という洋菓子店を創り上げることになりました。
丁子社長は
「創業当時は高校の教師をしながらお店を開いていたのでとても忙しくしていたと思います。朝に仕込み作業をして学校へ行き、帰ってくるなりまた仕込み作業。ただ祖母はお菓子作りが本当に好きだったみたいで辛いとは微塵も思っていなかったそうです。ケーキやお菓子はドイツやオーストリアで親しまれてきた洋菓子がベースです。ただそれをそのままマネするというよりも参考にしながら一から作り上げたオリジナルのものだったと思います。当時東京でやっと出回るようなお菓子をここ明石で作り始めていたのかと思うとびっくりですよね。」
森本さんは
「焼きたてのシュークリームから始まった【くるみや】ですが、当時のシュークリームの美味しさは多くの人々の頭に刷り込まれている特別なものだったと聞きました。それほど【くるみや】のお菓子は地元の人たちの中では“特別なもの”として扱われていたんだと思います。そして【くるみや】の事や先代の事を知れば知るほど、味はともかく考え方やセンスが“ずば抜けて良かった”と思う事が多々あって。先代は常に当時の最先端や流行をしっかり掴んでいたと思うのですごいとしか言いようがないです。」
先代のはつみさんについてお二方はこのように話してくれました。孫である現代表が【くるみや】を引き継ぐまで、先代のはつみさんは80歳を超えてもなお、長年【くるみや】を守り続け、地元の方に愛され続ける洋菓子を作り続けてきました。
(あっ。なんか良いな)であったり、(なんとなくだけどかわいいから買ってみようかな)と思って【くるみや】のお菓子を手に取るお客さんはとても多い。この説明しようがない“なにか”とはなんなのか。インタビューを通じてわかったことは【くるみや】は“先代の想い”をとても大事にしているということ。シンプルでいて洗練されたデザインのパッケージ、そして現在販売されている洋菓子や季節毎の企画商品。その全ての根底に“もし先代だったらこういう事をしていただろうな”という創業者の想いがある。そして注目すべきは、しっかりとそれを“今に置き換えて考えている”ということ。
丁子社長は
「祖母の“モノ”に対するこだわりは相当強かったはずです。無機質で素材が良いものを好んでいたと思うので。ですから箱は白い箱。決して安くはないけれど紙質がとても良いものを使っています。お客様には絶対わからないようなとても繊細な造りを施していますのであまり気付かれません。でもそれでいいんです。祖母なら必ずこだわっていたと思うので。」
森本さんは
「普通白い箱に白い文字で【くるみや】なんか入れないですよね?正直企画の段階では迷いましたが…。ただ“先代が考えそうな事”だと思ったんです。普通ならこんな企画通りませんよね。派手にしようと思えばいくらでもできるし、人の目を引くようなインパクトがある鮮やかな箱だって作れる。でもこれで良いんです。先代ならこうしたはずだって。あくまでも社長や自分、そして従業員全員の解釈でしかないんですが。」
【くるみや】のこだわりはとても強く、それは紙袋や包装紙一つをとってもよくわかります。店名の【KuRumiya】をモチーフにオーレオリンと茄子紺で仕上がったお洒落なデザインは、昭和モダンを生きた洋画家の飯森次郎先生が手掛けたものを採用。心を込めて作ったお菓子はそれにふさわしい包装紙でラッピングして手渡したいという想いがあるからここまでこだわります。そして手土産でよく選ばれる「おたより」の包装紙をデザインしたのは明石市出身の洋画家である三浦信男先生。なんとこの方は先ほどご紹介した飯森先生のお弟子さん。
「お弟子さんの包装紙にくるまれたお菓子が師匠の紙袋に入る。物語があってとってもいいでしょ?こういう部分を大切にしていきたいですね。」
そう笑顔で答えてくれた森本さん。“先代の想い”は確かに受け継がれ、そして今に置き換えられています。
時代が変われば流行りも変わる。人は老いそして新しい命も芽生える。移り行く時代のなかで、今も変わらずたくさんのファンを作り続けている理由はやはり「味」。大切にしているのはこの3つだと教えてくれました。創業当時からまったく変わらないもの、時代の流れに合わせて少しずつ改良していくもの、そして新しい挑戦。なにかひとつを追い求めてもいけないしバランス良くやっていくことが大事だと話してくれました。
私が感じた【くるみや】の一番の魅力は“ショーケースが生きている”ということ。地産地消を本当に大事にする【くるみや】は農家さんとの繋がりをとても大事にしています。
「その年の天候や気温に左右されることはもちろん、農家さんの高齢化に伴う収穫量の減少といったことはお店に大きな影響をもたらします。別の農家さんから仕入れることは簡単ですがそれは違うんじゃないかなと。自らびわを収穫しにいった事もあるし200㎏のりんごを神鍋(兵庫県北部)まで取りにいくこともありました。大変ですが農家さんの強い想いがあるし、その想いは裏切れない。兵庫県にはこんなにおいしいものがあるんだという事を【くるみや】の洋菓子を通じて知ってもらいたいです。」
熱意のこもったまなざしでそう答えてくれた森本さん。農家さんとのやり取りを一手に引き受けている覚悟ある言葉でした。
丁子社長は
「農作物に“当たり年やはずれ年”は付き物です。果物が取れなければ1週間で終わってしまうメニューだってあります。寂しいが仕方がない。年がら年中全ての材料が思いのままに揃うなんてことはありませんので。足りないからといって他から想い入れのないものをもってくるのは良くない。私たちは私たちが想う洋菓子を心を込めて作ります。」
現在シーズン真っ只中のいちご。明石市魚住町清水で採れる“幻のいちご”と呼ばれる「清水いちご」で作られた数々のケーキはまさにこの想いの具現化。商品の横にはこう記されています。
「地産地消商品に使用する果物は、気候や温度変化など、日々の状況により収穫量が減少します。農家さんとのやり取りの中で、新鮮で状態の良い果物を仕入れ、商品を作っておりますが、収穫量の関係で商品が提供できない場合がございます。その際は、あらかじめご了承下さいますようお願い致します。」
無いものは無い。たくさんあればたくさん食べてほしい。【くるみや】のショーケースが全てを物語ります。【くるみや】の“ショーケースは生きている”のです。
「色々とお話しましたが、これはあくまでも作り手側の想い。想いが強すぎて皆さんに受け入れられなくなっては意味がないので、お客様に心から喜んで頂けるような商品を作り続けるだけです。なんといっても一番嬉しいのはお客様から“美味しかったです”と言ってもらったり手紙を頂けることなので。」
森本さんはこのように話してくれました。
【くるみや】という大きな看板を掲げ、輝かしい伝統を受け継いでいく“後継者”の丁子社長は
「大変な時期もありましたが、現在は少なからず皆さんの期待というものを肌で感じるようになってきました。その期待を裏切らないように今までやってきたことをしっかり“継続していく”ことが大事だと思っています。数ある中のお店から【くるみや】を選んで頂けるように、これからも精一杯頑張ってまいります。」
このように熱く答えてくれました。
【くるみや】が長年愛されてきた訳。それは創業者であるはつみさんがどんな時代でも人々に受け入れられる素晴らしい方だったから。そして【くるみや】を継続させてきた“後継者”たちのひたむきな努力があったからではないでしょうか。明確な答えのない”創業者の感覚”を今に置き換え、新しい挑戦を繰り返す【くるみや】。これからも【くるみや】はたくさんの方に美味しい洋菓子を作り続けてくれることでしょう。そして決して揺るがず【くるみや】であり続けてくれることでしょう。
住所 | 兵庫県明石市本町1丁目19-3 |
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電話番号 | 078-911-2468 |
営業時間 | 10:00~19:00 ※日曜営業 |
定休日 | 年中無休(元日のみ休) |
駐車場 | 無 ※近隣にコインパーキング有 |
クレジットカード | 不可 |
座席 | 無 |
貸切可否 | 否 |
予算目安 | ~¥1,000 |
お子様対応 | 可 |